今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

648 秋田(秋田県)壁画観て秋田の旅を歩き出す

2015-07-15 09:54:09 | 青森・秋田
秋田県の北部地域を4日間歩いた。ローカル列車と超ローカルな路線バスが頼りの旅だから、「歩いた」といっても嘘にはならないだろう。旅は、1枚の絵を観てから始めようと考えていた。藤田嗣治の壁画『秋田の行事』だ。秋田の資産家と藤田との出会いが産み出した巨大な壁画である。その絵の存在は知っていたものの、なかなか対面する機会がなかった。新幹線を降りるや心弾ませ、建設されたばかりの秋田県立美術館に向かった。

(JR東日本のポスター)

竿燈祭りを中央に、縁日やカマクラが達者に配置されている。ナマハゲが見当たらないのは寂しいけれど、秋田犬は凛々しい。水気をたっぷりと含んだ空は雪国のブルーで、透明な色調は確かに藤田だ。雪とともに生き生きと暮らす人々のざわめきが聞こえて来る。「秋田市民はいい宝物を持っている」と羨ましくなった。だがこの壁画のために設計されたような美術館は、親しみが持てない。コンクリートの石棺のごとく無機質なのだ。



そのうえやたらと「撮影禁止」と「監視カメラを設置しています」の張り紙が目立ち、鑑賞者を脅している。片隅の美術館の模型にまで「撮影禁止」とあったのには呆れたというより吹き出してしまった。どういう事情があるかは知らないけれど、秋田を身近に感じてもらえる機会を自ら閉ざしている。ロケーションとしては金沢の21世紀美術館と似ているけれど、監視カメラによる中途半端な美術館運営では、金沢のような成功は期待薄だ。



企画展示室では戦後間もなくの秋田の農村を写した写真展が開催されていた。木村伊兵衛の『母と子』に見入っていると、おばあさん二人が近づいて来て「私、これどこかで観たように思う」と語り合っている。「とても有名な写真ですよね」と声をかけると、もう一人のおばあさんが「こうでしたよ、昔の嫁は。仕事に追われてねえ、ほんとに涙が出てくるわ」と言った。若い母親が、乳飲み子におっぱいを与えている一瞬を撮った写真だ。



祝い事の最中だろうか、母親はきちんとした着物を着て、髪も整えている。しかしいつ座敷から呼ばれるか分からないからだろう、子を床に寝せ、自分は四つん這いになる形で子に覆い被さり、たくましい胸から垂らした乳房を吸わせている。その間も視線は座敷方向を見据え、姑たちの指示に身構えている。日本が高度成長に向かおうとしていた時代である。この小さな白黒写真が、巨大な壁画以上に秋田の暮らしを物語っているとも言える。



今回の旅は、男鹿半島から十和田湖の麓あたりまでの予定だ。南北に長い秋田県の、北部4分の1程度の地域だろうか。白神山地と八甲田山系の峰々が青森との県境を塞ぎ、東側の岩手県境には八幡平が腰を据える。とはいえローカル線の車窓には広々とした美田が消えては現れ、さほど山深い印象はない。そしてゆるやかな丘陵は杉で埋まり、植林は自動車道の法面にまで続いていたりする。秋田は何もかもが緑に染まっている。



暢気な他所者である私でも気になることがあった。「秋田の人たちは、人口減少に怯えている」という感触だ。テレビは「2040年に県人口は70万人にまで減る」と叫んでいるし、駅には「秋田で暮らそう働こう」のポスター。旅の途中で総務省が「人口動態調査」を発表した。今年1月の秋田県人口は1052988人。前年度から13550人減って増減率はマイナス1.27。−1を超える減少は秋田と青森だけで、確かに秋田が際立つ。(2015.6.28)









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