今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

045 神津島(東京都)・・・神集いキンメタカベは海の舞い

2007-05-30 21:39:50 | 東京(都下)

小さな島の、山を削ってやっと平地を造ったような飛行場に着陸するとき、前の座席の少年が「わーい、ジェットコースターだ」と歓声を上げた。横風にあおられた小型機は大きく傾き、フワッと浮いてまた急降下したのだ。私は傾きに抵抗するように足を踏ん張り、前座席にしがみつくのがやっとだった。9人乗りアイランダー機は、そうやって神津島に着陸した。調布飛行場から45分間の飛行であった。

房総館山と伊豆下田を結ぶラインの中ほどの外洋を南に向けて連なる伊豆諸島は、大島-利島-新島-式根島-神津島と続き、さらに三宅島-御蔵島-八丈島-青ヶ島に至る。そしてそのずっと先に小笠原諸島があって、硫黄島に至ればもう北回帰線、サイパン、グアムとなる。太平洋の真ん中を、まるで神様が渡るための踏み石のように続いている島々である。

神津島は伊豆七島の中ほどに位置し、「神集島」とも書かれたとかで、七島の神々が集まって水を分ける相談をしたという伝承がある。その合議の場になった天上山は、標高が600メートルに届かないながら、島全体を形成するごとく海から直接立ち上がる姿は荒々しく迫力があって、まことに神話の場にふさわしい。

島の集落はひとつだけで、そこに2100人ほどが暮している。平地は極端に少なく、集落の道は驚くほど狭い。曲がりくねった細い坂道を、それでも人々は譲り合って車を走らせ暮している。海が恐ろしいほど蒼いのも、風がヒューヒュー音を立てるのも日常的風景だといい、帰りの高速船は欠航になった。

漁場は飛びきり優良で、タカベ、キンメ、赤イカなど高級魚の宝庫らしい。だから島の暮らしは豊かで、神津島村の合計特殊出生率は2.51で全国3位だ。東京都では他の市町村を圧倒的に引き離しているのは、それだけ子育てがしやすい島だということだろう。集落の中央にある濤響寺はお年寄りの社交場で、墓地の墓前に供花の絶えることがない。毎朝夕、場合によっては昼も通って花の手入れをすることが慣わしなのだ。

島一番の観光スポット「赤崎遊歩道」に向かう途中、リゾートマンションの残骸が潮風に曝されていた。太平洋に沈む夕陽を眺める海岸に建てられた瀟洒な5階建ては、完成とバブル経済の崩壊が重なって、入居者がいないまま放置されているのだという。

昭和40年代前半、島は離島ブームに沸きかえった。観光シーズンには行楽客で溢れ、民宿は廊下にまで布団を強いて客を収容した。定期航路船が接岸できる岸壁はまだなく、艀のピストン輸送で乗船者を捌いた桟橋は、人が今にも海へ零れ落ちんばかりだったことが当時の写真に残っている。だが、土地投機の夢も離島ブームの喧騒も、今では遠い記憶である。

島には大型船や高速船が接岸できるようになり、平成とともに飛行機までやって来るようになった。しかし「交通の便がよくなると住民が出て行く」というのは山間地では「過疎の原理」として証明済みで、離島でも似たようなことが起きている。これをどう食い止め、子供の声が弾む島をいかに維持するか。

漁業資源の豊かな島が、生活文化も豊かな村に成熟し、羨む人が尋ねてくるような、そんな島になってほしい。それにはこの島が、美味しい魚料理だけではなく、島ならではの歴史と生活文化に触れることのできる場でなければならない。そうなったとき、神津島は滞在型の癒しの空間として賑わっているだろう。(2007.5.19-20)

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