再びの法隆寺である。もう何度目の訪問になるだろうか。1400年の寺の歴史を思えば、そこに重なる私の人生など一瞬に過ぎない。だが一瞬の側に立ってみれば、その1度1度が懐かしく愛おしいのだ。繰り返し書いてきたように、私が奈良・大和路に強い憧憬を抱くようになったきっかけは、この大寺と、そして寺を包む斑鳩の里にある。そのことを思い浮かべつつ西院伽藍に踏み入る。すると思わず「これが最後かな」と言葉が口をついて出た。
隣の妻が息を止めたのが分かった。私は今76歳。妻はこの夏、古希を迎えた。二人とも普段は「老い」を意識することはほとんどない。まだまだどこへでも出かけていけると考えているからだ。だから「最後かな」などと年寄り臭い言葉を発したことに、言った本人が驚いたし、妻もハッとしたのだろう。自覚はなくとも、やはり「限られた残り時間」を意識している日常が言葉になったのだ。妻もそれを理解し、いつもの切り返しは収めたのだろう。
「最後」の中には、「十分に楽しませてもらった」という、法隆寺に対する感謝のような気持ちが含まれていることを感じ、「なるほど、私はそんな思いを持っていたのか」と自分を見つめ直した。その気持ちは何だろうか。私は聖徳太子には興味があるけれど、法隆寺が教える聖徳宗(法相宗)に関心はない。ただ「そこに行くと心穏やかになる」という特定の場所を持つことはいいもので、私はそうした「行く場」があることに心満たされてきた。
なぜこれほど落ち着けるのだろう。建築の美しさはもちろん影響しているだろうけれど、最大の魅力は「簡素さ」にあると思う。斑鳩の白い土の上に、必要以上の装飾を廃した伽藍が、威圧するでもなく、かといって荘厳さを欠くことなく建ち並ぶ世界に、私はホッとするのである。7大寺とも8大寺とも言われる奈良の大寺で、一介の衆生をこれほど穏やかに迎えてくれる寺はない。世俗を離れようと聖徳太子が選んだ、斑鳩という土地のせいだろうか。
中門の金剛力士像を「僕はバランスが取れていると思うのだが、美術史的には評価が低くてかわいそうなんだ」と素人解説したり、回廊の連子窓を「どうだい、この間隔の絶妙なリズム」と、妻に自分の技量のように自慢している。そして新設された宝蔵院に行く。法隆寺の宝物が、昔よりよく眺められるようになった。特別扱いの百済観音は、少しよそよそしくなったが相変わらず美しい。妻に勧められ、大講堂で瓦を1枚寄進する。裏に名前を墨書した。
東院に行き夢殿を見上げ、たまたま巡り合った救世観音ご開帳の日を思い出す。「奈良にはもう一つ、とても美しい八角堂があってね」と妻に紹介したのだが、栄山寺の名をどうしても思い出せない。奈良のことなら何でもスラスラ話せたのに、やはり老いたのだ。中宮寺に行くと「庵羅樹」の札が下がった樹が大きな実をつけている。「かりんの一種」と書いてある。如意輪観音は変わらぬ美しさだが、カリンの実の無骨さも捨てがたいものがある。
斑鳩の里も垣間見たいと、小型車がやっと通り抜けられる境内の道を妻に運転してもらう。法輪寺の三重塔は再建されて半世紀近くが過ぎ、すっかり里に溶け込んでいる。飛鳥仏に会うことなく法起寺に向かうと、記憶の中では崩れかけている土塀が真新しくなり、満開のコスモスと塔にたくさんのカメラが向けられている。「これが見納めだろうなぁ」と、またそんなことを思う。空は晴れて眩しいほどだが、私はなんだか寂しかった。(2022.10.15)
(金堂・釈迦三尊像)図版はいずれも岩波書店「奈良の寺」より
(金堂壁画・左脇侍観音菩薩)
(金堂天蓋・飛天)
(夢殿・救世観音像)
(百済観音)
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