今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1059 東大寺(奈良県)逝く秋や鹿に噛まれて東大寺

2022-10-22 21:42:37 | 奈良・和歌山
東大寺南大門前はいつもの賑わいである。「いつもの」というのは、これまで何度も訪れている私が見慣れている賑わい、ということなのであって、コロナ禍のここ3年ほどはずいぶん寂れていたのだろう。長いこと空腹に耐えていた鹿たちは、ようやく戻って来た修学旅行生や外国人観光客を囲み、鹿せんべいをねだっている。神の使いだという鹿たちは判ってくれるだろうか、私が観光ではなく、8世紀を旅するために来ているということを。 . . . 本文を読む
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1058 興福寺(奈良県)往く雲の南都北嶺興福寺

2022-10-20 21:35:45 | 奈良・和歌山
奈良は14年ぶりになる。大和路行脚に無上の喜びを見出した20歳のころ以来、これほどの無沙汰は初めてではないか。この間に平城宮跡は大極殿や朱雀門が復元され、JR奈良駅が新しくなっている。そして興福寺では、20年かけて再建が進められていた中金堂が完成、300年ぶりに伽藍の中枢が蘇った。古都は着々と変化しているのだ。その興福寺を訪ねると、大修理を控える五重塔が特別に開扉されている。旅先でたまに出会う幸運である。 . . . 本文を読む
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916 和歌浦(和歌山県)松風に一首詠えどくたびれた

2020-12-07 11:34:30 | 奈良・和歌山
「和歌山」という表記が初めて認められるのは、秀吉の書状の中なのだという。ということはさほど古い地名ではないことになる。しかし万葉集には山辺赤人の「若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」が採録されている。これは神亀元年(724年)10月、聖武天皇が紀伊国に行幸した際に赤人が詠んだ歌だ。この「若の浦」こそ、和歌山の地名のルーツなのではないか。市中から20分ほどバスに揺られ「和歌浦」を目指す。 . . . 本文を読む
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915 和歌山②(和歌山県)市中にも盛衰はあり城下町

2020-12-06 06:00:00 | 奈良・和歌山
和歌山の街をGoogleマップで俯瞰すると、紀ノ川の河口を西に見晴らす高台に城が築かれ、その周りを和歌川や市堀川といった水路が外堀となって守っていることがわかる。城山は現在、街を東西に貫く「三年坂通り」で分断されているけれど、かつての城域は天守から南方の紀州徳川家の菩提寺の先まで続く、広大なものだったのだろう。その丘陵の一角に、県立の美術館と博物館が並んでいる。和歌山市民は、一等地に文化施設を置いた。 . . . 本文を読む
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914 和歌山①(和歌山県)女子高生古風な制服城下町

2020-12-05 20:22:13 | 奈良・和歌山
「吉野川が紀の川と名を変え、ほぼ一直線に西へ流れ下る川筋に、ずっと沿い続けて和歌山の街に至る鉄路がある」「日本地図に興味が湧き始めた小学生のころだった。これほどの長距離を、川にぴたりと沿って走る路線があることを発見した私は、いつかこの鉄道に乗ってみようと思ったのだった」。これは1991年9月1日、奈良・五條から念願のJR和歌山線に乗車した際のメモだ。約30年後に思いを達したことになる。 . . . 本文を読む
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913 湯浅(和歌山県)はるばると醤油湯浅はミカン色

2020-11-25 13:42:48 | 奈良・和歌山
大阪で単身赴任生活を送ったのは、もう30年も昔のことになる。そのころ大阪駅前のビルの地下街にある小さなカレー屋へ、よくお昼を食べに行った。勤務先に近く、ビーフカレーの野菜が美味かった。ある日、店のおばちゃんが「昨日、ユアサに行ってきたのよ。今日の隠し味よ」と自慢げに言った。関西人ならそれで「醤油を使っているのだな」とピンとくるらしいが、私はその時初めて、和歌山に湯浅という「醤油発祥の街」があることを知った。 . . . 本文を読む
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912 根来(和歌山県)秋の陽に根来大塔ぬくもれり

2020-11-24 14:07:24 | 奈良・和歌山
年が明ければ後期高齢者の仲間入りをする私だから、これまでにずいぶん多くの神社仏閣に詣でてきたことに不思議はなかろう。いささか奈良大和に偏っているというのも、私の嗜好からしておかしなことではない。それでもなお行き残していると気がかりな寺の一つに根来寺があった。その存在を記憶したのはおそらく小学生のころだと思うから、ずいぶん長い間、気にかけていたことになる。秀吉と戦った根来衆を、子供心に応援したのである。 . . . 本文を読む
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175 九度山(和歌山県)・・・山中にへばりつくかな十勇士

2008-11-08 14:40:10 | 奈良・和歌山
「九度山」は「くどさん」ではなく「くどやま」と読むことすら知らなかった私だが、なぜかこの地名に出会うとドキドキしてくる。その原因が「真田十勇士」にあることは察しがついている。そう、猿飛佐助に霧隠才蔵である。子どものころ熱中した漫画の興奮が、この土地の名とともに蘇ってくるのだ。かつらぎ町天野から町石道を下って来た私は、いつの間にか九度山町に入り込んでいて、ドギマギしたのだった。 真田十勇士は、チ . . . 本文を読む
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174 かつらぎ(和歌山県)・・・町石と語らいながら参詣道

2008-11-07 20:22:12 | 奈良・和歌山
「八町坂」を登り切ると、石造りの鳥居が2基、並んで建っていて、周囲が小さなテラス状の展望スペースになっていた。「町石道」をたどって高野詣に向かう人々が、高野山奥の院・丹生都比売神社をここから遥拝するのだといい、それにふさわしい晴れ晴れとした眺望である。神社はどこにあるのかよくわからないけれど、盆地全体が神域であると考えれば、手のひらでそっと掬い取ることができるような、何やらありがたく見える眺めで . . . 本文を読む
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173 天野3(和歌山県)・・・窃やかに西行暮すと人の言ふ

2008-11-06 21:58:03 | 奈良・和歌山
和歌山県かつらぎ町天野の丹生都比売神社。私のバスと同時に到着したワゴン車の人たちが、ぞろぞろと参拝に向かっている。幼女もいるから4世代ほどの家族だろうか、腰の深く折れ曲がったおじいさんを労わりながら、楼門で深々とお参りしている。遍路装束の中年男性が菅笠姿でやって来て、足早に参拝を済ませ立ち去って行った。支配しているのは静寂である。私は朱の太鼓橋に登り、写真を撮りまくっている。 こんな鄙びた山里 . . . 本文を読む
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172 天野2(和歌山県)・・・丹生の姫桃源郷におわします

2008-10-31 10:30:05 | 奈良・和歌山
かつらぎ町営のコミュニティーバスは、家庭用のワンボックスカーに料金箱をつけただけの可愛いものだった。しかし乗客はおじいさんと私だけだから、車内はゆったりしていると言えないこともない。道は紀ノ川を渡るとすぐに山となり、つづれ織りを繰り返しながら登って行く。やがてトンネルとなって峠を越えたのだろう、突然、陽光あふれる野に飛び出した。見渡す限り稲穂に埋まる黄金郷である。天野だ! その最初の印象は「広 . . . 本文を読む
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171 天野1(和歌山県)・・・西行が暮らしたというかくれ里

2008-10-29 23:48:25 | 奈良・和歌山
還暦が近づいて、リタイア後の計画を練っていたころ、《どうしても行ってみたい土地がある》と書いたことがある。《「天野」である。高野山へのメインルート「高野街道」が通じる和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野。丹生都比売(にうつひめ)神社が鎮座する山中の小天地らしい。山路を行く覚悟を固めるため、休日はウォーキングを心がけ、地図を点検し、空想散歩で脳内ストレッチを繰り返している。今の気分は「早く来い、定年」な . . . 本文を読む
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170 橋本(和歌山県)・・・紀ノ川は侘しき街を黙々と

2008-10-24 21:19:01 | 奈良・和歌山
もう、一昔も前のことになるが、奈良県五條市から和歌山市まで、JRのローカル線に乗って旅をしたことがある。大阪に帰るには、和歌山県に入って間もなくの橋本駅で南海電車に乗り換えれば済む話なのだが、紀ノ川の右岸を川に沿って延々と下っていく路線を地図上に眺め、乗ってみたくなったのだ。暇だったのである。世の中をリタイアし、さらに暇になったものだから、今度は橋本で下車してみることにした。 街の形成には地形 . . . 本文を読む
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169 生駒(奈良県)・・・美しき屋根はふわりと飛びたたん

2008-10-18 18:49:43 | 奈良・和歌山
《美》に出会いたい。人はなぜそうした欲求に襲われるのだろうか。絵画であれ音楽であれ、はたまた風景や人物でも、美しいものに出会うことは人間の根源的喜びである。「なぜそうなのか?」と考えてみたいのだが、答えはなかなか見当たらない。その時も、大阪の雑踏を歩いていた私は「美しいものを眺めたい」という衝動に駆られた。そこで生駒を目指す。今日の《美》は建造物である。そこには美しいお堂があるはずなのだ。 「 . . . 本文を読む
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136 竹内(奈良県)・・・とぼとぼと飛鳥人なりわが歩幅

2008-06-08 00:44:37 | 奈良・和歌山
堺の辻で「竹内街道」に思いを馳せたものだから、かつて大和・当麻の竹内(たけのうち)を歩いた記憶を呼び戻してみる。・・・私は1997年1月3日、まだ當麻町竹内だった(合併により葛城市に編入)鄙びた里の道を歩いていた。司馬遼太郎氏が「もし文化庁にその気があって道路をも文化財指定の対象にするなら、長尾―竹内間のほんの数丁の間は日本で唯一の国宝に指定されるべき道であろう」と書いた道である。 長尾の集落 . . . 本文を読む
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