◆先週末からの、テンション低下の過程で、MIMIKA BLOGを出発点とする、いくつかの企みが、一頓挫をきたしたことは残念だが、しかし、
(1)テンション低下状態というのは、孤独に沈潜し、沈思黙考しやすい環境であること―― (2)また、これは、わたしの場合に限定した話だが、テンション低下と、堀辰雄書簡が密接不離、あるいは不即不離の関係にあること――等、 わたしにとって大きな発見があった。
通常、テンションが下がると、未来も過去も、あるいは、右も左も見渡しにくくなる……というか、そもそも、未来も過去も、あるいは、右も左も見たくないし、考えたくもないという気分に陥る。 仕事をするときや、何かを記述するときは、やはり、それでは困る。 見通しがきいたほうがいい。 だから、必死でテンションを上げようとするし、そのための、いくつかの方法も自分なりに体得している。
それが、今回、テンション低下状態も、結構、いいもんだぁ~となったわけだ。 未来も過去も見えない。 右も左も関係ない。 自分の五感を頼りに、ナメクジみたいに、ノロノロ、這いまわっていく……、ま、わたしのことばでいえば、感覚思考(または1次思考)だ。 この感覚思考、および、感覚思考の発露が、大の苦手だから、このテンション低下状態を大切にして、一から修業し直したいと思っている。
◆ただし、わたしの場合、「激昂」すると、すぐにテンションが上がるから、よほど気をつけなければいけない。
若い頃、定期購読していた朝日新聞に、毎朝、どなっていた。(購読しなければどならなくてもいい……ということに気づくまで、しばらくかかった。) TVに美濃部の勝利宣言が放映されたときは、TVを庭に放り投げる寸前まで激昂。
もちろん、もう、そういうことはなくなったが、でも、今でも、TVに、女優Mとアヒルが出てくる生命保険のCMが流れると、Mに向かって「ひっこめぇ~!」とどなっている(^_-)(^_-)。(「篤姫」は興味があったが、Mがイヤだったので、遂に1回もみなかった。)
◆テンションが下がらないと、語れないことがある。
(この画像は、ニューカレドニアのアメデ島ですが、本文に関係はありません。画面づくりのテストのための挿入です。)
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