◆江藤淳の命日。
早朝、『西御門雑記』を読む。
これは、S58、日本経済新聞に連載した身辺雑記をまとめたものだ。
「地名という詩」「様式なき世紀末」「『旗日』と晴れ着」「里見氏を偲ぶ」「遊ぶ子供たち」……と、読み進むうちに、いつしか活字の行間から、江藤淳の肉声(語り)が聞こえはじめた。
その肉声の具体的な響き、具体的な表情を記述したいという誘惑にかられたが、それをとどめ、散歩に出る。
江藤淳が、まぎれもなく、ここにいる……という感じを、自分のうちに内包しながら、馬淵川河川敷の自転車道を、男桐下駄カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き(4660歩)。
自刃直後に、弔う意味で、江藤淳が、ここにいる……という感じを保持しつつ、志塚Tと十和田湖一周、雨中激闘ウォークをしたことがある。
あのときには、その日、鎌倉近辺を襲った激しい夕立とか、その夜、暗渠に流れ込んだ雨水の轟音とかというイメージが、はらってもはらっても、はらいきれなかった。
きょうは、それはない(ま、ないことはないけど……)。
男桐下駄カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き中、わたしの耳に響いていたのは、古い話になるけれども、『日本と私』~「朝焼け」~で、友人のY(山川)が帰っていくとき、バルコニーごしに坂を降りていくYの姿を確認しようと下を見ながら、ああ、朝焼けの美しさを言い忘れたぁ……と後悔しているときの、江藤淳の「語り」だった。
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