職員室通信・600字の教育学

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発泡酒を飲みながら、シマダのピーナッツを食べている。

2009-07-25 11:25:26 | Weblog


◆発泡酒を飲みながら、シマダのピーナッツを食べている。
 いや、いつも迷ってしまうのだけれど、これは反対で、シマダのピーナッツを食べながら、発泡酒を飲んでいる……とすべきか?

 どちらにしても、そうしながら、「蟄居」とか「沈潜」とかについて考えている。

(1)たびたび「みなみ退場後、蟄居」という言い方をしている。
(2)同時に、ほぼ同義語として「沈潜」という言い方もしている。

 無造作に同じように使ってきたけれども、それを使うときの自分の気持ちに照らして考えると、
(1)「蟄居」は、多くの人々から「水平的」に遠ざかろうという意味がこめられている。
 これに対して、(2)「沈潜」は、多くの人々から「垂直的」に遠ざかろうという意味がこめられている……ように感じる。

◆またまた古い記述群に「沈潜」という語で検索をかけると、BBSへの返信に次のような記述があった。
 ハンドルネームmerodye(jamrin)さんへの返信だ。

 「常に沈潜していたいと思うのですが、錘の重さが足りないせいか、2003年は上下する波に引っぱられて、プカプカプカプカという毎日でした。
 やっと年末年始の休暇に入り、沈潜して瞑想する生活に近づきつつあります。」

 2003年というと、プロフィールをみると、市役所勤務最後の年だ。
 デスクにいるわたしには、直接&間接、いろいろな「批判」の声(←もちろん、わたしへの……)が聞こえてきた。
 役所の部下からの批判。
 上司にあたる人々からの批判。
 現場(社会教育&学校教育)の人々からの批判。
 そういう声の聞こえないような、海の底で「貝」になって暮らしていたい……という心境だ。
 (25万人の町の行政の、いくつかの部門の、またそのいくつかの部門の、単なる1責任者という立場でも、ま、こんなありさまなんだから、麻生氏や安倍氏は、ホンマ、強靱な人々や……と、いつも思う。)

 赤ワインのボトルを、海か沼の底の暗闇に沈めたいのだけれども、ボトルに空気が入っているのか、なかなか暗闇に隠れることができずに、ボトルの底の部分が「プカプカ」して、みっともない格好になっている……というイメージだ。

◆現状も(「蟄居」にしても「沈潜」にしても)、これとあまり変わりかがない。
 赤ワインのボトル。
 沼の底。
 暗闇。
 これらのメタファーで、もう少し思考してみたい。
 赤ワインのボトルは、ウイスキーのボトルに変えるかもしれない。

 いや、当時の自分というもののカタチの半分くらいは、役所の人々、教育現場の人々の視線の集積、あるいは、わたしとの相互視線の集積だといってよいと思うから、赤ワインにしても、ウィウスキーにしても、ボトルをボトンと海の底に……というメタファーではダメなのかもしれない。
 たぶん、沈潜が成功すると同時に、ボルトが粉砕してしまうのではないか?


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