職員室通信・600字の教育学

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★茫漠の時空間、疾駆フォーム復元のために、午前中、「フーコーの振り子」の前で、1人たたずみつづける

2012-06-10 14:52:57 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

06.10
ドド~ンと落ち込んだ状態からの立ち直りは、人生、永遠のテーマやね


★いつもいつも同じ話をクドクドと――もし、ときどき、このHPをみてくださる方があるとすれば、その方には――ホンマ、申しわけなく、僕自身、はずかしくもあるのだが、またまた先月の『新企画』失速に関する話だ。

 『新企画』=「茫漠の時空間=僕の過去」を「現在の僕」が「職員室通信のカタチ」で疾駆する)――の、「5月分」が、僕が5月のゴールデンウィークあたりから失速状態に陥ったことに伴い、ぜんぶ吹っ飛んだ件……。

 原因は粗く2つある。

 ひとつは、連休直前に届いたコンポ(=パイオニアX-HM50)を、僕が、昔々、初めてもらった給料でゲットしたスピーカー(=音響コーラルFLAT―6S)に接続し、想定していた「茫漠の時空間=僕の過去」の範囲が、怒濤のように拡がり、疾駆のバランスを崩したこと。……

 もうひとつは、まったく同じ時期に、僕が現在、棲息しているDAKA古書店跡の壁面4面のうち、1面を舞台化し、その舞台上で僕を「キャラ立ち」させて(^_^)v、新境地を拓こうとしたこと。
 キャラ立ちさせることにより、「茫漠の時空間=僕の過去」を疾駆する、僕のランニングフォームが崩れた。……


 ならば……と、疾駆フォーム復元のために、昨日、こんなちっぽけなこと――想定の時空間が拡がったこと、あるいは、新キャラが登場したこと――等を、吹き飛ばす、もっとスケールの大きな枠組みに自分のカラダを置いてみることにした。

 午前中、「フーコーの振り子」の前で、ひとり――ま、もちろん、まわりには、はしゃぐ子どもたち、それを叱る親たち等々、ちょっとしたさんざめきがあったのだが、僕の得意な、強制的に孤独の半醒半睡状態を創りだし――たたずみつづける。
 地球の自転によって振り子の振動方向が少しずれていき、振り子が、周囲を円形に取り囲む木製ドミノ牌のひとつに当たると、カチッと硬質な音を響かせて倒れる。
 カチッという響きが、自分が宇宙の星の一つに存在し、星々の運行に身をゆだねているのだということをわからせてくれる。

★先週の全校朝会のスピーチ。
 僕の記憶と手もとのメモから、文字化すると――。


〈全校朝会のスピーチ〉
 新学期がスタートして、4月、5月と、2ヶ月が過ぎた。
 きょうは、ちょうど、1学期の中間点だ。
 始業式や入学式で話したように、中学という時代は、人生、独立に向けて、一歩一歩前進していく時代だ。
 独立に向けて一歩一歩前進するというのは、
 ①育ててくれている人にかける心配の量を減らしていくこと、悲しませる量を減らしていくこと、
 ②使わせるお金の量を選らしていくということだ。
 ③そして、逆に、喜んでもらう量を、どんどん増やしていくことだ。
 1学期の中間点にあたり、自分が、そのことができているかどうかをチェックしてみよう。
 そして、きょうからまた、気持ちを入れかえて、中学という時代の、一歩一歩をスタートしよう。

 そのスタートにあたり、わたしが、今、みなさんについて、かなり気にしていること……心配していることがある。
 その心配の中味を話します。
 人生、生きていると、ド~~~ン!と落ち込むことがある。
 特に、人生独立に向けて、一歩一歩前進しはじめたときには……。
 ド~~~ン!と落ち込んで、もう生きる意味もなにもわからなくなるということがある。
 わたしは、この落ち込む経験が、むしろ人生にとって大事なことだと思っているし、さらに、その落ち込みから、どうはい上がるか、これはもっと大事なことだと思っている。

 友人の励ましで、はい上がることもある。
 親の励ましで、はい上がることもある。
 先生の励ましで、はい上がることができたということもある。
 それは、わたしも経験があるし、また、たいへん貴重なことだと思っている。

 しかし、これだけでは、ダメなんだ。
 はっきりいうけれども、これだけでは、あまい。
 あまえている。
 ピンチに陥ると、いつも、だれかが声をかけてくれるのではないか……と期待する。
 これまでのわたしの経験からいうと、そういう期待は、薄汚れた期待といっていい。
 友人の励ましを待つのではない。
 親の励ましを待つのではない。
 先生の励ましを待つのではない。
 そうではなく、自分で自分を励ます、自分で自分を励ますことによって、ド~~~ン!と落ち込んだところから、はい上がっていく力をもたなければいけない。

 「では、自分で自分を励ます力って、どうすればつくんですか?」と質問する人があると思う。
 これは……う~ん、ま……しかし……やはり、自分で見つけだす以外にない。
 そういう方法があるなら、わたしも聞きたいくらいだ。
 わたしも今、あることで自分に絶望している。


 ただ、君たちの人生の先輩として、ヒントなら与えることができる。
 それは、だれかが励ましてくれるのを、ただ待つのではなく、自分から「先生、今、わたしはこういう状態です。どうしたらいいでしょうか?」と、たずねることだ。
 「お母さん、どうすればいいでしょうか」と、自分からたずねることだ。
 「おじいさん、どうすればいいでしょうか」と。
 それに、もうひとつ、自分の苦しみにこたえてくれる書物をさがしてみることだ。

 6月、いや、6月、7月、みなさんが、自分で自分を励ます力をつけることに挑戦してくれることを、強く望みます。

 話は、これで終わりです。
 話は、いったん終わって、はずかしいが、少しだけ、わたし自身のことを話す。
 わたしが25歳か、26歳の頃、すごく落ち込んでしまったことがある。
 3月から4月にかけてのことだった。
 落ち込んでしまい、春の連休は、もうだれにも会わず、ずっと寝ていた。
 仕事(教師)もやめようと思っていた。
 そのとき、すぅ~っと伸ばした手に触れた書物がある。
 偶然というのは、ほんとうに不思議なものだ。
 手に触れた書物を読みはじめると、止まらなくなった。
 何時間も読みつづけた。
 そして、読み終わったとき、わたしはすごく元気になっていた。
 その書物が、ド~~~ン!と落ち込み、周囲が真っ暗闇だと感じているわたしに「だいじょうぶだよ。真っ暗闇と向かい合っていると、きっといいことあるよ」と、わたしを励ましてくれた。
 ま、今から振り返れば、その書物がわたしのエネルギーになって、わたしは、光を発する深海魚みたいに自家発電しはじめたのではないか……と思う。
 
 きょう、出かけに、その書物を持ってきました。
 これです。
 書名は『○○○○○○○○○○』
 作者は、○○○さんです。
 今は、もう絶版になっています。
 図書室のT先生に頼んで、図書室に置いてもらいます。
 図書室に寄贈します。
 読んでみようと思う人は読んでください。

 以上で、わたしの話を終わります。


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