◆きょうは、いつ以来のことかわからないくらいの「完全休日」だ。
休日でも、その日の終わりに会合や面会の予定が入っていると、一日中、落ち着かないタチだ。
きょうは、そういう「会合」などがいっさいない……という意味で「完全休日」。
ただし、やや風邪気味で、残念。
◆室温を上げて(27℃設定)書棚をみていて、無意識のうちに『COULEURS』という写真集を手にとる。
帰国するとき、Ville de Dumbeaの方からおみやげにいただいたニューカレドニアの大判写真集だ。
今は、日本とは逆に、真夏にむかって気温がグングン上昇している頃だ。
アメデ島のページを開く。
この無人島をグルッと一周した。
島の裏側に回ると、白い砂にはだれの足跡もない。
ふりかえると、ここまでの自分の足跡だけがある。
透明な海際に立ち、さえぎるもの一つない太平洋を見わたしたしていると、「自分は今、南太平洋の孤島に、こうして独り立っている」という、魂が宇宙に抜けていくような感動があった。
◆F.O.Lの丘になんども上った。
40年近く前に、鉱石運搬船サザンクロス号でヌメアに入港した森村桂さんが『天国にいちばん近い島』で〈道のつきあたりは高台で、左手に赤い屋根の石造りの教会がある〉と書いている。
その高台がF.O.Lの丘だ。
セント・ジョセフ大聖堂の裏側から、ヌメアの街全体を見渡せる。
現在は、森村さんが見た〈歩いて5分か10分で終わってしまうような小さな町〉ではなく、視野いっぱいに「地球の裏側にあるもうひとつのパリ」の街がひろがっている。
大聖堂の赤い屋根と、白いヨットが係留されたモーゼル湾のコントラストが美しい。
ふと、次の一節が浮かんだ。
〈「カナック!」突然レモ(酋長の息子)の目が天を向いて光ったかと思うと、彼は叫んだ。〉
〈フランス政府に占領されて、ニッケルのお金が全部本国へ行ってしまおうと、レモたちは文句をいわない。けれど、観光事業のことには反対している。……彼らのほしいのは、お金ではない。ゆたかなヨーロッパ風の生活でもない。〉(『天国にいちばん近い島』から)
この街のどこかに、レモや、レモの呼びかけを熱心に聞いていたマルチダやペテロたちが住んでいるのだろうか?
◆ヌメアには、9つのバス路線があって、15分から30分おきに循環している。料金は一律140CFP(パスフィック・フラン)、日本円にして160円くらいで、乗るときに支払う。
運転手はスーパーのレジのようなものを開いて、世間話をしながら、料金を受け取ったり、おつりを出したりする。
ラジオの音楽をガンガン鳴らしながら走るから、車内はにぎやかだった。
◆朝市でパンを買い、ココチエ広場のベンチに座って食べたことがある。
向かいのベンチで、大きな花模様の衣服を着た女性が二人すわっていた。
新聞を読んでいる老人もいた。
一家で木陰に休み、ふざけたり、しゃべったりしている人たちもいた。
不思議だったが、そのほとんどがメラネシア系の人々だ。
ヨーロッパ系が34%といわれているが、公園でくつろいだり街角でたむろしているヨーロッパ系の人々はほとんど、いや、まったくといっていいほどみかけない。
隣の木陰でアロハシャツを着た数人の青年たちが伏し目がちにボソボソと語り合っていた。
「レモ」の孫にあたる世代だ。
無性に語りかけたくなった。
しかし、わたしはフランス語ができない。
このときほは、ことばができないことを残念に思ったことはなかった。
◆帰国が近づいたとき、中央郵便局の近くにあるインターネットカフェに入った。
日本を出るとき、もしチャンスがあれば、旅の終わりにニューカレドニアから自分のホームページにメッセージを送ろうと考えていたのだ。
料金は30分間500CFP。
PCに向かってURLを打ち込むと、なつかしい自分のホームページの画面が開いた。
ただし、日本語ワープロソフトの環境がないため、日本語は読めるが、日本語は打てなかった。
「ワレ南海ノ孤島ニ立テリ」と打つつもりだったが、計画を変更して英語で打つことにした。
Now, I am standing on the solitary island in the South Pacific.
◆日本に帰ったら、森村桂さん(2004年9月27日、長野県内の病院で逝去。死因は自殺と見られている)の向こうを張って『ワレ南海ノ孤島ニ立テリ』を書くつもりだったが、結局は仕事の嵐に巻き込まれ、こうしてただ『COULEURS』のページをめくっているだけだ。
けど、ニューカレドニアのことを思い出したら、少しあたたかくなった。
おおきにィ! レモ! マルチダ! ペテロ!
休日でも、その日の終わりに会合や面会の予定が入っていると、一日中、落ち着かないタチだ。
きょうは、そういう「会合」などがいっさいない……という意味で「完全休日」。
ただし、やや風邪気味で、残念。
◆室温を上げて(27℃設定)書棚をみていて、無意識のうちに『COULEURS』という写真集を手にとる。
帰国するとき、Ville de Dumbeaの方からおみやげにいただいたニューカレドニアの大判写真集だ。
今は、日本とは逆に、真夏にむかって気温がグングン上昇している頃だ。
アメデ島のページを開く。
この無人島をグルッと一周した。
島の裏側に回ると、白い砂にはだれの足跡もない。
ふりかえると、ここまでの自分の足跡だけがある。
透明な海際に立ち、さえぎるもの一つない太平洋を見わたしたしていると、「自分は今、南太平洋の孤島に、こうして独り立っている」という、魂が宇宙に抜けていくような感動があった。
◆F.O.Lの丘になんども上った。
40年近く前に、鉱石運搬船サザンクロス号でヌメアに入港した森村桂さんが『天国にいちばん近い島』で〈道のつきあたりは高台で、左手に赤い屋根の石造りの教会がある〉と書いている。
その高台がF.O.Lの丘だ。
セント・ジョセフ大聖堂の裏側から、ヌメアの街全体を見渡せる。
現在は、森村さんが見た〈歩いて5分か10分で終わってしまうような小さな町〉ではなく、視野いっぱいに「地球の裏側にあるもうひとつのパリ」の街がひろがっている。
大聖堂の赤い屋根と、白いヨットが係留されたモーゼル湾のコントラストが美しい。
ふと、次の一節が浮かんだ。
〈「カナック!」突然レモ(酋長の息子)の目が天を向いて光ったかと思うと、彼は叫んだ。〉
〈フランス政府に占領されて、ニッケルのお金が全部本国へ行ってしまおうと、レモたちは文句をいわない。けれど、観光事業のことには反対している。……彼らのほしいのは、お金ではない。ゆたかなヨーロッパ風の生活でもない。〉(『天国にいちばん近い島』から)
この街のどこかに、レモや、レモの呼びかけを熱心に聞いていたマルチダやペテロたちが住んでいるのだろうか?
◆ヌメアには、9つのバス路線があって、15分から30分おきに循環している。料金は一律140CFP(パスフィック・フラン)、日本円にして160円くらいで、乗るときに支払う。
運転手はスーパーのレジのようなものを開いて、世間話をしながら、料金を受け取ったり、おつりを出したりする。
ラジオの音楽をガンガン鳴らしながら走るから、車内はにぎやかだった。
◆朝市でパンを買い、ココチエ広場のベンチに座って食べたことがある。
向かいのベンチで、大きな花模様の衣服を着た女性が二人すわっていた。
新聞を読んでいる老人もいた。
一家で木陰に休み、ふざけたり、しゃべったりしている人たちもいた。
不思議だったが、そのほとんどがメラネシア系の人々だ。
ヨーロッパ系が34%といわれているが、公園でくつろいだり街角でたむろしているヨーロッパ系の人々はほとんど、いや、まったくといっていいほどみかけない。
隣の木陰でアロハシャツを着た数人の青年たちが伏し目がちにボソボソと語り合っていた。
「レモ」の孫にあたる世代だ。
無性に語りかけたくなった。
しかし、わたしはフランス語ができない。
このときほは、ことばができないことを残念に思ったことはなかった。
◆帰国が近づいたとき、中央郵便局の近くにあるインターネットカフェに入った。
日本を出るとき、もしチャンスがあれば、旅の終わりにニューカレドニアから自分のホームページにメッセージを送ろうと考えていたのだ。
料金は30分間500CFP。
PCに向かってURLを打ち込むと、なつかしい自分のホームページの画面が開いた。
ただし、日本語ワープロソフトの環境がないため、日本語は読めるが、日本語は打てなかった。
「ワレ南海ノ孤島ニ立テリ」と打つつもりだったが、計画を変更して英語で打つことにした。
Now, I am standing on the solitary island in the South Pacific.
◆日本に帰ったら、森村桂さん(2004年9月27日、長野県内の病院で逝去。死因は自殺と見られている)の向こうを張って『ワレ南海ノ孤島ニ立テリ』を書くつもりだったが、結局は仕事の嵐に巻き込まれ、こうしてただ『COULEURS』のページをめくっているだけだ。
けど、ニューカレドニアのことを思い出したら、少しあたたかくなった。
おおきにィ! レモ! マルチダ! ペテロ!
ニューカレドニアですか!あんまりなじみのない島ですが、何となく「白」のイメージがあります。笑 神聖な感じかな?
また遊びに来ますね☆ぽちり★
森村桂さんの「天国に一番近い島」は懐かしかったです。
ニューカレドニアの子供達の写真、良いですね!
いろんな所で活躍されているんですね♪
ランクリはどこでするんですか?
無人島の誰の足跡もない砂浜を歩くなんて、最高の贅沢ですね!
行ってみたいです(^^)