職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

発行したものを「読む人々」が「観客」だと考えると、わたしはいわば、劇場の座付作者ということになる

2006-11-25 14:04:38 | Weblog




■教師にとって教室は舞台だ。

 わたしは、その舞台の裏で、毎日、せっせと授業を記録し、A4、2枚にまとめ発行していきたい。
 発行したものを「読む人々」が「観客」だと考えると、わたし(=小高)はいわば、劇場の座付作者ということになる。

 これまでもポツポツとは発行してきた。
 でも、ポツポツとではダメなのだ。
 ポツポツと発行する「スタイル」は既にできている。
 しかし、毎日せっせと発行しつづける「スタイル」はできていない。
 今年じゅうに完成させたい。

■11/13 2時間目、須藤裕美Tの学活の授業(1年2組)を参観した。

 座付作者として、その日のうちに、即「発行」しなければいけなかったのだが、せっせと……どころか、10日たっても発行できなかった。
 弁解になるが、出張がつづいたし、参観日の準備、教職員の定期異動事務に追われた。
 どんなことがあっても、劇場の座付作者として、ビクともしない、ぐらつかない、しっかりとした「スタイル」にたどりつかなくてはならない。

 題材名は「自分の特徴を知ろう」(3時間計画のうちの2時間目)。
 エゴグラム(←この検査の説明は省略する。ご存じない方はインターネットで検索をかけて調べてみてほしい)を使い、自分で思っている「自己」と、他者からみられている「自己」の相違から、自分を分析し、さらに高めるために必要なことを考えよう……という授業だ。

■いい授業だった。

 わたしは、今は座付作者だが、元々は授業者だから、参観していると、からだが自然に反応する。
 マズイ授業だと、フリーズしたり、汗が吹き出たりする。
 これは比喩ではない。
 ほんとうに、こういう現象が起こるのだ。

 この点、きょうの須藤Tの授業は、参観していて(自分のうちに浮かびあがったことばをそのまま記述するとすれば)自分の精神が心地よいリズムで歩行&ダンスしているのがわかった。

 今、手元に『教務通信57号(文責 志塚聡)』(現在は、朝の校長、教頭、教務主任の打ち合わせ時にしか登場しないが、やがて職員室にも配られる予定。以下、〈教57〉)がある。
 ここでも、今回の授業が取り上げられていて「発問・指示等の基本が基準レベルを超えているので授業が安定している」「教師の表情がよい。笑顔がすばらしい。生徒の表情もとてもよく、楽しい雰囲気で授業が行われていた」(志塚)とある。

 わたしの感覚を裏付ける記述だ。
 「発問・指示等の基本が基準レベルを超えている」の具体例として、
 ①作業内容、作業時間等、作業開始時の指示が的確だ。
 ②「達成状況をきちんと確認している(志塚)〈教57〉」。挙手の数え方も「2、4、6」と数えるために速い。
 ③「終わった人は、グラフを……」と次の課題を提示し、空白をつくらない工夫している。(ただし、はじめに指示しておくべき。)

■もう1つの要素が「語り」だ。

 「語り口調がやわらかで聞きやすい(古館)〈教57〉」。
 同感である。
 夏期休業中の模擬授業では、声質がやや高く、かつ大きいという印象を受けたが、きょうは、かなり抑えられ、やわらかく、かつメリハリがきき、リズムがあった。

 生徒への感謝、ねぎらい、感動のことばも自然だ。
 もちろん、「あの~」「えぇ~ッと」などは一切ない。
 ふと一瞬、授業の名人・野口芳宏氏の語りが、わたしの頭をかすめた。

 また〈授業の展開前半〉自分がよいと思っている点をチェックカードに書かせる場面で、「はい、1分たちました。まだ書いている人がいます。書きあげた人は手を置いて……もう少し待って」という指示を出すとき、通常よりぐっと声量を落としている。
 これだと作業を継続している生徒はほとんど気にならない。

■課題を2点。




★1つが「青い山脈型」に流れることだ。

 〈教57〉にも同じ指摘がある。
 (もちろん、青い山脈型がすべて悪いとは思わない。青い山脈型で、流したほうがいいという場面もないことはない。)

 導入の場面だった。
 まず、
 ①生徒に教師(=須藤T)のよい点をあげさせる →
 ②そのあと教師自身が自分でよいと思っている点をあげる →
 ③この両者を比較して、自分が思っている自己と他者からみられている自己に相違があることを気づかせる……という場面(2分間)だ。
 須藤Tは、ここを、いわゆる青い山脈型でサラッと流したのだが、もっと鮮明に「違い」を印象づける工夫が必要だ。

 わたしだったら「わたしが自分でよいと思っている点」を3つ書いた張り物を用意し、黒板に伏せておく。
 生徒には30秒間考えさせたあと、列指名などで発表させて、その発表内容と対比して、「違い」を鮮明にする。

★もう1つが、生徒が主役になる場面が一度もなかったことだ。

 もちろん教師が主役でいいし、授業は教師が主役でなければならないと考えている。
 だが、生徒が主役の場面も創出しなければいけない。

 「黒い線(自己評価)、赤い線(他者の評価)を見くらべてどう思うか?の発問に対して何人かに発表させるべきだ(舘田)〈教57〉」は、このことを指摘している。
 同じく「終末が説教みたいな感じになったが、それでいいのか?(志塚)」もそうだ。
 作業内容の密度が高い授業なので、説明→作業→説明→作業……という流れはやむをえないが、生徒が主役になる場面を設定するとすれば、舘田T、志塚Tが指摘する場面だった。

(文責 小高 進)

■画像は、須藤T。

[2006年11月25日(土)]


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