職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★プロ教師塾シリーズ「高等学校入学者選抜システムについてコメントは避ける言いつつ既にブレている」編

2014-03-03 21:00:21 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★宮崎駿の「かつての交戦国の戦闘機をつくった男の映画を……」コメントはよかった
2014
03.03

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★ひな祭り。
 ひな人形にお寿司を供えた。
 厄を引き受け、幸せを祈ってくださる……ホンマ、ありがたいことである。
 僕もいっしょに一個、食べた。

★2月は、チェンバロ協奏曲第3番ニ長調BWV1054、第5番ヘ短調BWV.1056 、それにイギリス組曲と、バッハばかり聴いていた。
 3月に入って、またバルトークを聴いている。
 歩き出し、立ち止まり、また歩き出し、やがて立ち尽くす……今の僕にピッタリだ。
 弦楽四重奏曲第1番。
 弦楽四重奏曲第2番。
 (評判のいい、3番、4番は、僕の場合、あまり聴かない。)

★アメリカとの関係がいちばんやっかいだ。
 僕はムカムカしている。
 そのムカムカにアメリカはスゴク敏感だ。
 こういう空気の中、本日、米アカデミー賞長編アニメ賞を逃した宮崎駿のコメントはよかった。
 「ノミネートまで持っていってくれただけで十分。かつての交戦国の戦闘機をつくった男の映画を、米国の友人たちが作品として評価してくれた。」
 ムカムカを察してくれたのか?
 吹きだしてしまった(^_^)v。

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職員通信 2014/03/03号
★教師修業シリーズ「県立高等学校入学者選抜システムについてコメントは避ける言いつつ既にブレている」編
 
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◆業務メモ ★朝、学校にやってくる――僕はいつも「1番」をねらって出勤――と、玄関には既にM君、I君、S君たちがいる。「おはようございます」と元気なあいさつが返ってくる。
 毎日、響く歌声。夏にはホタル、秋には花梨(カリン)がいっぱい……、こういう時空間が、いつまでも、いつまでも、つづいていくような気持ちでいる。
 これが終わりになって、なじみの人々の声が聞こえなくなるというようなことはあまり考えない。
 ところが、いよいよ3月。
 卒業。
 MINAMIのドラマも、きょうで終わり……という日が近づいている。
★新年度の教育課程編成時に学校経営に関する自校評価をした。
 「校内研修」がきわだって高かった。
 僕らが、模擬授業研修等を通して、目標と励みを獲得し、MINAMIの研修の進め方に自信と誇りをもっているからだろう。
 今後のことについて、(前回、①「パート練習の組み入れ」について触れた。
 くわえて、②現在、実施しているminami小との合同模擬授業の拡大(年1回→2回)
 ③本校には教師用「指導力(授業力)向上の5原則」に対応して、学ぶのは生徒である……自ら学ぶ姿勢ができていないと効果はあがらないということで「生徒用・学力向上の5原則」がある。
 「通信表」の評価項目になっている。
 また生徒会活動(学習委員会)とも連動している。
 ただ、模擬授業研修ではあまり意識されていない。
 意識するとことによって、飛躍的に指導技術が向上すると感じている。
 参考「生徒用・学力向上の5原則」=「授業の目標やねらいをしっかりとつかもう」「話し手にへそを向けて聞こう」「正しい発声をし、適切な声量で発言しよう」「ノートは速くていねいに書こう」「作業・活動に素早く取り組もう」。
 ★画像=きょう、中森Tの教室で見つけたひな人形。風が吹いたとき金屏風が倒れた。(◆業務メモ、以上)


★先日、県立高等学校入学者選抜システムについて、報道関係者から取材を受けた。
 以下は、僕のコメントの一部を再生したものだ。
 その報道関係者と僕の間に信頼関係が構築されていなかったので、かなり慎重な――ある意味でどうでもいい――内容になっている。

★教育という仕事は、調和のとれた人間的発達を至上の価値ととらえ、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現しようとする意図的・人為的ないとなみである。
 注意しなければいけないのは、この「意図的・人為的ないとなみ」という点である。
 すなわち、発達的価値をひとりひとりの子どものなかに実現する過程で、発達的価値とはなにかについて、子どもではなく、わたしたちが一定の判断をくださなければならないということだ。
 また価値実現のために、どういう方法をとるかについても、子どもではなく、わたしたちが一定の判断をくださなければならないということだ。
 これは考えてみると、途方もないというか、そらおそろしいくわだてである。
 選ばれた価値がかならずしも子どもの人間的発達を保証するとは限らない。
 選ばれた内容や方法がかならずしも子どもにマッチするとは限らない。
 僕は、この「そらおそらしさ」に耐えながら、思い悩みつつ、教育という仕事にたずさわっている。
 高校入学者の選抜についても同じである。
 子どもたちを選抜するというのは、途方もなくそらおそろしいくわだてである。
 したがって、中学校側も、高等学校側も、この「そらおそろしさ」を共有しつつ、選抜システムを成熟させていかなければならない。

★選抜システムについては、よいシステムを求めて歴史的な努力がなされてきたが、完璧な入試システムというのは、なかなかみつからない。
 現システムと新システムについてはいっさいコメントは避ける(←取材者に対して)が、ただ、かつての「推薦」や、「特色化選抜」についてはプラスの評価はしていない(←「いっさい避ける」と言いながら、既にブレているm(_ _)m)。

★特別活動や部活動などについては、小・中学校では数値評定していない。
 それを入試で(こちらと何の話し合いもなく)点数化するやり方は、かなり危険だ。
 小学校・中学校・高等学校間および学校教育・社会教育間で慎重に協議していかなければならない問題だ。
 もし、どこかで協議しているのであれば、その協議内容を提示してほしい。
 特に部活動については、教育課程外活動、あるいは学校外活動の領域である。
 中学校では、部活動を開設してもいいし、開設しなくてもいい程度の位置づけだ。
 子どもたちも、もちろん、任意参加である。
 その「部活動」が、どうして調査書の項目のひとつにあるのか?
 選抜基準にあるのか?
 大きな疑問をもっている。
 たぶん、これは「まちがい」ではないかと思っている。

★傾斜配点も(こちらと何の話し合いもなく)軽々にやってほしくない。
 これも、もし、どこかで協議しているのであれば、その協議内容を提示してほしい。
 調和のとれた人間を育成しようとしている小・中学校の教育課程に影響を与える。
 子どもによっては、はじめから受験をあきらめてしまうケースも出てくる。
 小・中学校の「教科」の重みづけを一方的にいじくるべきではない。
 やや話がそれるかもしれないが、昔、高校入試から社会と理科を外したことがある。
 そのマイナスは簡単に取り戻せなかった。
 苦い経験である。

★学習指導要領に学習内容を盛り込みすぎると、なんでもかんでも学校で……と学校が肥大化する。
 学校・家庭・地域の教育バランスが崩れる。
 日本では戦中(学校中心自治民育体制)、戦後(学校の教育丸抱え体制)と、この誤りを犯してきた。
 結果として、それぞれの教育力の低下をまねいた。
 教育危機の元凶だ。
 人間を総合的に評価することをねらって、入試評価項目を盛り込みすぎると――ここは誤解してほしくないので念のために断っておくが、総合的に評価しようとすることは決して悪いことではないが、現時点のやり方では――やはり学校が肥大化し、学校・家庭・地域のバランスの悪さをさらに悪化させる恐れがある。
 入試システムが「教育丸抱え体制」の轍を踏んではいけない。

★取材時のコメントはだいたいこの程度の内容だった。
 長時間の取材だった。
 すごく疲れた。
 でも、これまでの例だと、彼は自分のストーリーに合う部分だけを取り上げる。
 たった2、3行ということもある。
 逆に、僕が、ま、どうでもいいこととして最後に付けくわえたことが、でかい見出しになったこともある。(僕は上司に叱られた。)
 「信頼関係」がどうのこうの……というのはこのことだ。

 持論の詳細については、日を改めて、グタグタ、ダラダラとやりたい。



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