職員室通信・600字の教育学

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信貴山・柿本家滞在 前半の記録 新年のあいさつ~柿本家玄関~剱鎧護法堂~千手院の寅~

2010-01-02 14:26:42 | Weblog

10.01.01 新年おめでとうございます



◆新年あけましておめでとうございます。

 昨年末、今年の漢字「新」が発表になったとき、TVのチャンネルを回すと、もう辟易するくらい、あっちでもこっちでも「あなたにとって今年の漢字は……」「わたしにとって今年の漢字は……」とやっていましたが、わたしも、ちゃっかり^^;、わたしにとっての今年の漢字を選択しました^^;。
 瞬時に、「潜」と決定。
 孤独に沈潜し、沈思黙考したいと、願いつづけた1年でした。
 でも、むずかしいものですね。
 錘がコトンと底に着く……という具合には、なかなか沈潜できませんでした。
 どうしても、からだの一部が、プカプカと浮いてしまいます。
 あるいは、少しうまく沈潜でたかなと思っても、底に近づきかけると、自分の重心が溶けだしていきます。
 年末の記事「これが寺山修司だ」や「あちこち除菌グッズ」は、完全に溶解、放心状態でした。

◆そこで、新年は、これまでの「潜」という垂直(時間)軸に加え、「帰」あるいは「還」という水平(空間)軸を設定することにしました。
 垂直に潜りながら、水平にも移動し、帰る(還る)ところをめざすということです。

 抽象度の高い垂直軸に、どこへ行き、何を見、何を食べ、だれと話したかという具象度の高い水平軸を交差させるつもりです。



◆その第1弾が、画像の信貴山です。
 ご記憶にあるかもしれませんが、ずっと以前、昭和62年~63年にかけての一時期(大館中勤務時代)、「地図」をつくり、「地図」から出勤し、「地図」に帰るという生活をしていた……という話をしたことがあります。
 この地図のモデルが、信貴山です。
 新しい年のスタートは、ここからのレポートです。

 なお、画像は、毘沙門天王の総本山、信貴山朝護孫子寺のご厚意により、本ページにアップしています。



信貴山の柿本家に滞在中です

◆年末から、奈良県信貴山の旅館・柿本家に滞在しています。



◆わたしの順路にしたがって、場所を説明すると、
(1)JR大阪環状線・鶴橋駅で下車、近鉄に乗り換え → 生駒駅まで。
(2)生駒駅で乗り換え → (同じく近鉄で)萩の台……東山……元山上口……平群……竜田川……勢野北口を経て、信貴山下駅で下車。
(3)そこから奈良交通バス(登山バス)で→ 信貴山まで。

◆部屋の障子をあけると、柿本家のセールスコピー〈客室が信貴山の大自然を抱く、大人の隠れ家〉どおり(*^_^*)。

 どっぷりと自然にいだかれてはいるんだけれども、同時に、頂上からの、なだらかな傾斜もとらえることができるので、信貴山と相対しているカタチになります。

 若女将が「わたしは春から夏にかけての頃が好きです。山全体が緑に包まれるんですよ」と言いながら、指さした頂上方向に、毘沙門天王の総本山、朝護孫子寺の姿。
 反対に山裾のほうには、万葉集や古今集に登場する平群、竜田の町々がかすんで見えています。







★画像は、上から、柿本家の玄関・障子をあけた正面風景・ベランダから見える朝護孫子寺・かすんで見える平群、竜田の町々。


剱鎧さん、頼んまっせェ!



◆信貴山(437m)の隣に高安山(487.5m)があります。
 高校生の頃、高安山の展望台から大阪の夜景を眺めました。
 砂漠の砂の、一粒一粒が輝いているような夜景でした。

 自己の輪郭線を、いつでもどこでも、常にピリピリさせる高校生だったわたしは、ああ、自分もこの一粒の輝きにすぎないのだ……と、身体から力が抜け、輪郭線が溶けだしていくのを感じました。
 と同時に、これから何十年か、この一粒として、寒いときはコートの襟を立て、暑いときはシャツ一枚になり、団扇であおぎあおぎ、生きていくのだ……と、少し涙ぐみました。

 初詣客であふれかえる、朝護孫子寺・本堂への参道に身体を置いているとき、不意に、この涙ぐんでしまったときのことを思い出しました。

◆大きな人の流れから、脇道に外れ、赤い鳥居が並ぶ坂道を下り、まず、剱鎧護法堂にお参りしました。




 剱鎧護法について、信貴山縁起絵巻・延喜加持之巻には、次のように記されています。
 今から1500年前のこと。
 信貴山の命蓮上人が、醍醐天皇の病気平癒を祈願し、その加持満願の日に、護法神を京に遣わせる。
 お昼頃、醍醐天皇がうつらうつらされていると、キラキラと何か動くものが見える。
 誰か来たのか?と不思議に思ってご覧になっていると、そのうち、お心持ちがさわやかになり、平常の気分にお治りになった……と。
 絵巻には、剣で編んだ衣を身にまとい、山を駆けくだっていく護法童子が描かれています。
 剱鎧護法とは、この剣の護法童子のことです。
 以来、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として信仰されています。

 わたしの前の坂道を、夫婦が、自分たちより大きな息子さんを車椅子に乗せて下っていきます。
 この状態で、ここまで来るのは、たいへんなことだったろうと思います。
 ご両親の思いに胸を打たれました。
 「剱鎧さん、頼んまっせェ~!」
 わたしもいっしょに祈りました。
 それから、乱氏、おっさん、松ちゃん、千早、光太郎……わたしの身のまわりの、思い浮かぶ限りの人々の無病息災を祈りました。
 もう1度、
 「剱鎧さん、ホンマに、頼んまっせェ~!」




 


 信貴山の大寅・世界一福寅

◆剱鎧護法堂から戻り、朝護孫子寺・本堂に向かう初詣客の流れに、再び突入。

 奈良県警の警察官が参道の真ん中に並んで立って「左側通行でお願いしま~す!!」と拡声器で連呼していました。
 かなりの数の警察官です。
 石灯籠脇で、鼻血を出した高齢の男性に、婦警が寄り添っていました。
 母親に代わって、若い男性警官が乳母車を両手に抱きかかえ、石段をおりていました。
 正月から、ホンマにホンマに、ごくろうさんです。

 警備員もいるのですが、あきらかにパートという感じの人も多く、気合いが入っていない……というか、人の流れのさばき方がわからず、オロオロしています。
 (こういう警備の仕事なら、わたしに向いているかも?と、ふと思いました(^_-)。)




◆画像は、剱鎧護法堂から戻った、すぐのところにある大寅(世界一福寅)です。

 信貴山で戦勝祈願をしていた聖徳太子の前に、四天王の一尊である毘沙門天王が現れたのが「寅年、寅の日、寅の刻」と伝えられています。
 朝護孫子寺では、12年に一度、寅年に記念大法会を開いています。
 加えて、平城遷都1300年祭のオープニングを飾るイベントが、この信貴山で開かれるということで、通常の正月の(わたしの予想では)5倍、いや、それ以上の参拝客が訪れています。

 大寅のうしろに見えているのが、朝護孫子寺・本堂です。

◆信貴山には、朝護孫子寺・本堂、玉蔵院、成福院、千手院の4坊があります。
 寅と縁の深いお寺ですから、どこにでも寅がいます。






 画像は、参道の下に見えている千手院脇の寅です。
 通り抜けができるようになっています。
 わたしも、朝護孫子寺・本堂からの帰路、通り抜けるつもりです。

◆次の画像は、成福院・本坊玄関の寅です。




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