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★根城城址公園(根城の広場)内から見た、東門。このお城が築かれた頃、楠木正成は千早城で大活躍していた。
◆夢枕に、過去の「職員室通信」が登場する。
その「職員室通信」の話の前に、まず、「夢枕」について。
夢枕というと、なんといっても、わたしの場合は「太平記」だ。
笠置山で戦闘中の後醍醐天皇の夢枕に、菩薩の使いの童子二人が現れ、「大樹の南の陰に天子の座がある」と教えて消え去っていった。
翌朝、後醍醐天皇はまわりの者に「この夢、解けるか」と問い、自ら「木の南! 文字に書けば『楠』と読める!」と夢解きをする。
天皇は万里小路藤房に勅使として楠木正成を直々に呼び出しに行くよう命じる。
この「夢枕」の話に出会ったのは、わたしが小6の時だった。
同じ年に、浅沼稲次郎暗殺事件を巡る、当時の学級担任の先生(社会党支持)との大激論。
この大激論と、夢枕の話が、その後のわたしの歴史観&政治観を決定づける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/87/cd7bac0676d40d5ddab8c20f0525f687.jpg)
★朝露に濡れる雲の巣(根城城址公園内・中館東側堀跡付近)
◆お酒に酔うと、小6に戻ってしまうようだ。
お酒に酔う度合いを、仮に
(1)爽快期
(2)ほろ酔い期
(3)酩酊初期
(4)酩酊期
(5)泥酔期
(6)昏睡期
とした場合、(4)酩酊期に至ると、「♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下蔭に駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か」と歌いながら、歌詞を乱氏の掲示板に打ち込みはじめる。
2番「正成涙を打ち払い 我子正行呼び寄せて 父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん いましはここ迄来れども とくとく帰れ故郷へ」で涙ぐみはじめる。
3番「父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人 いかで帰らん帰られん……」で号泣。
涙で乱氏の掲示板が見えなくなる。
(5)泥酔期に入ると、夢枕の次の段階、大激論に突入していくのだが、省略。
◆夢の舞台は、みなみ中の図書室。
みなみ小とみなみ中の合同PTA総務委員会が開かれている。
発言している、みなみ小PTAの役員たちの声が、やけに頭に響く。
誰かが、(おそらく、これも、みなみ小の役員が)、少し強い反論をして、論争がはじまった。
額に、汗の玉がふき出る。
耳元で、ボソボソとしゃべっているヤツがいる。
「予想以上の逆風だ……」
「ここは、ひとまず、撤退だ……」
もしかしたら自分の声かもしれない。
消沈する自分の目の前に、何か、ペラペラ、ペラペラと音を立てる紙のようなものがある……。
ここで目がさめる。
雨音が聞こえていた。
あの、ペラペラと音を立てる紙は、「職員室通信」だったのではないだろうか?……と、枕元の時計をみると、午前1時半だ。
しばらく、そのまま、ベットの中にいたが、「職員室通信」が気になってしかたがない。
起きだし、自分のサイト(600字の教育学)を開き、夢枕に出てきた「職員室通信」をさがしはじめる。
わたしの夢枕に、菩薩の使いが持ってきた「職員室通信」は、これにまちがいない。
午前2時。
雨は、やや強くなった。
★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。
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