若者には、果敢なチャレンジャーであって、純粋な正義感、あるいは、悪習に囚われない斬新な感覚から既存の社会を変えようとする変革者のイメージがあります。しかしながら、フランス革命以降、若者には、二つの異なるタイプが存在しているように思えます。
古今東西を問わず、伝説であれ、神話であれ、若者には勇敢なヒーローや聡明なヒロインといった主役が与えられており、悪の帝王的な配役はあっても、中高年の主人公が大活躍する物語は稀です。こうした固定概念が染みついているためか、世間一般でも、伝統的な慣習などを変える際にも、どこか若者に譲ってしまう風潮があります。‘今の若い人は○○だから、仕方がない…’とつぶやいて…。この点、若者は、その年齢だけで、社会の変革者として常に有利な立場にあるのです。
その一方で、より善き社会を切り開く存在としての若者に対する一般的な期待は、別のタイプの若者群を生み出してきたように思えます。それは、‘大人’によって洗脳された、あるいは、操られた若者たちです。このタイプの若者たちは、その行動だけを見ますと、確かに社会的な変革運動に参加しています。しかしながら、自らが考えて自発的に行動しているわけでもなく、‘大人’から特定の思想や価値観、あるいは、宗教を信じ込まされている若者たちなのです。
古くは、悲劇的な結末を迎えた子供十字軍の事例もありますが、特に近代以降では、政治団体が若者を組織するケースが散見されます。ナチスが組織したヒトラー・ユーゲントや中国共産党の紅衛兵などがその典型例であり、これらの組織は、上部の命令に従って行動する軍隊のような存在でした。上部の‘大人’は、これらの‘若者部隊’に自らが属する団体の目的実現に貢献するよう若者たちを洗脳し、同団体に批判的な‘大人’を糾弾する、あるいは、暴力を以って排除するように命じたのです。つまり、これらのタイプの若者たちは、全体主義体制の成立のために準備された‘鉄砲玉’、もしくは、‘駒’であったと言えましょう。そして、若者たち自身は、自らがその団体に属していることを誇りにこそすれ、‘大人’に利用されていることには気が付かないのです(‘大人’は、若者たちに思考停止による無自覚さこそ求めている…)。
全体主義型の若者たちには自由はなく、仮に、自由に思考してその目的や活動に疑問を呈するような発言でもすれば、即座に粛清されたことでしょう。‘大人’から求められているのはむしろ組織に対する従順なる忠誠心であり、決して組織に盾をつく自由な‘変革者’であってはならないのです。かくして上部の‘大人’は、若者組織を陰から操りつつ、時代の潮流は自らにあるかのような世相を作り上げてゆくのです。
ヒトラー・ユーゲントや紅衛兵は、制服や腕に巻かれた腕章等を見れば誰もが識別できますが、今日、自由なる精神を宿した若者と全体主義の手先と化した若者とを区別することはますます難しくなっています。知略に長けた狡猾な‘大人’は、前者をも騙したり、利用したりしますし、後者をあたかも前者のように装わせたりもします。環境少女として注目を集めているグレタ・トゥンベリさんの活動に対して不信感を抱く人々が多いのも、両タイプの判別が困難であるからに他なりません。しかも、グレタさんには強力な‘大人’の組織的なバックが控えていることは疑いようもなく、批判者をつるし上げるような激情を伴う態度は、どこか紅衛兵を思い起こさせてしまいます。果たして、グレタさんは、どちらのタイプの若者なのでしょうか?二つのタイプの若者の区別が難しい時代にあるからこそ、人々は、若者の活動の背後についても警戒心を以って考えてみる必要があるように思うのです。
本年は、つたなき記事ながら本ブログをお読みくださいまして、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。皆さまがたが良いお年をお迎えなされますようお祈り申します。
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古今東西を問わず、伝説であれ、神話であれ、若者には勇敢なヒーローや聡明なヒロインといった主役が与えられており、悪の帝王的な配役はあっても、中高年の主人公が大活躍する物語は稀です。こうした固定概念が染みついているためか、世間一般でも、伝統的な慣習などを変える際にも、どこか若者に譲ってしまう風潮があります。‘今の若い人は○○だから、仕方がない…’とつぶやいて…。この点、若者は、その年齢だけで、社会の変革者として常に有利な立場にあるのです。
その一方で、より善き社会を切り開く存在としての若者に対する一般的な期待は、別のタイプの若者群を生み出してきたように思えます。それは、‘大人’によって洗脳された、あるいは、操られた若者たちです。このタイプの若者たちは、その行動だけを見ますと、確かに社会的な変革運動に参加しています。しかしながら、自らが考えて自発的に行動しているわけでもなく、‘大人’から特定の思想や価値観、あるいは、宗教を信じ込まされている若者たちなのです。
古くは、悲劇的な結末を迎えた子供十字軍の事例もありますが、特に近代以降では、政治団体が若者を組織するケースが散見されます。ナチスが組織したヒトラー・ユーゲントや中国共産党の紅衛兵などがその典型例であり、これらの組織は、上部の命令に従って行動する軍隊のような存在でした。上部の‘大人’は、これらの‘若者部隊’に自らが属する団体の目的実現に貢献するよう若者たちを洗脳し、同団体に批判的な‘大人’を糾弾する、あるいは、暴力を以って排除するように命じたのです。つまり、これらのタイプの若者たちは、全体主義体制の成立のために準備された‘鉄砲玉’、もしくは、‘駒’であったと言えましょう。そして、若者たち自身は、自らがその団体に属していることを誇りにこそすれ、‘大人’に利用されていることには気が付かないのです(‘大人’は、若者たちに思考停止による無自覚さこそ求めている…)。
全体主義型の若者たちには自由はなく、仮に、自由に思考してその目的や活動に疑問を呈するような発言でもすれば、即座に粛清されたことでしょう。‘大人’から求められているのはむしろ組織に対する従順なる忠誠心であり、決して組織に盾をつく自由な‘変革者’であってはならないのです。かくして上部の‘大人’は、若者組織を陰から操りつつ、時代の潮流は自らにあるかのような世相を作り上げてゆくのです。
ヒトラー・ユーゲントや紅衛兵は、制服や腕に巻かれた腕章等を見れば誰もが識別できますが、今日、自由なる精神を宿した若者と全体主義の手先と化した若者とを区別することはますます難しくなっています。知略に長けた狡猾な‘大人’は、前者をも騙したり、利用したりしますし、後者をあたかも前者のように装わせたりもします。環境少女として注目を集めているグレタ・トゥンベリさんの活動に対して不信感を抱く人々が多いのも、両タイプの判別が困難であるからに他なりません。しかも、グレタさんには強力な‘大人’の組織的なバックが控えていることは疑いようもなく、批判者をつるし上げるような激情を伴う態度は、どこか紅衛兵を思い起こさせてしまいます。果たして、グレタさんは、どちらのタイプの若者なのでしょうか?二つのタイプの若者の区別が難しい時代にあるからこそ、人々は、若者の活動の背後についても警戒心を以って考えてみる必要があるように思うのです。
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