万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国にとってのグローバリズムとは?

2019年12月06日 18時40分02秒 | 国際政治
 中国の習近平国家主席は、事あるごとに中国は、アメリカの保護主義に対抗してグローバリズムの旗手を務めると力説しております。あたかも、アメリカ以外の全ての諸国を代表しているかのような顔をして。しかしながら、中国にとりましてのグローバリズムとは、同国の覇権主義を隠すに都合の良い宣伝文句であることは既に多くの人々が指摘しております。一つの‘グローブ’とは、‘中国に支配された地球’を意味するのでしょう。

 中国が、本心から一つの‘地球’、あるいは、国際社会を望んでいないことは明白です。その証拠を挙げれば限がなく、南シナ海問題にあって常設仲裁裁判所の判決を反故にした行為などは、その最たるものです。仮に、地球が一つの社会であるならば、国際法に違反し、国際レベルでの司法判決を無視することは、自らに無法者の烙印を押すに等しいからです。そして、自由、民主主義、法の支配、基本権の尊重といった人類普遍とされる諸原則に背を向け、一党独裁体制の維持のためにはあらゆる犠牲を払ってもよしとする価値観も、他の諸国とはかけ離れているのです。

社会が成立するためには、その構成員を繋ぐ一定の共通性を要するものです。国家レベルでは、主としてそれは、遺伝子、言語、歴史、慣習といった長い年月を経て形成された共通性であったりします。相互に理解可能、あるいは、了解している共通項があるからこそ、個々において違いがありながらも、一つの社会として纏まることができるのです。何らの共通性もなければ、人々は砂粒状に分離した状態となり、如何なる横関係を築くことも難しくなりましょう。コミュニケーションの基盤となる共通性の存在は、統合の一つの形態なのです。

それでは、国際レベルではどうでしょうか。エスペラント語の試みは挫折し、今では一先ず英語が共通語の役割を果たしていますが、現状では世界共通言語は存在せず、人類は、同一の言語を用いてコミュニケーションをとることはできません。また、祖先から継承された遺伝子、過去の共通体験としての歴史、ならびに、伝統が強く影響する慣習なども、国によって多様性があります。国際レベルでは国家レベルを比較しますと、前者は後者よりも遥かに統合のレベルが低いのです。

それでは、人類には全く共通性がないのか、と申しますとそうとも言えず、倫理や道徳面に注目しますと、そこには生物界において最高の知性を備えたホモサピエンスならではの特徴を見出すことができます。例えば、古今東西を問わず、人類は、殺人、強奪、窃盗、虚言、詐欺といった利己的他害性を有する行為は‘悪’とみなし、犯罪として禁じてきました。世界最古の法典とされる『ウル・ナンム法典』にあっても罰すべき行為が多々記されているように、古代文明の誕生も、刑法の出現と軌を一にしているのです。文明と野蛮との違いも、倫理や道徳に対する意識の違いに求めることもできます。そして、仏教やキリスト教といった世界宗教が国境や民族を越えて全世界に広がったのも、その内容に人類共通の倫理観や道徳観が含まれていたからなのでしょう。人類史を観察しますと、人類、少なくとも知性に目覚めた人類には(サイコパスといった病的なケースは除いて…)、その表現形態やレベルに違いがあったとしても、最低限守るべき規範が存在していると考えられるのです。

こうした倫理・道徳における人類の共通性に照らしますと、今日の中国は、他の諸国とは異なる異質な国家と言わざるを得ません。チベット、ウイグル、そして、香港に対する人間性を否定した行為は、まさしく人類に共通する禁止事項に当てはまるからです。中国が主張する‘グローバリズム’が中国による全地球の支配を意味し、同国の価値観が他の諸国にも押し付けられるとしますと、それは、むしろ、人類をその良心において繋げてきた共通の倫理・道徳を破壊する行為に他なりません。それは、最早‘社会’とは言えず、地球は単なる中国の支配地に過ぎなくなるのではないかと思うのです。

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