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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

株主至上主義が見直される当たり前の理由

2019年12月19日 15時49分57秒 | 国際政治
‘会社は誰ももの?’という質問に対して、一昔前は、‘株主のもの!’という答えが即座に返ってきたものです。株主の所有物とする見方が‘正解’とされてきたのですが、今日、近代以降、定着してきた株主至上主義が曲がり角に差し掛かっています。今年の8月19日、アメリカの経営者団体であるにあたるビジネス・ラウンドテーブルは新たな企業の行動原則を発表し、その中で、従来の株主至上主義を見直し、従業員、取引先、地域社会などの利益を尊重した事業運営に取り組むと宣言したのですから。つまり、株主は、数あるステークホルダーの内の一つに格下げとなったのです。

 これまで株主至上主義が‘定説’の地位にあったのは、資本家、あるいは、投資家こそ、企業利益の最大化に貢献する功労者と見なされてきたからです。つまり、貪欲、かつ、無制限に利益を求める資本家こそ‘神の見えざる手’の担い手であり、彼らの判断に任せていれば、企業も経済も自然に発展すると信じられていたのです。しかしながら、現実は、グローバリズムの最大の批判点が格差の拡大にあるように、資本牽引型の経済成長は人々の生活を必ずしも豊かにするわけではなく、時には、投機マネーが金融バブルとその崩壊をもたらし、人々を奈落の底に突き落としてもきたのです。今般の企業の行動原則の見直しも、ウォール街に対する強い風当たりをかわすためとの見方もあるほどです。

  現実の反証を受けて資本主義の権化ともされてきたアメリカにおいて同主義の見直しが始まったことともなりますが、考えてもみますと、同方向転換は、当然と言えば当然とも言えるように思えます。何故ならば、株主至上主義には、全ての人々を納得させるような正当な根拠が備わっていたわけではないからです。否、よりシンプルに考えれば、お金を出した人の利益が、働いている人、あるいは、そのサービスを受ける人々の利益よりも優先されるはずはありませんし、出資は企業をまるまる買い取る行為でもないからです。

 当たり前のことが何故当り前ではなかったのか、その原因を探ってみますと、資本主義対共産主義の二項対立の構図が、人々の理性を曇らせてきたからなのかもしれません。プロレタリア独裁を唱える共産主義は労働者の利益を最優先しますので、株主至上主義の対極にある労働者至上主義となります。そして共産主義者たちは、資本家階級を搾取者としてその打倒を叫び、資本の公有化を唱えましたので、‘労働の評価⇒私有財産の否定’の定式がイメージとして定着してしまったのです。

ところが、この定式、必ずしも必然性があるわけではなく、全く逆の立論を試みた自由主義の思想家もいないわけではありません。例えば、ジョン・ロックの労働価値説に従えば、所有権とは、それの開発に自らの労働を投じた者に生じることになります。ロックは、土地の開拓者による所有権取得の正当性を説明するためにこの説を唱えましたが、土地に限らず、労働を投下した者に所有の権利を認める考え方は珍しいわけではなく、古今東西を問わず、人類史において普遍的に見られます(日本国では、墾田永年私財の法など…)。貨幣の所有もまた、それが報酬や給与と云う形態であれ、労働が評価された結果とも言えましょう。余談ですが、定住民族に領域を含む国家保有の権利を認める今日の国際社会の原則も、国家の建設と発展を担ってきた定住民族に対する既得権の保障と言えなくもありません。何れにしましても、歴史的にみても、一般的な理性に照らしても、‘労働の評価⇒私有財産の肯定’の図式の方が遥かに理に適っているとも言えましょう。

しかしながら、上述した労働の評価が共産主義と結びついたことにより、資金の貸し手、あるいは、出し手に過ぎない資本家よりも働く人々を評価し、労働分配率を上げるべきとする意見は、あたかも経済成長の足を引っ張る共産主義者、あるいは、私有財産否定論者のレッテルが貼られるようになりました。また、資本主義対共産主義の対立構図は、社内にあっても経営側と労働側の二項対立をももたらしてきのです。両者とも、共通の目的を実現するために協力関係を築くべきにも拘わらず…。そして、この間、深い議論がなされることもなく、何時の間にか企業は株主のものであって、企業の目的は、収益の最大化を求める株主に利益を還元することにあるとする見解が、経済学においても定説の如くに扱われるようにもなったのです。従業員を冷たくリストラしたり、途上国で搾取的な労働を強いる経営の方が、株主利益を最大化する見習うべきモデルとして評価されてもきたのです。

圧倒的大多数の人々が資本家ではないにもかかわらず、人々が株主至上主義を受け入れてきたことは、考えても見ますと不思議な現象でもありました。株主至上主義の問題点が明らかとなった今日、先ずは、固定化されてきた資本主義対共産主義の対立構図から抜け出ることが必要なようにも思えます。そして、AIが実用化の段階に入り、人々の働き方にも根本的な変革をもたらしかねない時代にあってこそ、働くこととその報酬のバランスを含め、人間らしさを失わない調和のとれた経済の在り方を原点に帰って考えてみるべきなのかもしれないと思うのです。

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