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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

地球が‘猿の惑星’に変貌する危機

2019年12月30日 19時06分44秒 | 国際政治
 つい最近まで、ハリウッドでは『猿の惑星』という名の映画が連作として製作されていました。何れも世界的なヒット作品ともなり、誰もがその名を知るようにもなったのですが、SFを装いながらも現実を風刺しつつ人類に対する警告の意味が込められているともされ、深読みすると議論の尽きない映画でもありました。

 同作品をめぐる解釈にあって争点となったのは、‘猿’とは一体何を意味するのか、という点です。第一作が製作された1968年がまさしく米ソが激しく対立した冷戦期に当たることから、核戦争?で人類が文明を崩壊させた後に類人猿が進化したものとする見解が主流であり(進化したチンパンジーやオラウータンが人間を支配している…)、凡そ公式の見解ともされています。その一方で、 ‘猿の惑星’では、猿たちの思想までをも厳格に統制する全体主義体制が敷かれているため、自由主義陣営側からは、人々から自由を奪うソ連邦を揶揄している、あるいは、社会主義側からは、‘赤狩り’を行ったアメリカを暗に批判しているとの説もあります。また、原作者であるピエール・ブールが第二次世界大戦にあって日本軍の捕虜になっていたとする誤った情報が流れたことから、一時は、‘猿は日本人’とする、日本人にとりましては心穏やかではない説もありました。

‘猿’のモデル探しは興味深いのですが(連作なので作品ごとに違った議論が生じる…)、少なくとも第一作については、むしろ、人とは何か、つまり、動物である猿の社会と人間社会とを区別するのは何か、を問うているようにも思えます。猿の惑星では、進化した猿たちも言葉でコミュニケーションをはかり、衣服も着ており、高度な科学技術も使いこなしています。これらの諸点からしますと、進化した猿と人間との間には、然したる違いはないように見えます。しかしながら、猿の世界では、宗教裁判、あるいは、政治裁判が存在し、異端者に対しては容赦ない処罰が待っているのです。

猿の社会には1200年前に書かれた聖典が存在し、喩え事実であったとしても、それに反する説を唱えることは決して許されません。同聖典では猿が至高の存在であって、人間は‘知能も低く、文化や言葉を持たない野蛮な下等動物’であり、奴隷狩りの対象なのです。ところが、実際には‘現在の猿の文明は、過去の人類文明の遺産’であり、猿の当局はこの事実をひた隠しにし、自らが定めた‘真理’に対して異議を唱える者を弾圧しています。しかしながら、宇宙船の船長である人間のテイラーが、猿たちの前で言葉を発したことから、この‘真理’が虚偽であることが証明されてしまい、他の猿の学者たちも事実に辿りついたがために、犯罪容疑で法廷に立たされるのです。因みに、同作品は、逃亡に成功したテイラー船長が立ち入りを禁じられてきた禁断地帯の海岸で半ば砂に埋もれた自由の女神像を発見して涙するところで幕となります。

 「猿の惑星」の状況設定は、ジョージ・オーウェルのディストピア小説である『1984年』とも共通しており、人々が知性を働かせて思考し、自由に自らの意見を述べることができず、思考犯罪が存在し、そして、事実を知ることも追求することも許されない世界として描かれています。嘘やフィクションが‘真理’とされ、それに異を唱える者は公権力を以って排除されるのです。そして、今日の世界を見渡しますと、人類は、なおも地球が‘猿の惑星’と化す危機に晒されているように思えます。

中国や韓国、そして、北朝鮮といった諸国では政府がフェイクニュースを臆することなく流していますし、イランをも含む全体主義国家では、国民に対する思想統制を徹底しています。また、全体主義国家のみならず自由主義国にあっても、IT大手企業等が、その先端的なテクノロジーを以って人々を支配しようとするかもしれません。地球上のあちらこちらに、既に‘猿の小惑星’が出現しているのでしょうか。最近では、思想統制体制の厳格さからかモデルは中国ではないかとする指摘も登場してきていますが、その高い知性を自由に活かすことができる人間ならではの“社会とは何か”という視点を失いますと、地球は、核戦争を経なくとも‘猿の惑星’へと変貌してしまうのではないかと危惧するのです。

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