万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自由貿易理論を破壊するグローバリズムの現実

2019-12-02 16:50:32 | 国際政治
 自由貿易のさらに進化した姿がグローバリズムであるとする、一般的なイメージがあります。国境を越えた自由な移動は、自由貿易では基本的にはモノのみですが、グローバル時代には、サービス、資本、人、テクノロジー、情報などにも広がりますので、自由移動の範囲の拡大として理解されるからです。しかしながら、よく考えてもみますと、この二つ、相当な質的な違いがありますし、グローバリズムは、自由貿易理論を破綻に追い込んでいると言えなくないように思えるのです。

 自由貿易と言えは、リカードの比較優位説が根本理論とされており、同理論は、19世紀以来、関税や数量制限の撤廃を正当化してきました。アメリカのトランプ政権が保護主義に転換した際には、同理論を持ち出しての非難の大合唱が起きたものです。天動説が否定された時のように…。しかしながら、リカードのモデルが、二国二財といった現実とはかけ離れた仮定下での分業による相互利益を主張していることに加えて、同モデルが比較優位に際して想定している二つの要素が資本と労働である点を考慮しますと、グローバル化の時代とは、まさに同モデルの前提が崩された時代と言えるかもしれません。

 比較優位説は、A国とB国との間での相対的な生産効率の比較を以って貿易による相互利益を説いています。製品(財)であるxとyを生産しているA国とB国の二つの国があったとします。A国はxをyと比較してB国よりも高い生産効率で生産し、B国は、yをxと比較してA国よりも高い生産効率で生産しています。このケースでは、生産効率を基準とすれば、双方の国がそれぞれの分野で優位にありますので、A国はxにB国はyに生産を特化すれば、両国ともxとyを自国で生産するよりも、双方ともに貿易利益を得ることができるのです。

乃ち、生産品目の特化を伴う自由貿易による国際分業の薦めなのですが、ここでグローバリズムとの関係で問題となるのは、生産効率性の算定です。生産に必要となる要素とは、しばしば資本、労働、土地などが挙げられますが、生産効率とはこれらの要素によって決定されます。生産効率も、これらの要素の効率的な利用によって計算されるものの、リカードのモデルでは、これらの要素は国境の内部に留まり、国境を越える国際移動は想定されていません。ところが、今日のグローバル化の時代にあっては、資本も労働も、そして、その他の様々な要素も自由に移動します。グローバル化の時代の理想とは、モノ、人、サービス、資本の移動自由化を原則として定めたEUがその先導者の役割を期待されていたように、あたかも国内市場のような単一世界市場の構築です。これらの要素が自由に移動可能であるならば、水は高きから低きに流れるように、これらの要素は一国に留まらずに流動化しますので、国を単位とした比較優位はなりたたなくなるのです。比較の基準が流動化したのでは、理論そのものも成り立たなくなるのです。

 たとえば、上記の事例で云えば、A国は、生産効率性においてyの生産は不利でしたが、仮に生産効率性の低さが必要とされる資本や労働力の調達力の低さにあるならば、それをB国から呼び寄せることで生産効率性を上げることができます。移動し得る要素は生産効率性の比較優位には寄与せず、むしろ、移動しない要素、領域の面積、地形、気候風土、埋蔵されている天然資源、土地などの不動産やその他の諸々のその国の固有な要素が絶対優位性をもたらす可能性さえあるのです。

水であれば高きから低きに流れ、やがて平らかな水面となるのですが、先進国の所得水準の低下と途上国の上昇による平準化現象は見られるものの、グローバル化の現実は、IT大手企業による‘勝者総取り’や規模に優る中国系企業の躍進であり、また、少数の金融財閥に富が集中する所得格差の広がりです。グローバリズムが自由貿易主義理論の根拠を崩し去る中、もはや同理論を以ってグローバリズムを正当化することは難しく、こうしたグローバリズムの問題点を是正すべく、より現実を見据えた政策的な対応を考えるべきではないかと思うのです。

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