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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

共産主義は何故神を否定するのか?

2019年12月27日 18時27分49秒 | 国際政治
‘宗教は麻薬’と断じたカール・マルクスの思想は、今日、共産主義国家中国において宗教弾圧の根拠として猛威を振るっています。ウイグルでは公然とイスラム教徒が迫害され、仏教徒も法輪功に対する警戒から白眼視され、キリスト教徒も共産主義との妥協を強要されています。最近、習近平国家主席が全ての宗教に対して共産主義との調和?を求める演説を行ったとされていますので、これらの宗教の教義は早晩換骨奪胎され、そのそれぞれが○○教系共産主義に堕して行くことでしょう。それでは、何故、共産主義は、神を否定するのでしょうか。

 何らかの価値体系を信じ込むという人間の精神的傾向を以って‘宗教は麻薬’という言い方ができるならば、当然に共産主義をはじめとした全てのイデオロギーなるものも‘麻薬’と言えましょう。あるいは、宗教が狂信者を生み出してきた歴史を以って‘麻薬’と評するならば、革命と云う名の大量虐殺を正当化した共産主義こそ、理性や良識に対する破壊効果が最も高い最悪の‘麻薬’かもしれません。この意味で、マルクスは自己矛盾しているのですが、共産主義が宗教をこの世から抹殺しようとした最大の理由は、宗教が内包する神の視座の超越性にあるのではないかと思うのです。

不毛の神学論争になりますので、ここでは神の存在論には踏み込みませんが、宗教は、人類と動物とを明確に区別する重要なメルクマールです。この見解に対する反論としては、動物である象がお葬式をしたり、犬が人間には見えない‘何か’に向かって吠えるといった‘霊魂’に対する反応とも解される現象が数多く報告されてはいます。しかしながら、自己を超えた超越的な存在の視座を思考できたのは、人類の他にはいないのです。神の存在が科学的に証明できなくとも、様々な差異にも拘わらず、あらゆる人から中立公平な立場にあって、社会全体を上部から見渡して善を志向する存在を認識し得たのは最も高い知性を有する人類にしかできなかったのです(ニーチェが述べた‘神は死んだ’も、この点からすれば誤っている…)。

もっとも、宗教と一言で言っても様々なタイプがあり、動物等を信仰する原始的なアミニズムもあれば、血縁共同体の絆となる素朴な先祖崇拝や教祖その人を崇拝するパーソナル・カルトなどもあります。共産主義では指導者の遺体が永久保存され、ロシア革命の指導者であったレーニンや北朝鮮の金親子を安置した廟が聖地化されましたので、共産主義は、イデオロギーと云うよりもパーソナル・カルトの一種であるのかもしれません。また、中国の道教のように、生きている人々が現世における個人的な利益を願う宗教もあります。霊魂や死せる者に対する崇拝は、もしかますと象のお葬式に近いのかもしれませんし、人間を崇拝の対象とするパーソナル・カルトも、個人レベルから脱してはいませんので、こうしたタイプは、超越性と云うよりも超自然性として区別すべきかもしれません。

このように宗教のタイプを超越性と超自然性とに大まかに区別するとしますと、共産主義がとりわけ敵視するのは、前者の超越性のタイプと言えましょう。何故ならば、独裁者に上位する神の存在が独裁者にとっては邪魔であることに加え、超越的な神の視座からすれば、革命に伴う暴力や無慈悲なる他者の虐殺は許されない行為となるからです。階級闘争やプロレタリア独裁も、一部の人、あるいは、集団のみによる権力や富の独占を意味しますので、そこには、全ての人々を包摂した善の実現を志向する神の視点はありません。また、仏教が教える慈悲の心やキリスト教が説く‘汝の敵を愛せ’の垂訓も、共産主義者にとりましては自らの目的実現の前に立ちはだかる精神的な‘邪魔者’でしかないのでしょう。

実際に、中国の宗教政策を見てみますと、超越的な視座を有する普遍宗教に対して特に厳しい姿勢で臨んでいるようにも見受けられます。中国の一般民衆による伝統的な道教崇拝に対してはそれが現世利益に対する祈願であれば比較的寛容ですし、日本国の靖国神社に対しても同国の歴史認識から批判はしますが、特に八百万の神々を奉じる神道そのものに対しては必ずしも攻撃的ではありません(高天原の天照大神に対しては否定的であるかも…)。全知全能にして善なる神に対してのみ、邪な殺意を抱いているかのようなのです。そして、この中国のポジションは、神を否定する悪魔、あるいは、サタンと云うことにもなりましょう。

神の存在の有無にかかわらず、超越的な神の視座こそが人類全体を善へと方向づけている点を考慮しますと、中国による神の否定は、同時に人間性の否定でもあります。最先端のテクノロジーをも手にした中国が、軍事や経済、さらには、グローバルなプラットフォームを含むあらゆる手段を駆使して共産主義思想を全世界に浸透させようとしている今日、人類は、超越的な視座を保持すべく(それが特定の宗教と結びついていなくとも…)、倫理や道徳、そして、価値の面における防衛をも考えてゆくべき時期に至っているように思えるのです。

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