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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

今日に解明が残された天皇と明治維新の問題

2019年05月09日 15時23分44秒 | 日本政治
 昨日は、新天皇が即位して初めての宮中祭祀の儀式を行ったとして、メディア各社とも大きく報じておりました。平安時代から伝わる黄櫨染御袍に身を包み古式ゆかしく拝殿に上る姿はいかにも日本国の伝統を体現しているように見えるのですが、今日、宮中祭祀とされる儀式の中にも、即位の礼に際して式場の中心に地球儀が置かれたように、明治期に創作されものも少なくないそうです。

 近代とは、チャールズ・ディケンズが指摘したように、まことに奇妙な時代であると言えます。日本国でも、明治維新に際しては王政復古のスローガンを掲げられつつ、この時期を通して国家体制は一挙に近代化さていゆくのです。こうした近代化の過程で観察される現象はメビウスの輪戦略にも見えるのですが、明治維新については、未だに謎の部分が少なくないのです。そして、今日、天皇の地位や役割について考える時、明治という時代の謎解きの作業は避けて通れないように思えます。

明治維新に対する評価は、これまで一貫して欧米列強による植民地化を回避した偉業として定着してきました。確かに、日本国には、表面上は他国の直轄領となったり、他国の属国と化した歴史はありません。しかしながら、明治維新の背景に、大航海時代の幕開け以来、アジア・アフリカを植民地化してきた東インド会社を含む海外勢力の思惑や影響が皆無であったのかと申しますと、それはそうとは言えないように思えます。

 武器商人であったグラバーの暗躍は既に多くの人々の知るところとなっておりますが、長州藩の井上多門、伊藤博文、遠藤勤助、山尾庸造、野村弥吉の‘長州ファイブ’、並びに、薩摩藩の五大友厚や寺島宗則等がロンドン大学への密留学の経験を有することは、明治維新を再検討する上で重要な要素となりましょう。留学先が英国であったことから(後に薩摩の留学生はシャルル・ド・モンブラン男爵の紹介によりフランスに接近…)、イギリスという国家とのコネクションの形成のようにも見えます。しかしながら、当時のイギリスはヴィクトリア女王を頂く世界大の大英帝国を建設しており、その背後にロスチャイルド財閥を筆頭とするユダヤ系の金融資本家が控えていたとしますと、‘長州ファイブ’は、イギリスに育てられたというよりも、工作要員として国際組織に養成されたと見た方が適切であるかもしれません。密粒額は藩命とはいえ、受け入れ国側の要請、あるいは、合意を要しますし(むしろ、イギリス側からの積極的な働きかけがあったかもしれない…)、両藩の同時期における連動しているかのような動きに注目しますと、薩長同盟も、既に海外において計画され、パーソナルな関係を通して実現していたかもしれないのです。

こうした視点から見ますと、これまで謎とされてきた歴史の表面に現れた出来事を合理的に説明することができるかもしれません。後に伊藤博文が親英路線を離れてロシアに接近し、かつ、暗殺されるのも、同国際組織との関係が拗れた結果かもしれません。また、国民からの人気が高く、純粋に日本国の将来のために命をかけた若き維新のヒーロー達が明治の時代を迎えることなく無念にも志半ばにして斃れ、薩長両藩の留学経験者のみが明治政府にあって高位高官に上り詰めたのも、あるいは、明治維新を裏から操った勢力の意向によるものであっとも推察されます。

 それでは、‘錦の御旗’として薩長に担がれ、即位した明治天皇は、国際勢力と無縁であったのでしょうか。強く攘夷を唱えていた孝明天皇の天然痘による逝去は、本心において開国の推進を望む‘維新勢力’にとりまして好都合であったとされています。実際に、文明開化は皇族の西欧化を以って始まり、西欧の立憲君主と同様に、明治天皇は、洋髪に軍服の姿で国民の前に立ち現われるのです。皇后が蚕のお世話をする収繭と呼ばれる儀式も明治以降に昭憲皇太后に始まりましたが、当時、清国の政情不安から絹の生産が危ぶまれた時期であり、日本国が絹の一大輸出国となったのも、国際経済勢力による代替生産地確保の思惑の現れとも解されます。明治という時代のところかしこに、国際勢力の介入の痕跡が窺われるのです。

 西欧列強が角逐する中、当時の日本国には別の選択肢やシナリオがあり得たのか、という問いに対しては、模範的な回答を見つけることは確かに難しいことかもしれません。イギリスやフランスもまた、広大な植民地を有する列強の一角を占めながら、その実、国際金融財閥の傀儡であったとしますと、日本国も植民地ではなく傀儡国家の一つに選ばれただけ、‘まし’とする見方もありましょう。しかしながら、歴史を後世の人々が書き換えることはできませんが、事実を突き止めることで今日の教訓とすることはできるのではないでしょうか。今日の天皇の血脈と役割が明治期において創設されたとしますと、明治以前に遡って、国際勢力に利用されることのない新たなる形を考えるべきなのではないかと思うのです。

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コメント (4)
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