新しい元号として制定された令和の二文字は、日本最古の和歌集である『万葉集』に載る大宰府における観梅の宴での大伴旅人の序文を典拠としています。同元号は、高名な万葉学者であり、大阪女子大や国際日本文化センター等の名誉教授でもある中西進氏によって考案されたそうであり、同氏は、いわば、令和の‘生みの親’ともなります。初の国書からの選定となるため、保守派知識人からの評判も上々なのですが、令和に関する同氏の解説の行間を読みますと、考案者解釈は、必ずしも公式の政府解釈とも、保守層の解釈とも一致しないように思えます。
第1点は、元号の典拠となった‘梅花の歌三二首併せて序’は、国書からの採用とは言え、万葉仮名では書かれてはいないことです。同序には、元となった漢籍の存在も取り沙汰されていますが、敢えて『万葉集』にあっては例外となる漢文の箇所から採用しているのです。この点は、漢籍からのから脱却に対する中国への配慮とも推察されます。
第2点は、政府は、「令」の文字は‘良い’という意味であり、命令の意味ではないと強調しておりましたが、中西氏自身は、本心では、やはり、命令の「令」を意識していた節が窺えるのです。本日の日経新聞の紙面には、同氏へのインタヴュー記事が掲載されていましたが、その中で、同氏は、「天皇陛下が『平成は戦争のない30年間だった』とおっしゃいましたが、それをグレードアップするのが今日の使命ではないか。『令』なる『和』の実現を願ったのがこの元号でしょう」と述べています。この一文、同氏が、天皇の意向、即ち、‘戦争をしてはならない’とする命令を自らの使命と心得て元号を選定したとも受け取れます。令とは、字源からしますと神、あるいは、君主からの命令を受ける姿勢を意味するそうですので、この原義を和漢の古典に通じる中西氏が知らないはずはなく、おそらく、‘良い’という意味は後付けなのでしょう。実際に、同氏は、政治的には憲法第9条の保持を訴える護憲の立場にあり、発案者が込めた令和への願いとは、いわば、政治的なメッセージとも言えるのです。なお、憲法改正を自らの政治使命とする安倍総理が、何故、中西氏を考案者として選んだのか、この点は、謎として残ります。
第3点は、万葉の時代を、中西氏は、グローバルな時代であると認識している点です。同氏は、同インタヴューにおいて‘中国を排除しない’と明言しております。確かに、梅花の歌三二首の中には中国からの渡来人とも推測される人々の名も見え、当時、専門知識や技を有する人々が日本国に渡って来ていたのでしょう。『新撰姓氏録』にも、歴代中華王朝や朝鮮半島の皇族・王族の末裔や秦氏といったシルクロードを経由して日本国に居住するに至った氏族の名も見えます(もっとも、古代中国と現在の共産党一党独裁国家の中国とは別物…)。正倉院御物が伝えるように、古代にあっては、国際色豊かな時代であったとも言えます。
しかしながらその反面、同時代は、中国大陸において隋、並びに、唐帝国が出現し、その強大なる軍事力を前にして自国の独立性が危ぶまれると共に、最悪の場合には軍事力を以って征服されるという国家存亡の危機を始めて経験した時代でもありました。南北統一王朝の隋帝国からの圧力を跳ね除けるかのようにその対等性を高らかに宣言した伝聖徳太子の煬帝に宛てた書はつとに知られていますが、白村江の戦いも、百済支援の形態をとったとはいえ、対唐防衛戦争であったことは疑いようもありません。大宰府には水城が建設され、国運をかけて防備を固めた時代でもあるのです(防人の歌が『万葉集』に納められているのもその時代背景を考えれば頷ける…)。
仮に、中西氏が万葉の時代を現代に蘇らせるために令和を選んだとしますと、その意図とは逆の時代が訪れるかもしれません。歴史は繰り返すと申しますが(実際には繰り返さないのですが…)、中国の軍事的脅威を前に、日本国が防衛戦争を想定せざるを得ない時代こそ、令和の時代ともなりかねないのです。昭和の時代が、「和」の願いも空しく、戦争の時代であったように…。
そして、第4点を挙げるとしますと、中西氏は、なぜか、概念としてではあれ「令」を‘うるわしい’と読んでいることです。‘うるわしい’というひらがな表記をパソコンで漢字変換させますと‘麗しい’となります。‘麗’とは、高句麗や高麗の‘麗’でもあり、ここに来て、令和は朝鮮半島の色調をも帯びてくるのです。なお、高句麗とは、3世紀頃から7世紀にかけての三韓時代に北部、今日でいえば北朝鮮に成立していた国であり、唐帝国によって滅ぼされています。近年、高句麗は、中国系の国なのか、それとも、朝鮮系の国なのか、という問題について、中韓朝の間で論争が発生しているそうですが、同氏が、‘麗’に拘っているとしますと、どこか大アジア主義的な背景をも感じさせます。
以上に令和の考案者解釈における諸問題を述べてみましたが、令和とこの二文字を取り巻く人々の思惑や政治状況を吟味して行きますと、古代であれ、現代であれ、表面には見えない‘何か’が見えてくるようにも思えます。日本国の存続を案じる人々が、こうした問題を深く掘り下げて、左右両極による偏向やタブーを一切廃し、自由闊達に論じ合える時代こそ、人々が求める新たなる時代の理想像なのではないでしょうか。それが如何なる結論や事実に辿りつくとしても。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
第1点は、元号の典拠となった‘梅花の歌三二首併せて序’は、国書からの採用とは言え、万葉仮名では書かれてはいないことです。同序には、元となった漢籍の存在も取り沙汰されていますが、敢えて『万葉集』にあっては例外となる漢文の箇所から採用しているのです。この点は、漢籍からのから脱却に対する中国への配慮とも推察されます。
第2点は、政府は、「令」の文字は‘良い’という意味であり、命令の意味ではないと強調しておりましたが、中西氏自身は、本心では、やはり、命令の「令」を意識していた節が窺えるのです。本日の日経新聞の紙面には、同氏へのインタヴュー記事が掲載されていましたが、その中で、同氏は、「天皇陛下が『平成は戦争のない30年間だった』とおっしゃいましたが、それをグレードアップするのが今日の使命ではないか。『令』なる『和』の実現を願ったのがこの元号でしょう」と述べています。この一文、同氏が、天皇の意向、即ち、‘戦争をしてはならない’とする命令を自らの使命と心得て元号を選定したとも受け取れます。令とは、字源からしますと神、あるいは、君主からの命令を受ける姿勢を意味するそうですので、この原義を和漢の古典に通じる中西氏が知らないはずはなく、おそらく、‘良い’という意味は後付けなのでしょう。実際に、同氏は、政治的には憲法第9条の保持を訴える護憲の立場にあり、発案者が込めた令和への願いとは、いわば、政治的なメッセージとも言えるのです。なお、憲法改正を自らの政治使命とする安倍総理が、何故、中西氏を考案者として選んだのか、この点は、謎として残ります。
第3点は、万葉の時代を、中西氏は、グローバルな時代であると認識している点です。同氏は、同インタヴューにおいて‘中国を排除しない’と明言しております。確かに、梅花の歌三二首の中には中国からの渡来人とも推測される人々の名も見え、当時、専門知識や技を有する人々が日本国に渡って来ていたのでしょう。『新撰姓氏録』にも、歴代中華王朝や朝鮮半島の皇族・王族の末裔や秦氏といったシルクロードを経由して日本国に居住するに至った氏族の名も見えます(もっとも、古代中国と現在の共産党一党独裁国家の中国とは別物…)。正倉院御物が伝えるように、古代にあっては、国際色豊かな時代であったとも言えます。
しかしながらその反面、同時代は、中国大陸において隋、並びに、唐帝国が出現し、その強大なる軍事力を前にして自国の独立性が危ぶまれると共に、最悪の場合には軍事力を以って征服されるという国家存亡の危機を始めて経験した時代でもありました。南北統一王朝の隋帝国からの圧力を跳ね除けるかのようにその対等性を高らかに宣言した伝聖徳太子の煬帝に宛てた書はつとに知られていますが、白村江の戦いも、百済支援の形態をとったとはいえ、対唐防衛戦争であったことは疑いようもありません。大宰府には水城が建設され、国運をかけて防備を固めた時代でもあるのです(防人の歌が『万葉集』に納められているのもその時代背景を考えれば頷ける…)。
仮に、中西氏が万葉の時代を現代に蘇らせるために令和を選んだとしますと、その意図とは逆の時代が訪れるかもしれません。歴史は繰り返すと申しますが(実際には繰り返さないのですが…)、中国の軍事的脅威を前に、日本国が防衛戦争を想定せざるを得ない時代こそ、令和の時代ともなりかねないのです。昭和の時代が、「和」の願いも空しく、戦争の時代であったように…。
そして、第4点を挙げるとしますと、中西氏は、なぜか、概念としてではあれ「令」を‘うるわしい’と読んでいることです。‘うるわしい’というひらがな表記をパソコンで漢字変換させますと‘麗しい’となります。‘麗’とは、高句麗や高麗の‘麗’でもあり、ここに来て、令和は朝鮮半島の色調をも帯びてくるのです。なお、高句麗とは、3世紀頃から7世紀にかけての三韓時代に北部、今日でいえば北朝鮮に成立していた国であり、唐帝国によって滅ぼされています。近年、高句麗は、中国系の国なのか、それとも、朝鮮系の国なのか、という問題について、中韓朝の間で論争が発生しているそうですが、同氏が、‘麗’に拘っているとしますと、どこか大アジア主義的な背景をも感じさせます。
以上に令和の考案者解釈における諸問題を述べてみましたが、令和とこの二文字を取り巻く人々の思惑や政治状況を吟味して行きますと、古代であれ、現代であれ、表面には見えない‘何か’が見えてくるようにも思えます。日本国の存続を案じる人々が、こうした問題を深く掘り下げて、左右両極による偏向やタブーを一切廃し、自由闊達に論じ合える時代こそ、人々が求める新たなる時代の理想像なのではないでしょうか。それが如何なる結論や事実に辿りつくとしても。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
