久し振りに粘土をこねたところ、思いの外はまる。
元々は絵を描く上での補助的な作業として、立体や形状把握の
為にと行ったのだが、単純に作ることが楽しいと実感する。
ちなみに作成したのはいわゆる男性シンボル的なアレである。
自らの体の一部であり、俗に“息子”と形容されるほどに
見慣れ、親しんできている存在であるが、だからといって
さあ描けといわれて正確に描けるとは限らない。
数多のエロ本を引き合いに出すまでもなく、例えば人間の
足先をちゃんと描けと言われても、なかなかそうはいかない
ことからも“見てきているから描ける”というのは、幻想の
ようなものであると言えよう。絵を描く技能は特殊であるが、
それでもモチーフを見ながらでないと描けないのが普通なのだ。
ましてや内外の諸要因及び、個人差、年齢差によってその形状が
著しく変化するそれは、想像で補完するにはあまりにもやっかいな
モチーフであると判断し、立体として手元に置いておくと同時に、
それを作成する過程で立体や構造についての理解を深めようと
思うに至った次第である。
成果物はアレでナニとしか言いようがないが、動機自体はこのように
至極真面目なものである。もっとも、先に描いたように、作る
行為自体が思いの外楽しくなってしまった(現在色や質感をどの
ように仕上げようか計画している)ので、総合的に見ても脱線
気味な感は否めない。
しかし、この脳が変な汁でしっぽりしていく感じは、何とも言え
ない良い感じなので、暇があれば色々なバージョンを作っていこうと
思う。
なお、女性版も作ったが、そちらは本体よりもその周囲の構造や
立体の方が今のところ気になっていた(エロ漫画でもエロフィギュア
でもその辺りの造形が満足いくものをあまり見ない)ので、それ重視
で作成してみた。
しかし、余談かつ以前にも触れた事ながら、この手のモノに関して
三次元だと規制が緩い感があるのはなぜなのだろう。立体として作り、
売り物として世に出るものすらあるが、例えばそれを写真に撮って
そのまま掲載させるとアウトになる(消しが入る)という不思議。
ともあれ、資料作成、資料作成。
元々は絵を描く上での補助的な作業として、立体や形状把握の
為にと行ったのだが、単純に作ることが楽しいと実感する。
ちなみに作成したのはいわゆる男性シンボル的なアレである。
自らの体の一部であり、俗に“息子”と形容されるほどに
見慣れ、親しんできている存在であるが、だからといって
さあ描けといわれて正確に描けるとは限らない。
数多のエロ本を引き合いに出すまでもなく、例えば人間の
足先をちゃんと描けと言われても、なかなかそうはいかない
ことからも“見てきているから描ける”というのは、幻想の
ようなものであると言えよう。絵を描く技能は特殊であるが、
それでもモチーフを見ながらでないと描けないのが普通なのだ。
ましてや内外の諸要因及び、個人差、年齢差によってその形状が
著しく変化するそれは、想像で補完するにはあまりにもやっかいな
モチーフであると判断し、立体として手元に置いておくと同時に、
それを作成する過程で立体や構造についての理解を深めようと
思うに至った次第である。
成果物はアレでナニとしか言いようがないが、動機自体はこのように
至極真面目なものである。もっとも、先に描いたように、作る
行為自体が思いの外楽しくなってしまった(現在色や質感をどの
ように仕上げようか計画している)ので、総合的に見ても脱線
気味な感は否めない。
しかし、この脳が変な汁でしっぽりしていく感じは、何とも言え
ない良い感じなので、暇があれば色々なバージョンを作っていこうと
思う。
なお、女性版も作ったが、そちらは本体よりもその周囲の構造や
立体の方が今のところ気になっていた(エロ漫画でもエロフィギュア
でもその辺りの造形が満足いくものをあまり見ない)ので、それ重視
で作成してみた。
しかし、余談かつ以前にも触れた事ながら、この手のモノに関して
三次元だと規制が緩い感があるのはなぜなのだろう。立体として作り、
売り物として世に出るものすらあるが、例えばそれを写真に撮って
そのまま掲載させるとアウトになる(消しが入る)という不思議。
ともあれ、資料作成、資料作成。