ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

触れるほど早まる

2013年12月15日 23時18分50秒 | Weblog
長いこと枕がわりとして使ってきた座布団を、そろそろ改めようと手を
触れてみたら、何か別のものに変質していた。ペトペトというかヌポヌポ
というか、とにかく長くは触っていたくないような感触で、しかし変な
匂いなどはなく、どうしてこうなったのか理解に苦しむ。

とりあえず水分を抜けば何とかなるだろうと、干してみるが大して変わらず
意を決して今日洗濯するに至る。
同じ家の中にあって、同じ年月を経たものであっても、環境や条件に
よって家具などの劣化具合が全く違うのには驚かされる。
よくよく考えてみれば、家の中にいる時間は普段、そのほとんどが寝る
時間として費やされているのだから、それに関わる部分で劣化が早まるのは
むべなりと言えよう。

その他にも、きっと寝具も劣化が激しかろうと推測される。実際問題、
ここ最近の夜の寒さの辛いことよ。今日にでも買っておけばよかった
かも知れぬ。
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期限

2013年12月13日 02時45分22秒 | Weblog
先週に買い置きしていたカップ麺が、一ヶ月ほど賞味期限を過ぎていた。

悪臭も異(生)物混入も見られなかった上、今は冬なので問題なかろうと
そのまま食す。果たして今のところ特に問題はなく、案外大丈夫なものだと
実感する。

とは言え、明らかな生ものや季節が夏場だったりしたならば、かなり
あっさりと捨てていただろう。
神羅万象チョコはあっさり捨てるくせに、普通の食品を捨てるのは
ためらわれるという、何かおかしい状態ではあるが、とにかく今後は
賞味期限をできるだけ確認しつつ食べ物を買うようにしたい。
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思考のピンポンダッシュ

2013年12月12日 01時54分37秒 | Weblog
また普段通りの、とりとめもない思考メモをば。
そもそも厳密な定義などないであろう、『鬼』と『魔』についての解釈を
考えてみる。

鬼というのは人がその行い(前世含む感情や行動)の結果、変じるもので、
人智を超えた力や外見を持ちはするものの、生物としてのベースはあくまで
人間である。
転じて、大きく外見的変貌を遂げた、それこそもはやどこからどう見ても
人間に見えなくなったような存在に対し、『○○鬼』という呼び名が
多く与えられている感がある。

魔というのは、人から生物の理をもって生まれたものではない存在で、
仮に人間そっくりだったとしても、生物としてのベースが全く人間では
ない。ほとんど獣の類と言っても差し支えないだろう。
転じて、人の姿のままで、それこそ表面的には善人のようでありながら
内面や行動が無道にして外道である存在に対し『○○魔』という呼び名が
多く与えられている感がある。

例えば『吸血鬼』とは言うが『吸血魔』とはあまり言わないのは、それが
元々は人間であったことを示唆するからではないだろうか。
その他にも『○○鬼』と呼ばれるものは、大体が元人間であることを
感じさせるものが多い気がする。(近代以降に生まれた言葉を除く)

また、上で行った仮定からの推測であるが『鬼』よりも『魔』の方が
人でなしの度合いが強いニュアンスを持っているのではないかと考える。
最近の言葉での○○魔や○○鬼というのは、単純に語感で決めていそうな
所もあるが、○○魔と呼ばれているものの方がよりえげつない印象がある。

鬼や魔といっても、害悪をもたらすならば悪鬼、悪魔となり、篤い信仰を
得るならば鬼神、魔神となり、女性ならば鬼女、魔女となり、それぞれが
それぞれにまた絶妙にニュアンスが異なってくる。
知れば知るほど概観ができなくなるこの手の考察は、無知なればこそ
出来る代物であろう。『大胆な解釈』に到達できれば御の字である。
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対欲望特効薬

2013年12月11日 02時24分24秒 | Weblog
ふと気がつけば、本に囲まれた生活であった。そしてその環境に思わず
顔が緩んでくるあたり、相当なアナログ人間だと思い知るに至る。

少し前に買ったなけなしの本棚もあっという間に埋まり、また平積みに
した本を高くしているような状況であるが、そのような状態だと本も
痛むであろうとか心配したり、出し入れしている時に帯をシワにした時には
ひどく後悔したり、読む頻度の高い本にはカバーでも用意するかと
考えたりするあたり、目的と手段が逆になりかけているような気もする。

しかし、知識や情報を獲得する手段として以外にも、モノとして集めて
いることにも、つまり収集欲や所有感を満たすという手段としても
成り立っていると言え、そのあたりも含めてアナログ人間なのだと思う。

置く場所にも困り、読んだ後にしまうことにも難儀するような状態で
ありながら、なお毎日のように書店を物色し、欲しい本がないと
淋しい気持ちになるという体たらく。
その本も、イラスト集やゲームの設定本やエロ本だったりするので、
一概に高尚な感覚と言い難いのが玉に瑕といえよう。
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突貫療養

2013年12月10日 01時20分26秒 | Weblog
今週は寒くなるとニュースでやっていたが、それ以上の嫌な寒気と頭痛に
襲われ、おそらく風邪と判断したため今夜は早めに休むことにする。
とりあえず消化を優先した栄養(食料)をとりつつ、風邪薬を服用し、
あとは寝るだけである。
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記憶の穴埋め

2013年12月08日 23時15分17秒 | Weblog
ふと、『キン肉マン』がどんな話だったのかを知りたくなったので、
近所の古本屋へ読みに行く。幼年期に単行本を買っていたのだが、それは
実家にある上に、初期の方は単行本を持っていなかったので、その辺りの
流れを知りたくなったためである。

とりあえず悪魔超人が出てくる前まで読んでみて、世間で言われるほど
トンデモ設定というわけでもなく、結構真っ当な筋書きであるということ、
異常なまでのテンポの速さであること、パロディネタが非常に多いと
いうことが分かった。

ただ、それらを廃し、トンデモ設定の応酬がなされるようになる悪魔超人編
あたりから面白くなってくる。絵も何だか薄くなってくる。
何かが吹っ切れたのか、何かが死んでしまったのか、本当のところは
分からないが、この作者が今もこの芸風で作品を出し続けているという事は
前者であったと考えるのが自然だろう。

小学生未満の頃に読んでいた時は、テリーマンが非常に地味で冴えない奴
だと思っていたが、こうして改めて読んでみると、なかなかの名脇役と
思えるようになった。
…王位争奪編から二世、最近のキン肉マンまで全部読んだらまた感想が
変わりそうではあるが、さすがにそれをやるのはしばらく先にしたい。

と言うか、古本屋での立ち読みスタイルが体に堪えるようになった。
昔は二時間くらいは余裕だったのに、今は一時間が限界である。
買って読め、という話であろうが、そのような気にもなれない。
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毒に染まるか身を切るか

2013年12月06日 02時34分24秒 | Weblog
夜あたりに急な頭痛に襲われる、すわ風邪かという思いが頭をよぎったが、
同時に今日は朝からコーヒーを飲んでいないということに気付き、
とりあえず飲んでみたら頭痛は次第に薄らぎ、果たして治まった。

思えば休日も、起き抜けに缶コーヒーを一杯、夕方にもう一杯というのを
ほぼ欠かしていないため、省みれば省みるほどに己がカフェイン中毒に
なっているのではないかという思いが確信めいてくる。

カフェイン中毒というだけならば、世界的に許容されている数少ない
『○○中毒』の一つで、市民権を得ているので問題はないが、危険なのが
その摂取形態である。
かようにコーヒーを愛飲しているにもかかわらず、未だにブラックが
飲めない。つまりは大量の糖分を同時に摂取しているという状態である。

ついにブラックに手を染めるか。
何か戻れない一歩を踏み出そうとしてるような気がしないでもないが、
糖尿病になるくらいなら、カフェイン中毒を重篤化させる方が幾分マシで
ある。
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絞りきれない

2013年12月05日 02時08分37秒 | Weblog
夜中に腹が減ったが、重いものは食べられない。寒い時期に温かいものを
飲みたい。二日酔いでしんどい。このような時に重宝するのがカップ味噌汁
であるが、個人的には色々と悩ましい部分も多い。

最近のそれは味噌と具が別々の袋に入っているのだが、特に具が袋から
若干出しづらく感じる。
カップ味噌汁の王者とでも言うべき『豚汁』であるが、寒い時期になると
油が半固形化しする上に、芋系の具材がほどよく崩れているので、全部
袋の中身を開けようと思ったならば、箸などの道具に頼らざるを得ない。
アサリやシジミ等の、明らかに崩れようのない具材はその点非常に楽で
いいのだが、個人的には少々物足りない。

特に最近は具から味噌までフリーズドライにしたものが出てきており、
若干割高なものの、上に書いたような袋が生み出す不便さは全て解決
されている。
つまり何が言いたいのかというと、フリーズドライ方式の豚汁を出して
欲しいという、貧乏性極まる意見である。
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循環

2013年12月04日 01時44分39秒 | Weblog
この機を逃せば、次はいつになるのかということで、部屋に溜まりに
溜まって壁から山へ進化しそうなダンボール箱を一括処分する。
つまり明日は資源ゴミの日。

明日以降の筋肉痛の予感を抱きつつ、苦労してようやくまとめ、集積場へ
出したその足で通販の品を受け取りにコンビニへ。
つまりまた増える資源ゴミ。

何か全く懲りていないような気がしつつも、帰宅してみると、さっきの
集積場の資源ゴミは綺麗さっぱりなくなっていた。
つまりはこれが世界のサイクルなのかと、ひどく矮小な出来事からであるが
それを感じた夜であった。
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手段の差とはいえ

2013年12月03日 02時27分26秒 | Weblog
ごく個人的な印象であるが、少女漫画誌などを見るに、女性作家の
アナログ画材使用率は著しく高いように感じる。画材屋でコピックやトーン
等の、漫画で使いそうな画材を物色しているのは総じて女性であるし、
イラスト投稿系の雑誌とかでも、アナログ画材のTipsは女性向けに作られて
いる感が強い。

しかし、だからといってリキテックス(アクリル絵の具)や油絵具で
骨太に描くような人が多いのかというと、そんな事はどういう訳か無い。
予備校から学生時代に至るまで、そういった絵画系の女性を多く見てきたが、
そういった骨太な手法で絵を描く人は居なかった。
ほとんどの人が淡い印象の、水彩のような、もしくはアクリルガッシュの
ような、比較的平らな雰囲気の画風であった。
まれにグロテスク系の絵に走る女性もいるが、やはり技法としては
薄塗りというか、透明感のあるものがほぼ全てを占めていた。

絵は結局好みがすべてであるが、その結果偏りが生じるというのも、
どこか不思議な感じがする。無論、良いか悪いかが偏るわけではないが、
見えているものが違っていたり、描くにあたってのモチベーションが
違っていたりするのだろうか。
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