また普段通りの、とりとめもない思考メモをば。
そもそも厳密な定義などないであろう、『鬼』と『魔』についての解釈を
考えてみる。
鬼というのは人がその行い(前世含む感情や行動)の結果、変じるもので、
人智を超えた力や外見を持ちはするものの、生物としてのベースはあくまで
人間である。
転じて、大きく外見的変貌を遂げた、それこそもはやどこからどう見ても
人間に見えなくなったような存在に対し、『○○鬼』という呼び名が
多く与えられている感がある。
魔というのは、人から生物の理をもって生まれたものではない存在で、
仮に人間そっくりだったとしても、生物としてのベースが全く人間では
ない。ほとんど獣の類と言っても差し支えないだろう。
転じて、人の姿のままで、それこそ表面的には善人のようでありながら
内面や行動が無道にして外道である存在に対し『○○魔』という呼び名が
多く与えられている感がある。
例えば『吸血鬼』とは言うが『吸血魔』とはあまり言わないのは、それが
元々は人間であったことを示唆するからではないだろうか。
その他にも『○○鬼』と呼ばれるものは、大体が元人間であることを
感じさせるものが多い気がする。(近代以降に生まれた言葉を除く)
また、上で行った仮定からの推測であるが『鬼』よりも『魔』の方が
人でなしの度合いが強いニュアンスを持っているのではないかと考える。
最近の言葉での○○魔や○○鬼というのは、単純に語感で決めていそうな
所もあるが、○○魔と呼ばれているものの方がよりえげつない印象がある。
鬼や魔といっても、害悪をもたらすならば悪鬼、悪魔となり、篤い信仰を
得るならば鬼神、魔神となり、女性ならば鬼女、魔女となり、それぞれが
それぞれにまた絶妙にニュアンスが異なってくる。
知れば知るほど概観ができなくなるこの手の考察は、無知なればこそ
出来る代物であろう。『大胆な解釈』に到達できれば御の字である。
そもそも厳密な定義などないであろう、『鬼』と『魔』についての解釈を
考えてみる。
鬼というのは人がその行い(前世含む感情や行動)の結果、変じるもので、
人智を超えた力や外見を持ちはするものの、生物としてのベースはあくまで
人間である。
転じて、大きく外見的変貌を遂げた、それこそもはやどこからどう見ても
人間に見えなくなったような存在に対し、『○○鬼』という呼び名が
多く与えられている感がある。
魔というのは、人から生物の理をもって生まれたものではない存在で、
仮に人間そっくりだったとしても、生物としてのベースが全く人間では
ない。ほとんど獣の類と言っても差し支えないだろう。
転じて、人の姿のままで、それこそ表面的には善人のようでありながら
内面や行動が無道にして外道である存在に対し『○○魔』という呼び名が
多く与えられている感がある。
例えば『吸血鬼』とは言うが『吸血魔』とはあまり言わないのは、それが
元々は人間であったことを示唆するからではないだろうか。
その他にも『○○鬼』と呼ばれるものは、大体が元人間であることを
感じさせるものが多い気がする。(近代以降に生まれた言葉を除く)
また、上で行った仮定からの推測であるが『鬼』よりも『魔』の方が
人でなしの度合いが強いニュアンスを持っているのではないかと考える。
最近の言葉での○○魔や○○鬼というのは、単純に語感で決めていそうな
所もあるが、○○魔と呼ばれているものの方がよりえげつない印象がある。
鬼や魔といっても、害悪をもたらすならば悪鬼、悪魔となり、篤い信仰を
得るならば鬼神、魔神となり、女性ならば鬼女、魔女となり、それぞれが
それぞれにまた絶妙にニュアンスが異なってくる。
知れば知るほど概観ができなくなるこの手の考察は、無知なればこそ
出来る代物であろう。『大胆な解釈』に到達できれば御の字である。
まだ人間味を感じるものが多い気がします。
鬼はまだ心を通わせる余地があるが、
魔にはそんなものはない、という印象ですね。
とは言え、単純に語感だけで決めているものも多そうですが…。