ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

責任って何だろうね

2017年10月10日 23時45分06秒 | Weblog
社会に出てから、堰を切ったように押し寄せる『責任』という言葉や概念で
あるが、正しくそれを理解して履行している人は存外少ないのではないかと
ふと思った。

世の多くの人は責任感に溢れ、責任というものを強く認識しているとは思う。
ただ、それは領分のあいまいな、いささかぼんやりした、しかし濃いもので
それゆえに何かにつけて仕事(責任)に縛られがちになり、しなくても良い
はずの残業やら休日出勤に駆り立てられるのではなかろうか。
ついでに、責任感はあると書いたが、何だかんだで責任を負いたがらない人も
多いように見え、それもかように漠として、しかし重く濃い、有り体に言って
得体の知れないものを背負わされるのを厭う気持ちが働くからではなかろうか
と思った次第である。

結局のところ、重かったり濃かったりするのは仕方ないとして、あいまいで
ぼんやりしたものである(と認識している)のが諸悪の根源のように思える。
仕事の場合、責任の線引きはかなりはっきりしているはずで、軽めの内容で
あれば尚更である。重くなれば給与に反映させて釣り合いを取るのが妥当で
あるが、責任の領分をあいまいなものにした場合も本来は重いのと同義として
給与に反映させて然るべきであろう。なので、責任の内容が重く領分があいまい
な場合は相当な報酬をもって報いねばならないはずなのだが、あまりそのように
なっているようには見えない。 己のこの認識が間違っているのだろうか。

働く人間に責任を与えるのは上司の役目の一つだと思うが、その上司自身が
与える責任についてあまり理解が深くない場合、漠然とした責任を負わせがちである。
しかしそれは上の例に照らせばその上司の失態で、本来は相手の能力を加味した
上で領分をはっきりと定めて与えるべきである。

仕事は自分で取ってくるものだという意見もあるが、それはあくまで『挑戦権がある』
ということで、義務ではない。成功させれば即評価という類のものであろう。
そして取ってくるのは良いが、その仕事の責任は誰が負うのかをしっかり決めて
おかないと後々大変なことになるので、線引きはせねばならない。
往々にして責任というものが上で書いたような、ぼんやりとした環境で起こりがちな
イメージがある。ついでに言うと、その取ってきた仕事は成功させても期待するような
評価に繋がらないという印象もある。

ともあれ、調べてみると意外と線引きがはっきりしていたりすることも多いので、
モヤモヤするようであれば、どこまでが己の責任の領分なのかをハッキリさせておく
と良いのではなかろうか。それがひいては心身及びオン/オフ時の健康に繋がると思う。
四角四面なやつと言われても、結果が出ているならば気にする必要なし。
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