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こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/2(No.1228)
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受難の主日(マタイ27:11-54)
今年、自分をイエスのもとに連れて行こう
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受難の主日は、聖なる一週間、その中のさらに聖なる三日間を先取りし、平日の参加が難しい人のために十字架による救いのわざを思い起こす大切な日曜日です。あとで聖なる三日間に参加する人には、受難の主日に参加することで直前の心の準備にあてることにもなります。
田平教会の今年の年間テーマは「ここに、イエス様のところに連れていきましょう」です。今日の場面に私たちが連れて来られたら、私たちは最後まで留まることができるでしょうか。怖くてイエス様のもとに留まれないかも知れません。キレネ人のシモンのように、通りかかっただけで十字架を担がされるかも知れない。そうなるとますます、「イエス様のそば近くに」というのはおとぎ話かも知れません。
弟子たちはどこに行ったのでしょうか?受難の主日に選ばれる福音朗読では弟子たちは姿を現しません。聖金曜日のヨハネによるイエス・キリストの受難では、十字架のもとに母マリアと愛する弟子とが立っていました。弟子たちはいったいどこに行ったのでしょうか。
弟子たちが見当たらないのは、福音記者が弟子たちをあえて登場させていないのでしょう。弟子たちでさえも、怖くてイエスのそばに留まることができなかった。それを伝えたくて姿が見えない。そうだとしたらイエス様の悲しさはどれほどでしょう。悲しんでくれる人さえ見当たらない中で、イエスはご自分の命をささげるのです。
しかし、わずかの希望はあります。本日の朗読からは見えませんが、百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と言ったその直後にこう記されています。「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」(27・55-56)
「遠くから見守っていた。」これは火の粉を浴びないためです。自分が可愛いからです。私たちも同じです。怖くて遠巻きにしか眺めることができないでいます。「ここに、イエス様のところに連れていきましょう」どころか、「私は遠慮します」と、覚悟も何も見られないのです。
それでも、私たちはこの一週間を過ごします。聖なる三日間に参加する人もいます。今日は怖くて近づけない自分であっても、聖金曜日の受難の典礼には、イエスの母と愛する弟子のように、イエスの十字架のそばに立つ人になりましょう。
今週一週間は、遠くにいる人からそばに立つ人になるための一週間です。怖くて近づけない私をゆるしてくださり、愛してくださるイエスが一日ごとに私たちを引き寄せ、聖なる三日間に招いてくださいます。あなたがもし、生涯一度も聖なる三日間の典礼にあずかったことがないとしたら、今年が初めて参加する年です。今年、自分をイエスのもとに連れて行く歩みが始まるのです。
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‥次の説教は‥‥
聖木曜日(ヨハネ13:1-15)
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ちょっとひとやすみ
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▼聖週間が始まった。「紙の説教案は作らない」と言ったが、28セット作った。こんなことなら「少し作る」と言っておけば良かったかな。
▼思いは二つに分かれる。田平教会と福江教会。次に託す思いと、新しい期待。あまり長い時間、この時間は過ごしたくない。
▼長崎は「船」での別れがある。船を見送る人も船から別れを告げる人も、長い時間手を振る。長い別れの時間も、なかなか辛いものだ。
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今週の1枚
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第835回目。箱詰め。60箱?80箱?結構な数だ。詰めるのも、開くのも大変。
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† 神に感謝 †