こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)後任の神父様も、田平教会に「来なさい」と呼ばれた

2023-04-09 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/9(No.1232)
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復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
後任の神父様も、田平教会に「来なさい」と呼ばれた
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あらためて主の復活おめでとうございます。復活徹夜祭は、中村倫明大司教様の復活の喜びの手紙をお借りして届けました。この復活の主日日中のミサの説教は、私の言葉で伝えたいと思います。

復活徹夜祭の説教を通して、私たちは復活したイエスさまの「おはよう」を聞ききました。イエスさまの「おはよう」「平和があるように」を聞いた人たちは、自分のしなければならないことにすぐに気づき、動き出します。マグダラのマリアは弟子たちのところに走って行きました。

ヨハネ福音書ではありませんが、エマオに向かう弟子たちもイエスから使命を託され、すぐに使徒たちのもとへ走って行きました。ここでは「おはよう」「平和があるように」以外のほかの言葉でしたが、復活したイエスから声をかけられた人は、使命を感じて出かけていくのです。

では私たちはどこで、イエスの声を聞くのでしょうか?「おはよう」「平和があるように」またはその他の声かけを、どこで聞くのでしょうか。いろんな考えがあるかも知れませんが、私たちを田平教会聖堂に集めてくださる声が聞こえた場所が、「復活したイエスが声をかけてくださった場所」ではないか。そう考えています。

中田神父は七年間、評議会の役員に一つの声をかけ続けました。「困った困った。」「お酒があるぞ」とか「おいしいケーキがあるぞ」ではありません。いつも「困った困った」と声をかけていました。するといつもすぐに役員の誰かが「どうしましたか?」と飛んできてくれました。

中田神父の「困った困った」は、評議会の役員からすれば、「あー。すぐに来い」ということだなと理解して、本当にすぐに来て用件を聞き、対処してもらいました。福江にこのまま連れて行きたいくらいです。

イエスも、皆さんを田平教会聖堂に集めるために、巧みに声をかけてくださっています。私たちはただ単に「来なさい」と言われてもすぐには動かないことが多いのです。そこで、一人一人、気が付いたら田平教会聖堂に集められている。そんな仕掛けを、復活したイエスさまは用意するのです。あなたがどうしても、この聖堂に集まって復活を祝う気になるように、工夫して声をかけておられるのです。

「中田神父は、あと2回しか田平で日曜日のミサをしないよ。行く?行かない?」そんな形で「来なさい」と呼びかけるかも知れません。「今年は何回、ミサに行ったかな?」そういう呼びかけかも知れません。「家族のために、みんなで祈ってもらったら?」この声かも知れません。

つまり、復活したイエスの声は、日常生活の中で聞こえるということです。その声はあなたを田平教会聖堂に導きます。あなた自身をこの聖堂に導くだけではありません。あなたの家族も、あなたの友人も、導きを必要としているすべての人も、「来なさい」と呼ばれています。

田平教会聖堂には、復活したイエスから、もう一人「来なさい」と声をかけられました。それは後任の主任神父様です。後任の神父様は初めて平戸地区で司牧活動を始めます。どうか、惜しみない協力をお願い致します。復活したイエスの声に、田平教会家族はきっと応じてくれる。そう信じています。

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‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
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ちょっとひとやすみ
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▼「郷に入っては郷に従え。」57歳にもなって、何かを変えたり従ったり、そんな必要があるのかと思うが、すでにやり方を変えなければならないと感じた。それを受け入れるために、きっと時間がかかるだろう。
▼変えたくないものもある。それを変えてまで新しい環境を受け入れなければならないのだろうか。変えてでも、捨ててでも、新しい環境に入る価値があるのだろうか。見させてもらおう。

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今週の1枚
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第839回目。復活徹夜祭動画オープニングに使用した。イエスは「おはよう」と

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† 神に感謝 †
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復活徹夜祭(マタイ28:1-10)「おはよう」

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こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/8(No.1231)
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復活徹夜祭(マタイ28:1-10)
「おはよう」
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主の御復活おめでとうございます。今年は中村大司教様の「ご復活の喜びの手紙」を復活徹夜祭の説教としたいと思います。手を加えるのは最小限にとどめて、大司教様の皆様への手紙を読み上げます。

2023年 ご復活の喜びの手紙
「おはよう」
大司教 ペトロ 中村 倫明

子どもたち、青年の皆さん、大人の皆さま、イエスさまのご復活おめでとうございます。
(質問)復活のイエスさまが 一番初めに話された言葉は何?
のっけから申し訳ございません。イエスさまがご復活なされて、一番初めに話された言葉はどんな言葉でしたか?マタイの福音書に記してあります。どうぞ聖書を開いて確かめてみてください。

復活されたイエスさまが、ご自分のことを最初に示されたのは、女性の方々にでした。それは、女性たちが、安息日が終わるとすぐにイエスさまのご遺体のところに向かったからかもしれません。いくつかの聖書によれば、「香料と香油を塗るために」(マルコ、ルカ)とあります。

ところが、イエスさまは墓の中にはおいでになりませんでした。復活なさったことを天使から知らされた女性たちは、そのことを弟子たちに伝えに向かう時に、イエスさまは女性たちに現われて、「おはよう」と声をかけてくださいました(マタイ28・9参照)。イエスさまが復活されて、最初に話された言葉は「おはよう」です。

確かに、別の福音書(ヨハネ福音書)では、イエスさまのご遺体が墓にないことを悲しんでいるマグダラのマリアに「なぜ泣いているのか」(ヨハネ20・13)という言葉をかけておられて、この言葉がご復活後のイエスさまの一番初 めの言葉として登場しています。

この言葉にも、わたしたちに対するイエスさまの深いいつくしみを感じますが、より「おはよう」という言葉にはそれを感じますし、やはり一番初めの言葉は「おはよう」ではなかったかと思います。このことは、その後、弟子たちにイエスさまがご出現なされた時におっしゃった言葉からも、想像できそうです。

イエスさまが弟子たちにおっしゃった言葉
弟子たちは、イエスさまを十字架に付けたユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ隠れていました。そこにイエスさまが現れておっしゃいます。「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19,26、ルカ24・36)。

この時にイエスさまが用いられたヘブライ語は「シャローム」ではなかったかと思われます。シャロームは、文字通りには「平和」を意味する言葉ですが、人々は「おはよう」とか「こんにちは」などのあいさつとして使っている言葉です。ですから、やはり、「おはよう」という言葉を、復活後のイエスさまは、一番初めに語っておられたのではないでしょうか。

わたしたちが普段に使う言葉
わたし中村倫明大司教は今年の新年号でお願いしました。「声をかけていこう」と。
声をかけておられますか。教会の行き帰りに、出会う人たちに声をかけていますか。その中でも、「おはよう」という言葉は、出会う時の普段の一番初めのあいさつの言葉です。この普段のあいさつを大切に丁寧にしているでしょうか。出会う人を無視したり、無愛想で笑顔でなかったりしていませんか。ちゃんとわたしたちは基本的なあいさつや対応ができているでしょうか。

聖書の「おはよう」
面白いことにこの普段の基本的な「おはよう」という言葉は、聖書の中では、ご復活の場面にしか登場しません。もちろん、普段の言葉ですので、ことさら記述することもなかったでしょう。ならば、ご復活の時の特別な記述の「おはよう」には特別の含みがあるはずです。

英語では「グッドモーニング」(良い朝)。「良い朝ですね。良い日になりますように」という思いがあるのでしょう。雨が降っても「グッドモーニング」です。そして、ご復活の時の「おはよう」は、まさに「おはよう」の中の「おはよう」です。

だってイエスさまは3日前に亡くなって、墓に葬られていました。「おはよう」と言える朝が来るなんてありえない「おはよう」なんです。あるいは、もしそこに言葉が存在するなら、「おはよう」よりも「うらめしや」「おれを見捨てたな」「呪い殺してやる」の言葉が人間の世界かもしれません。でも復活の世界は、何もなかったかのように、いつものように「おはよう」で始まっていきます。

以前、聖フランシスコ病院の玄関に立つ機会がありました。ある日、知っている方がやってきて、笑顔で「おはようございます」と声をかけてもらいました。「何事ですか?」と尋ねると、「おふくろが危篤で呼び出されました」。わたしは言葉が出ませんでした。

次の日、「おはようございます」と同じ方でした。「どうでしたか」勇気を出して尋ねました。「まだ頑張っています」うれしかったです。3日目、同じ方が「おはようございます。お世話になりました。今から葬儀の準備です。お祈りください」。悲しいのにつらいはずなのに、感謝を知っている人の「おはよう」でした。

ならば、復活の主に出会ったなら、どんな時だって「おはよう」です。苦しくつらい時も悲しい時も、過ちや罪を犯しても、どんな時だって、復活された主はともにおられます。

あらためてお願いいたします。「主はともにおられます」「主の平和がありますように」の思いを込めての、わたしたちの「おはよう」の声かけを復活させていきましょう。

子どもたちへ
「オッハー!」(だいぶふるいかなぁ)

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‥次の説教は‥‥
復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
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ちょっとひとやすみ
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▼「司祭館の中で揉めていたら、どうしてその小教区が立ちゆくでしょうか。」私は司祭館の中の統率を取る責任を託された。助任が二人。彼らが納得して協力し、互いに仕え合うことができる司祭館を模索しなければならない。
▼厳しく礼儀を教える司祭の話を聞いた。時代に合わないのではないかと疑問を感じた。しかし今になって、「礼儀」も司祭管内の統率を取る大切な様相だと感じ始めている。失礼なことをしていたら謝らなければならない。失礼を詫びる道を教えなければならない。

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今週の1枚
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第838回目。イエスの聖心にささげられた福江教会。20日からお世話に。

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† 神に感謝 †
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