こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

待降節第4主日(ルカ1:26-38)小教区再編

2020-12-19 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/201220.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/12/20(No.1095)
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待降節第4主日(ルカ1:26-38)
小教区再編
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。チャンネル登録歓迎します。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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待降節第4主日、天使のお告げでマリアにイエスの誕生が予告される場面が福音朗読に選ばれました。今回説教は2014年の原稿をもとにしています。マリアは人間の知恵では完全に把握できない出来事を受け入れようとします。人間が知恵を巡らせても把握できないとき、どのようにして出来事を受け止めるのか、マリアは教えてくださいます。

聖堂入り口に、先週から「アンケート」とその「回収箱」を置きました。お知らせをしなかったのは失敗でしたが、内容は「小教区再編について」です。すでに教区報などでも取り上げられていますが、現状で77ある小教区すべてに主任司祭を派遣できておりません。小教区の数より主任司祭の数が少ないのです。この状態は一時的なものではなく、これからもずっと続くことが予想されます。

そこで、二つの質問を書いたメモを用意しました。平戸地区は小教区が8つあり、そのすべてに主任司祭が派遣されています。しかしこの状態は恵まれているのであって、ひょっとしたら次の人事異動では、8つの小教区に対して7人(あるいは6人)の主任司祭しか派遣できないと言われるかも知れません。そうなった時、田平小教区の信徒としてどんなことを要望したいですか、書いてみてください。

あるいは、これからの司祭減少傾向に対応するため、平戸地区を7つの小教区(または6つの小教区)に組み直すかも知れません。そうなった時、田平小教区の信徒としてどこまでは受け入れられますか、どんなお願いをしたいですか、考えて書いてみてください。

こんなお願いをして、「いきなりそんなこと言われても困る」と気を悪くされるかも知れません。ですが一歩引いて考えてみてください。「無い袖は振れない」のです。「平戸地区はずっと8人の主任司祭が与えられて当然です」とばかり言えなくなっています。「平戸地区の小教区を減らすなんてとんでもない」とばかり言えなくなっているのです。

長崎教区の神学生が、中学・高校・福岡の大神学院、合計12学年で25人くらいしかいなくて、彼らが12年間でかろうじて半数司祭まで辿り着く。しかしその頃までに同じだけの数、いやそれ以上の現役の司祭が引退する。明らかに、司祭数は減少していきます。田平教会が助けてあげられること、田平教会がここまでは受け入れられるということ、それらを一歩引いて考えて、回答用紙に記入して投函してください。

福音に戻りましょう。今週はイエスの誕生が予告される場面が選ばれました。天使ガブリエルが、特別なメッセージを携えてマリアのもとに遣わされます。天使ガブリエルは、神から託されたメッセージをそのまま届けますが、マリアは出来事の大きさに戸惑います。自分が身ごもって男の子を産み、その子はいと高き方の子。ダビデの王座につき、永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがないと言うのです。

マリアは、天使のお告げが何のことか分かりません。天使が続けて説明してくれるかもしれないので、「どうして、そのようなことがありえましょうか」(1・34)と問いかけます。天使は、マリアの理解を超えるこの出来事は、聖霊の働き、いと高き方の力に包まれて起こることだと説明しました。

ここで、マリアが人間的な理解力に頼って判断しようとしていたら、判断を誤っていたかもしれません。出来事は人間の理解を超えることだったからです。人間が正しく判断できる事柄は、人間の理解が及ぶ出来事に限られます。それ以上のことを正しく判断するのは、もともと人間には不可能なのです。

そこで、マリアは一歩引いて考えました。自分は主のはしため、主の召し使いではないか。主人が自分をよいように計らってくださるはずではないか。それなら、自分の考えの及ばないことまで考えておられる主に信頼して委ねよう。

考えの及ばないことを示された時、一歩引いて考えるとよい判断にたどり着くことがあります。世の中に、騙されて泣く人がいますが、その人は自分だけで判断しようとして却って騙されるのです。もし一歩身を引いて、近親者や第三者にひとこと相談すれば、大金を騙し取られる人はもっと少なくなるでしょう。そのように、一歩引いて考えるとき、目の前だけでなく、もう少し広く見渡せるようになり、少し遠くを見通せるようになるわけです。

マリアは一歩引いて考えました。一歩引いたとき、主なる神が出来事の中心にいて、導いていることを知りました。出来事がどのように進んでいくのかは分からなくても、主なる神が中心にいて働かれるのだから信頼して受け入れよう、そう決断したのです。一歩引いて、見えなかったことが見えるようになり、恐れに囚われていた心が解放されました。

人間が知恵を巡らせても把握できない場面で、どのようにして出来事を受け止めるのか、マリアは教えてくださいます。それは一歩身を引いて考え、観察することです。思い通りにならないこと、いくら言っても理解してもらえないことなど、わたしたちの生活には「なぜ?」と言いたくなることがいろいろあるでしょう。

それら難しい出来事に、マリアはお手本を示してくださいます。あなたの立っている場所から、一歩引いてみなさい。そうすることで、見えなかったものが見えるはず。マリアは人類に与えられる救い主の母となる場面で、率先してお手本を示してくださったのです。「いや待てよ」とか「もう一回考えてみよう」と立ち止まったり一歩引いたりすることは、本当に必要なことを見極めるため必要な時があるのです。マリアがそれを教えてくださいました。

マリアが一歩引いて考えてくださったことで、神が人を救う計画がいよいよ実現しようとしています。歴史の中心に神が置かれて、歴史が動こうとしています。わたしたちも、神の計画の前に一歩身を引くことを学びましょう。人間が一歩引くことで神が出来事の中心になり、出来事は最高の結果をもたらし、わたしたちは喜びに満たされます。

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‥次の説教は‥‥
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼東京の名誉大司教がお亡くなりになった。この時期に亡くなると、葬儀も大変だろう。お祈りし、これまでの働きを神が報いてくださることを願いたい。引退されていた司教様とは言え、影響は大きかっただろうから、東京大司教区のためにもお祈りしたい。
▼クリスマスはもう目の前。しかし、とても楽しみに待つ気分ではない。コロナ禍でのミサ参加者に対する配慮を思うと、無事にクリスマスと神の母聖マリアのミサが終わってくれれば、それでもう「御の字」である。
▼長崎県もジワジワと感染者が増加している。一人とか二人の感染者報告でもビビっていたが、18日は県内合計で18人の感染者が報告された。あと数日でクリスマスだが、最悪の場合公式のミサができなくなることも頭の隅にある。そうならないことを願うばかりだ。
▼急に寒くなった。長崎は豪雪地帯ではないが、先日の高速道路での立ち往生は、想定外の出来事とは言え、かわいそうでならなかった。30時間以上雪に閉じ込められ、どうにかならないのかと一人で気を揉み、責任追及を心の中でしてしまった。責任者も大変だったろう。
▼長崎教区の「教区報」で、新年から「わたしたちは何を目指すのか」という連載が二面で始まった。大変興味深い。新型コロナウィルスの影響をどう乗り越え、長崎教区がどう歩んでいくのか、依頼された方々の記事をみんなで分かち合いたい。

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今週の1枚
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第702回目。修道院の部屋の奥に眠っていた飾りが表舞台に。滑石の人の作か?

http://ss104313.stars.ne.jp/201220.jpg
ホームページもご覧ください。
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今週の「笑える」
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「もう一度『はちまん岳』登りたい」「それ、『安満岳』だよ」
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† 神に感謝 †
コメント
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