こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

主の奉献(ルカ2:22-40)神殿に詣でることでシメオンと同じ恩恵に浴する

2020-02-01 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/200202.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/2/2(No.1045)
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主の奉献(ルカ2:22-40)
神殿に詣でることでシメオンと同じ恩恵に浴する
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主の奉献の祝日です。この祝日は本来「日付で祝う祝日」です。今年は日曜日に当たったので「主の奉献」の朗読箇所に沿って説教をしています。ちなみに前回2月2日が日曜日だったのは2014年、その前になると2003年までさかのぼることになります。

マラソン大会から無事に戻ってきました。練習不足で、去年よりも3分遅いタイムでした。しかも前日月曜日の過ごし方が悪かった。司祭たちは各地区月曜日の晩に「月曜会」(集まっての食事会)をしているのですが、日曜日上五島入りした私は、鯛ノ浦教会の主任神父様から「久しぶりに上五島の月曜会に来ませんか?」とお誘いを受けました。

それで月曜日の夜、上五島地区の司祭団と一緒になって飲み食いしたわけです。話題はもっぱら、翌日の天気のことでした。皆さんもご存知の通り、月曜日は大嵐でした。「明日、土井ノ浦から福江に船は出るだろうか?」「今日この天気ですよ?出るわけないじゃないですか。ウェザーニュースだってほら、波は4mですから。安心して飲みましょう!」こんな感じで調子に乗って焼酎のロックを飲んだわけです。

翌、火曜日の朝に鯛ノ浦教会の共同ミサに参加しました。前の日の嵐がうそのように静かになり、仕方なく、重い足取りで土井ノ浦港から福江港に移動し、堂崎天主堂をスタートして10キロ走ってきました。成績はぱっとしませんでしたが、切り替えて、今村教会までの120キロ「徒歩をメインにした巡礼」のトレーニングを積もうと思っています。

ついでですが、料理のレパートリーが増えました。この前煮込みハンバーグを食べました。ハンバーグは貰い物ですが、生涯一度も作ったことがない物まで手がけるようになりました。昔、「料理の鉄人」という番組がありまして、その中で「四川料理の鉄人・陳建一」という料理人が出ておりました。私も料理の幅が広がってきたので「田平の陳建一ならぬ陳輝次」とうそぶいてみようかと思っています。

福音朗読に入りましょう。マリアとヨセフが幼子イエスを神殿に奉献するためにやって来ましたが、マリアとヨセフの両親はすっかり背後に隠れ、抱かれてやって来たはずの幼子イエスに光が当たるように描かれています。シメオンの預言の場面でも、マリアはただじっと聞いているだけです。ここでは神殿でイエスに出会うと、人はどのように変わるのか、変えられていくのかを学ぶことにしましょう。

まずシメオンが神殿で待ち構えていました。彼は幼子イエスを腕に抱き、神をたたえます。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。」(2・25)夜昼神殿で祈りを捧げていた人は、「神をたたえる人」に変わりました。「メシアを待ち望む人」から、「メシアに会い、その喜びを感謝してたたえる人」に変えられたのです。

次に、女預言者アンナに出会いました。彼女もまた幼子イエスを見て「神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した」(2・38)とあります。彼女は神をたたえる人に加えて人びとに幼子のことを語る人になりました。彼女もまた、「夜も昼も神に仕える人」から、「神をたたえ、告げ知らせる人」に変えられたのです。

シメオンとアンナは、幼子イエスに出会って変えられました。神殿で出会ったことは強調して良いと思います。神殿は人が神と出会う場所のはずですから、聖霊からお告げを受けていたシメオンは、直接イエスを見るまでもなくメシアの到来を賛美し、告げ知らせる人になっても良さそうなものです。けれども神は、当時の神殿で、奉献されるためにやって来たイエスと出会うことを計画しておられたのです。

この出来事を私たちに当てはめてみましょう。私はこれを、「日曜日、主の祭壇でイエスと出会い、私たちも変えられましょう」と当てはめたいと思います。シメオンもアンナも、当時の神殿が大切な場所だったので神殿でメシアを待っていたのですが、これからはイエスを囲んで集まる場所が「新しい神殿」に変わります。そこでイエスに出会い、変えられて、神をたたえ、宣教者とされていくのです。

私たちも、日曜日にこの聖堂でイエスを囲み、イエスに触れることで変えられていきます。祈りに熱心で、信仰あつく暮らすことは、家庭祭壇で祈る人にも可能です。ですがそれだけでしたら、イエスに変えられることは難しいのです。私たちが日曜日ごとにこの田平教会に来て、主の祭壇を囲むことが、救い主がおいでになった私たちには必要なことなのです。

シメオンの神を賛美する姿は、天と地をつなぐ姿です。アンナが人びとに幼子のことを語る姿は、地上のすべてを一つに結ぶ姿です。シメオンに天と地をつなぐ力があったのではありません。アンナに地上のすべてを一つに結ぶ力があったのではありません。イエス・キリストに触れたことで、変えられたのです。

私たちも同じです。聖体の秘跡に実際においでになるイエス・キリスト、このキリストに触れることで、私たちも変えられます。祈りはするけれども聖書の朗読を頼まれたら尻込みする人。あなたも、イエス・キリストに変えられて神のことばを賛美する人になることができます。

信心業には定期的に参加して、教会を離れることはしないけれども、教会の役員には向いていません。あなたも、誇りを持って自分の信仰を田平教会が前進するために役立てる人に変わることができます。イエス・キリストに触れる、それも日曜日に教会に来てイエスに触れることで、変えてもらえるのです。

最後に、3月20日の司祭叙階式に触れて終わりたいと思います。今年は助祭が一人と司祭が一人叙階される予定です。神の家で、イエスに直接触れて、イエスの身分で働く人に変えられる瞬間です。「わたしはこの目であなたの救いを見た」(2・30)シメオンの言葉を私もこれまで数十回浦上教会で目撃しました。私たちの田平教会も、この目で神の救いのわざを見るかけがえのない場所なのです。

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‥次の説教は‥‥
年間第5主日(マタイ5:13-16)
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ちょっとひとやすみ
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▼悔しくて、説教では触れなかった話題と、恥ずかしくてとてもではないが説教で触れることのできない話題。マラソン大会に大阪から「刺客」が送られてきていた。補佐司教様から情報を得たのか、それともこの説教メルマガ・説教ブログで目にしたのか。
▼二人の大阪教区の司祭がマラソン大会でそれぞれ脚光を浴びた。一人は成績2位。一人は最年長参加。成績2位は立派である。去年までの優勝者(平戸地区のK師)を押さえた人が二人も出て、そのうちの一人は誰も知らなかったのだからすごい。
▼参加者最年長の先輩は私の次、司祭の順位で14位だった。私がちょっとでも諦めれば、追い抜かれていたかも知れない。やはり「ようやく1時間を切る」というタイムではダメだ。50分を目標に、調子次第で45分でゴールできるようなタイムで走らないと楽しくない。
▼マラソン大会から帰って、田平教会でのミサ。この日はふだんよりも寒かった。「こんな日は格好付けずにパッチ(ももひき)を履こう。」そう思ってパッチを履いていった。しかしパッチを履いてもなお寒い。聖堂内はエアコンを入れて少し温めている。
▼「それなのに女子がスカートで過ごしているような・・・あ!」ようやくここで気づく。パッチは履いたけれどもズボンを履き忘れていたのだった。昨年そんなことがあって、司祭館玄関で気付いてズボンを履いて聖堂に入ったのだったが、今回はいよいよやってしまった。
▼しかし、偶然は重なるもので、この日子どもの侍者が来なかったために典礼委員長が侍者を務めてくれた。その典礼委員長がこう言った。「神父様、今日はスースーして寒いですから、香部屋と祭壇を区切っている木の扉を閉めてから入堂しますね。」私はてっきり、スータンの下にパッチしか履いていない私を見るに見かねてそう言ったのかとギョッとした。

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今週の1枚
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第652回目。上五島土井ノ浦港。前日の嵐が一転、きれいな虹。マラソン日和。

ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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