こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第17主日(マタイ13:44-52)神の国の働きを新しいものからも古いものからも見る

2020-07-25 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
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http://ss104313.stars.ne.jp/voice/200726.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/7/26(No.1073)
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年間第17主日(マタイ13:44-52)
神の国の働きを新しいものからも古いものからも見る
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
チャンネル登録歓迎します。
(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
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「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」(13・52)自分の倉から新しいものと古いものを取り出し、どちらからも天の国のことを自在に話せる。これがまことの学者です。この世の中に数え切れないほど学者がいても、天の国のことを学んだ学者は限られています。

7月25日は聖ヤコブの祝日でした。聖ヤコブの霊名をいただいた人で皆さん誰を思い出しますか?まずは田平出身の山内豊神父様を思い出してください。今年は25日に豊神父様の住まいを訪問して、お祝いの品を渡し、一緒にミサをささげてきました。いつもは一人でささげるミサを中田神父と教会役員とが一緒にささげたので、とても喜んでおられました。

それはそうだろうと思います。私も政府の緊急事態宣言の期間、教区本部の通達に従って個人でミサをささげていました。「主はみなさんと共に」と唱えても誰も返事のないミサです。「主よ、あわれみたまえ」と自分で言って、「主よ、あわれみたまえ」と自分で答えるミサです。私はせいぜい二ヶ月くらいでしたが、豊神父様は引退してから10年、15年、忠実にささげてくださいました。一緒にミサをささげながら、頭の下がる思いがしました。

ミサが終わってから、しばらく豊神父様が思い出話を語ってくださいました。私たちがまったく知らない原爆投下から半年後の浦上と大浦の様子から、私が知っている時代の話まで、自在に引き出しから出して話してくださいました。それはすべて、神様が豊神父様を導いてくれた信仰の歩みでした。どの話からも、神父様が司祭になって神様を証しする材料になっていました。

私は山内神父様に、イエス様が言う「天の国のことを学んだ学者」の姿を見ました。思い出話の中で一つ紹介しませんでしたが、豊神父様が司祭になるにあたって、「天の国のことを学んだ学者」に育っていたことを伺わせる思い出を語っていました。

豊神父様は大神学校の最終学年になって、「考えに考えた結果、私は司祭になる自信がありません」と、霊的指導を8年間つきっきりでしてくれたカナダ人の司祭に打ち明けたそうです。それに対してカナダ人の霊的指導司祭(おそらくツルデル神父様だと思います)は次のように言ったそうです。「だったら司祭になりなさい。」その場に居合わせた人が気づいたか分かりませんが、その思い出を語りながら、「あの時『だったら司祭になりなさい』と言ってもらったおかげで、こうして司祭叙階60周年を迎えることができました」と感慨深げに振り返っていたのを私は見逃しませんでした。

私も、今50歳を過ぎて、その意味が分かります。「司祭になる自信がない」自信がないほうが、むしろ司祭に適しています。「自信がある」という人は得てして成功しないからです。自分の能力を過信せず、いつも慎重に司祭職を果たす、用心深い人。自分の能力ではなく、「弱さの中に働く神の力」を信じて生きる人。そのような人をイエスは弟子として求めておられるのです。

歳を取った人の話に、中田神父はあまり興味がありませんでした。そもそも歳を取った人のどこが優れているのか、理解できていませんでした。記憶力も、瞬発力もない。けれども自分がかつて煙たがっていた中年になった時に、この歳にならないと語れないことがあるし、ここに辿り着かないと気づかないことがあると、納得したのです。

「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」40年前の体験に良い味付けをして、天の国のこと、信仰を生きる人のことを語る材料にできる。今若い人のあいだで猛烈に流行していることの中に、天の国のこと、信仰を生きている人のことを語る材料を見つけることができる。30代、40代でも、できなかったかも知れません。それが今少しだけできるようになった。豊神父様の年代になる時が、私は楽しみになってきたのです。

私たちはそれぞれ「古いもの」を持っています。「古いもの」を持っていない人もいますが、ほとんどの方が「古いもの」を持っています。その「古いもの」は、倉から取り出した時に、神の国のことを何か感じさせるでしょうか。「古いもの」でも、取り出せばいつでも神の国の何かを感じさせる。そういうものは貴重です。いつまでも大切に保管してください。

一方で私たちは、「新しいもの」を持っています。新しい味付けで生まれ変わったものも、「新しいもの」に含まれます。新しい世代の人は「カセットテープ」を知らないので、それを見た時に「新しい何か」だと考え、今カセットテープは静かなブームになっているそうです。そう言えば、スペインのサンチアゴ巡礼も、500年前にすたれて誰も見向きもしなくなっていましたが、21世紀になって、最盛期だった年間50万人の巡礼者に迫る勢いなのだそうです。ちなみに、「サンチアゴ」とは「聖ヤコブ」のスペインでの呼び名で、聖ヤコブにささげられた壮麗な大聖堂への巡礼を「サンチアゴ巡礼」と呼びます。

私たちの中になる「古いもの」と「新しいもの」が、倉から引き出される時、いつも「天の国のことを知らせる道具」でありたいものです。もっと言うなら、私たちが大切にしまっているものの中に、「天の国のことを知らせる道具」以外のものがあるとすれば、それらに執着すべきではありません。私たちが大切にしまうべき「古いもの」「新しいもの」は、「天の国のことを知らせる道具かどうか」いつもこの基準で整理整頓したいものです。

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‥次の説教は‥‥
年間第18主日(マタイ14:13-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼「PLCアダプター」という物を買った。コンセントに差すだけで、有線LANを用意できるというスグレモノ。田平教会の司祭館は建て増しをした結果東西に長いため、無線LANで東側の台所と西側の勉強部屋を接続できない。
▼そこで、まずは「無線LANの増設機器」を買って接続してみた。これで主任司祭の用事は済んだのだが、現状では台所に無線が届かないのは問題になる。台所でも無線Wi-Fiが必要になっている。だが、いろいろ増設機器の置き場所を工夫するが、確実に接続できない。
▼そこで、昔から目を付けていた「電力線インターネット」の原理を応用した「電力線室内LAN」の機器を購入。自分が目を付けた頃からしても進歩しているようなので、導入を決断。届いた商品は至って簡単で、親機と子機を適当な場所のコンセントに差すだけで準備ができた。
▼「おお!」と思わず声を上げる。これだと、コンセントのある場所であれば自由にLANを利用できる環境が用意できる。たまに、接続が不安定なことはあるが、無線と違って距離を気にせず、LANケーブルでインターネットを利用できる環境が整った。
▼今週の説教との兼ね合いで言えば、この「PLCアダプター」は「古くて新しい機器」だが、「天の国のことを知らせる道具」かと問われると疑問が残る。それでも、教会学校の子供達に、西側の勉強部屋でしか見せることのできない素材を見せることもあるのだから、良い買い物だったと考えよう。

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今週の1枚
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第680回目。せっかくの連休だったが、休日らしきこともせず巣籠もり。

ホームページもご覧ください。
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今週の「笑える」
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「釣りアイテムを『ガマダス』で揃えてみた」「そんなメーカーあったっけ?」
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† 神に感謝 †
コメント
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