こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活節第3主日(ルカ24:13-35)今弟子はどこへ行き、何をすべきか

2020-04-25 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/4/26(No.1060)
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復活節第3主日(ルカ24:13-35)
今弟子はどこへ行き、何をすべきか
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復活節第3主日は、復活したイエスがエマオで弟子たちに現れる場面が朗読されました。エマオに向かう弟子たちの出会っている方が復活したイエスだと気づいたのは、イエスが「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」(24・30)場面でした。ここに注目して学びを得ることにしましょう。

皆さんも、最近人と会うことが少なくなっていると思います。会う人が少なくなれば、変わった人と出会うことも少ないでしょう。面白い話を聞くことも少ないでしょう。そこで私のちょっとした失敗で、大いに笑ってください。

先週、春物の長袖シャツを買いました。思い切って派手な色のシャツを買いました。あわせて春物のジャンパーを買いました。こちらは地味な色です。シャツと合わせると、ちょうど良い着こなしになるなと、自分で喜んでおりました。

古くから付き合いのある人に、春物の服を買った話をしました。「どこで買ったの?」と聞かれたので、「西松屋で買ったよ」と答えたのです。実際には「しまむら」で買った服でした。するとその人は笑い転げて「笑いすぎておなか痛い。助けて~」と言うのです。何がそんなにおかしいのか分からない私は、「西松屋で買った服は似合わないかなぁ?」とさらに追い打ちをかけたのです。するとその人は笑いすぎて声も出なくなりました。
笑いをこらえながら、その人は必死の思いでこう言ったのです。「神父様の服は、もしかして『しまむら』で買ったんじゃないの?『西松屋』は子供服専門の店よ。」ここでようやく笑っていた理由が分かりました。

福音朗読に戻りましょう。エマオに向かう弟子たちは、完全に気落ちしてエルサレムを離れようとしていました。「心ここにあらず」そんな人にとっては、身近な人がそこに居てもその人だと気づかないかも知れません。そんな状態で、イエスと共に歩いていたのです。

復活したイエスはまず、聖書を説明し始めます。「(イエスは)モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」(24・27)たとえば裁判などで証拠として採用されるのは、一つは「証言」、もう一つは「物的証拠」です。復活したイエスは、言ってみれば「証言」を通してイエスが苦しみを受けて復活することになっていると説明します。

しかし弟子たちは「証言」によって変わることができませんでした。彼らの失望を希望に変えるためには、「証言」だけでは十分ではなかったのです。聖書の一つひとつの言葉は力ある言葉ですが、エマオに向かう弟子たちの心はすべてが奪われ、空虚になっていたので、聖書の言葉だけでは変わることができなかったのです。

そこでイエスは、ご自身のわざによって弟子たちの心に触れようとしました。ここで物的証拠を示されるのです。「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(24・30-31)

パンを裂いたとき、二人は目の前におられる方がイエスだと分かりました。イエスは復活し、生きておられると分かりました。私はこの「イエスがパンを裂いたとき」は、単に夕食の席で食べるパンを裂いたときに限らなくてもよいのではないかと思うのです。イエスがパンを裂かれる様子は、最後の晩餐を思い起こさせます。最後の晩餐のかたどりなら、それは同時に、十字架上の出来事でもあります。

つまりこういうことです。食卓のパンを裂いたときに復活したイエスが目の前におられると理解した。出来事が教えているのは、イエスがご自分の身体を裂いてお与えになる場面はすべて、パンを裂いてくださったあの二人の弟子の体験と重なるのだということです。

対立している人と人との間に和解をもたらすため、イエスがご自身を裂いて両者の歩み寄りを叶えてくださる。ゆるしがたい人が心から罪を悔やんでいる。人間としてはゆるせないけれども、イエスがご自身を引き裂いてゆるしの力を与えてくださる。このようにイエスがご自分を裂いて与えてくださる場所で、人は復活したイエスに出会い、「イエスは生きている」と実感することができるのです。

イエスがご自身をパンとして裂いてお与えになる場面は福音書の中だけではありません。新型コロナウィルスの影響で、ミサが中止となり希望をなくしている私たちにこそ、必要とされています。イエスは喜んでご自身を裂いてお与えになり、「わたしは生きて、いつもあなたたちと共にいる」と声をかけ、力づけてくださるのです。

イエスが生きておられると理解した二人の弟子は、エルサレムに戻りました。エルサレムは危険な場所になっていたはずです。イエスが復活して生きていると主張すれば、自分たちに危害が及ぶかも知れません。それでもあえて、二人はエルサレムに留まっている弟子たちの元へ行ったのでした。「イエスは生きておられる」と知った私たちにも、復活の喜びを告げ知らせる使命が与えられています。

完全に希望を絶たれた人にイエスは現れて、ご自身を裂いてお与えになり、勇気と希望を与えてくださいます。ミサに参加する可能性を完全に奪われた私たちにも、復活したイエスはご自身を裂いて与えてくださり、苦難を耐え、苦しみからでも復活したイエスを喜んで伝えられる人になるよう望んでおられます。

裂かれたパン、裂かれたイエスご自身は、どんな暗闇をも打ち破る希望の光です。エマオへ向かおうとしていた弟子たちに現れたイエスは、今私たちを力づけ、励ましてくださいます。信頼して、また祭壇で食卓を囲む日を待ちましょう。イエスは今も私たちと共に歩いてくださり、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」(24・17)と声をかけてくださいます。

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‥次の説教は‥‥
復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)
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ちょっとひとやすみ
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▼不謹慎な話と思われるだろうが、釣りに行けなくて困っている。魚を確保して、お刺身、焼き魚、煮付けなど食べたいが、それができない。原因は春の嵐だ。月曜日が公休日の中田神父にとってその日は待ちに待った「漁に出る日」なのだが、このところずっと強風に邪魔されている。
▼平戸瀬戸は東西に平戸大橋が架けられていて、海水は南北に満ち干する。この状況で東風はわりあい私の漁場に影響しないが、西風、または南北の風は釣りを困難にする。この季節の風は南西の風、南南西の風。しかも5m以上だ。
▼5mまでなら、「行く!」と覚悟を決めて行く。しかし6mとか、7mになると、これはもう「命がけ」ということになる。さすがに命はかけられない。新型コロナウィルスの影響で命の危険なら同情してもらえるが、「釣りに行っていた」では笑われるのが関の山だ。
▼こうして説教を書きながらも強風が「ザワザワ~」とか「ガサガサ~」とか音を立てている。恨めしい。最近道路からのすべての進入口に「三角コーン」と「ポール」を設置して人の出入りが厳しく制限されているので、教会敷地内はあらゆる野鳥がなわばりを主張して一日中鳴いている。人間の出入りが極端に少なくなったことを鳥たちも理解しているらしい。
▼さらに始末が悪いのが野良猫だ。夜、パートナーを求めて「ニャオーンニャオーン!」と鳴く。最近は日中も鳴いている。迷惑なので、水をかけたり石を投げたりするが、「何するんだよ!」みたいに私のほうが睨まれる。世帯主は私なのに。

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今週の1枚
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第667回目。肘をついて「うーうー」うなりながら説教を考えてたらこの有様。

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† 神に感謝 †
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