こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)信じない者ではなく、信じる者になりなさい

2020-04-18 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/4/19(No.1059)
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神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
信じない者ではなく、信じる者になりなさい
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復活節第二主日、神のいつくしみの主日を迎えました。緊急事態宣言が全国に広げられましたが、私の印象は、限定的に使用された法律も、最終的には全国民を規制する法律に化けるのか。そういう印象です。感染者数が多い少ないはこの際問題ではないのは分かりますが、全国一律には違うのではないか、そういう思いが拭いきれません。

さて今週の福音朗読から届けたいメッセージは、神が与えようとするのは、徹底していつくしみなのだということです。復活した主は平和を与え、使命を与え、いつくしみを与えてくださいました。すべてひっくるめて考えると、復活した主は私たちが生きるように、命を与えてくれました。いつくしみのある所に、神が、神の愛が、現れるのです。

朗読では二つの出来事が組み合わされていますが、どちらも「週の初めの日」の出来事です。それは私たちにとっての日曜日です。弟子たちに復活したイエスが出現したことと、最初の出現に立ち会っていなかったトマスに、イエスが出現したことが組み合わされています。ここから、「週の初めの日」つまり日曜日に、イエスを信じる集まりにも、イエスを信じる個人にも、いつくしみを示してくださるということです。

最初の出現でイエスが弟子たちに手とわき腹とをお見せになると、「弟子たちは、主を見て喜んだ」(20・20)とあります。本来は、「喜べる立場か?」と非難されても仕方ない状態です。イエスの十字架の場面で弟子たちはその場にいなかったのですから。それでも「主を見て喜んだ」と書かれている。これは、イエスのいつくしみがどれほど大きいかを物語っていると思います。

神のいつくしみを考えるとき、「放蕩息子のたとえ」を思い出さずにはいられません。弟のしたことは、兄からの非難でも分かるように、弁解のしようがないものでした。けれどもこの物語が示そうとしているのは、それを上回る父親のいつくしみでした。人間は、神のいつくしみのおかげで、すべてを水に流してもらい、いつくしみを受けた人間に生まれ変わるのです。

八日の後、新しい週の初めの日、トマスも神のいつくしみに触れることになります。トマスの心は頑なになっていました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(20・25)もはや弟子たちにはトマスの心を開く力は無かったのです。トマスがへそを曲げているだけかも知れません。けれども似たようなことは、私たちの誰にでも起こることではないでしょうか。

兄弟姉妹でいがみ合っている人たちがいます。兄弟は本来最も理解し合えるはずの関係です。それなのにどちらも折れようとせず、何年も一言も口をきかない場合があります。司祭は「兄弟」と呼ばれたりする間柄ですが、その中でも同級生は理解し合える間柄のはずです。けれども同級生と一言も口を聞かないこともあります。そうなった理由とか、その人の言い分があるわけです。こじれた関係、こじれた絆は、とても人間の力では修復できないものになってしまいます。

そんな、人間にはもはや心を開かせる術がないときに、神のいつくしみが必要なのです。神はどれほど頑なで、心を閉ざすもっともな理由がある人でも、神のいつくしみで覆い、いやしを与えてくださいます。頭では心を開くべきだと分かっていてもそうできない弱い人間を、神のいつくしみは黙って、覆い尽くしてくださるのです。心を開けず、後れを取った人たちを黙って受け入れ、群れに連れ戻してくださる。それが神のいつくしみの働きなのです。

今、神のいつくしみは誰に必要でしょうか。新型コロナウィルスの影響で、人が人と近づくことを避けようとしています。多くの人が自宅にこもり、もしかしたら自分の殻に閉じこもっているかも知れません。今年の神のいつくしみの主日は、すべての人に必要な恵みの日となった。私はそう考えます。

ミサに来ることを制限されました。司祭も会衆のいないミサを要請されています。いつまで、私たちは耐えなければならないのでしょうか。ある人は神様の働きが遅すぎるのではないかと悲観しているかも知れません。たとえ人間には遅いと思われても、神は遅れることなくご自身のいつくしみを示してくださいます。神がお与えになるはいつもご自身のいつくしみであって、罰ではないのです。

神のいつくしみに信頼を寄せましょう。ミサ再開の日を、神は取り上げているのではなく、私たちにより深く求めさせているのです。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(20・27)ミサ再開の日を信じない者ではなく、信じる者になりましょう。

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‥次の説教は‥‥
復活節第3主日(ルカ24:13-35)
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ちょっとひとやすみ
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▼ドラッグストアに行ってきた。入り口には「マスクは入荷未定です」と張り紙がしてあった。月に1億枚とか、2億枚とか生産していても、入荷しないらしい。私はその理由が分かるような気がする。
▼今の生活では、100歩進めば店がある。コンビニ、スーパー、小売店。そのどれもが「マスク」を100枚販売しようとしたら、店頭に必要な枚数は、10億枚も、20億枚も必要なのではないか。昔は町内に店は数軒しかなく、そういう時代であれば店頭に必要な枚数は数百万枚程度で、入荷しないなどということは無かったことだろう。
▼ちょっと歩けば似たような店がある。この状態が、1億枚生産しても店頭に並ばない原因ではないのか。だとすれば私たちが期待した今の生活の形が、マスク不足を引き起こしているのである。私は(効果のほどは別として)マスクは買わず、手作りの物を使用している。
▼また、ドラッグストアで目の飛び出るような商品を見た。2500円以上する歯磨き粉だ。私の198円の歯磨き粉が、ゆうに12個買えるではないか!こんな物を使う人がいるのか?用途が同じでも、「保険が利くもの」と「保険が利かないもの」との違いを見たような感じだった。
▼部屋が暗くてうんざりしていたので、思い切って部屋の明かりを取り替えた。はやりのLED照明だ。ついこの前蛍光灯照明の蛍光管を交換したのに。だが今の快適さを考えると、もっと早くから取り替えるべきであった。

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今週の1枚
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第666回目。自分のマスクはくしゃみを飛ばさないため。蛍光管も買い直した。

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