当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/191224.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2019/12/24(No.1037)
‥‥‥†‥‥‥‥
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
救い主はあなたのそば近くに
‥‥‥†‥‥‥‥
主の降誕おめでとうございます。今年のご降誕を「人間にいちばん近い場所まで来てくださったイエス」とまとめたいと思います。私たちのためにいちばん近い場所まで来てくださった幼子イエスを受けとめ、人々に告げ知らせましょう。
今年、私たちは生涯忘れられない体験をしました。それは教皇様をこの目で見たということです。身体の調子その他で長崎での式典、あるいはミサに参加できなかった人もいるでしょう。そんな人も教皇フランシスコがいる場所は、少なからず見覚えある場所だったでしょう。
原爆落下中心碑、西坂公園、県営野球場。どれかは私たちがその足で立ったことのある場所のはずです。そこに教皇様が同じく留まってくださったことは、田平でテレビで観ていたとしても、それは教皇様をそば近くで見たのと同じです。離れていると言うなら、ミサの会場にいた人でさえも、目の前で見た人と100m離れていた人がいました。それでも教皇様をそば近くで感じたのです。
私たちがあと10年生きたとしても、これだけ近くに教皇様を感じることはできないと思います。教皇様を身近に感じたことで、ご降誕の神秘を通して、神が人間のそば近くまで来てくださったことを想像しやすくなりました。どんなに願っても、神が私たちのそばに来てくださることを私たちは要求できないのです。神が私たちのことを深く憐れんでくださったので、この神秘に触れることができました。
神は私たちの所まで来ました。どれくらい近づいてくださったのでしょうか。それは神が人間となられるところまでです。肉体を受け取るところまでです。弱さ、欠点だらけの肉体を受け取るところまで近づいてくださいました。今年のご降誕はこの点に特に注目したいのです。
私たちは肉体の弱さを嫌と言うほど思い知らされています。年齢を重ねてくると、ものを落としたり、手が震えたり、覚えていたことを忘れたり、本当に嫌になります。介護の時、良好な関係を保っている時は良いけれども、辛くなると当たったりします。そんな人間の弱さ、肉体の弱さを、神の独り子は受け入れられたのです。神が弱さを受け入れられたのに、私たちが現実を拒むことが許されるでしょうか?
神の独り子は私たちの弱い肉体、欠点だらけの肉体を取られました。私たちは人間の弱さを感じたり目にしたりします。その時こそ、私たちが人となられた神の神秘を告げ知らせる時です。神は御子イエスを通して、人間の弱さをとことん受け取られました。私たちは関わる人すべてに、神の子が人間のいちばん近くまで来られた。弱さにまで近づかれたことを感謝して告げ知らせましょう。幼子イエスがそば近くにいるうちに、神の不思議な救いの計画を人々に知らせに行くことにしましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼主の降誕おめでとうございます。聖地巡礼で巡るベツレヘムの「聖誕教会」は言わずと知れたキリスト生誕を記念する教会。この聖誕教会はイスラエル領土にあるかと思いきや、「パレスチナ領土」にある。つまり、エルサレムから10kmしか離れていないのに、パスポートを提示して入国手続きを経なければならない。
▼イエスの誕生は、人の住む宿屋ではなく、家畜小屋であったとされる。それはユダヤ社会から拒絶されてしまったという暗示だったかも知れない。現在の聖誕教会もユダヤ人の住む場所ではなく、パレスチナ住民の住むベツレヘムに置かれている。ベツレヘムという場所は変わらないのだけれども、イスラエル国外であるというのは考えさせられる。
▼イエスは誕生してすぐにヘロデに命を狙われ、エジプトに避難した。早くから避難民の生活を味わったわけだ。避難民の生活、移住移動者の生活は、私もよく分かる。同じ場所に根が生えるほど住むわけではないから、イエスの宣教生活の心境は、どの司祭にも理解できるものではないだろうか。
▼イエスは呼ばれたところに宿を取り、食事を受けた。あるときは「ぜひあなたの家に泊まりたい」と願って宿を取ることもあった。食事は我が家が一番おいしいと考える人が多いと思うが、「我が家」も考えもので、毎年誰もいない司祭館でケーキのローソクを眺めるのもなぁ、と思うわけだ。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第644回目。現時点では御子様が飾られていない。どんな御子様か、イメージ。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/191224.jpg
ホームページもご覧ください。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/
【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
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主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
救い主はあなたのそば近くに
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主の降誕おめでとうございます。今年のご降誕を「人間にいちばん近い場所まで来てくださったイエス」とまとめたいと思います。私たちのためにいちばん近い場所まで来てくださった幼子イエスを受けとめ、人々に告げ知らせましょう。
今年、私たちは生涯忘れられない体験をしました。それは教皇様をこの目で見たということです。身体の調子その他で長崎での式典、あるいはミサに参加できなかった人もいるでしょう。そんな人も教皇フランシスコがいる場所は、少なからず見覚えある場所だったでしょう。
原爆落下中心碑、西坂公園、県営野球場。どれかは私たちがその足で立ったことのある場所のはずです。そこに教皇様が同じく留まってくださったことは、田平でテレビで観ていたとしても、それは教皇様をそば近くで見たのと同じです。離れていると言うなら、ミサの会場にいた人でさえも、目の前で見た人と100m離れていた人がいました。それでも教皇様をそば近くで感じたのです。
私たちがあと10年生きたとしても、これだけ近くに教皇様を感じることはできないと思います。教皇様を身近に感じたことで、ご降誕の神秘を通して、神が人間のそば近くまで来てくださったことを想像しやすくなりました。どんなに願っても、神が私たちのそばに来てくださることを私たちは要求できないのです。神が私たちのことを深く憐れんでくださったので、この神秘に触れることができました。
神は私たちの所まで来ました。どれくらい近づいてくださったのでしょうか。それは神が人間となられるところまでです。肉体を受け取るところまでです。弱さ、欠点だらけの肉体を受け取るところまで近づいてくださいました。今年のご降誕はこの点に特に注目したいのです。
私たちは肉体の弱さを嫌と言うほど思い知らされています。年齢を重ねてくると、ものを落としたり、手が震えたり、覚えていたことを忘れたり、本当に嫌になります。介護の時、良好な関係を保っている時は良いけれども、辛くなると当たったりします。そんな人間の弱さ、肉体の弱さを、神の独り子は受け入れられたのです。神が弱さを受け入れられたのに、私たちが現実を拒むことが許されるでしょうか?
神の独り子は私たちの弱い肉体、欠点だらけの肉体を取られました。私たちは人間の弱さを感じたり目にしたりします。その時こそ、私たちが人となられた神の神秘を告げ知らせる時です。神は御子イエスを通して、人間の弱さをとことん受け取られました。私たちは関わる人すべてに、神の子が人間のいちばん近くまで来られた。弱さにまで近づかれたことを感謝して告げ知らせましょう。幼子イエスがそば近くにいるうちに、神の不思議な救いの計画を人々に知らせに行くことにしましょう。
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主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
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ちょっとひとやすみ
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▼主の降誕おめでとうございます。聖地巡礼で巡るベツレヘムの「聖誕教会」は言わずと知れたキリスト生誕を記念する教会。この聖誕教会はイスラエル領土にあるかと思いきや、「パレスチナ領土」にある。つまり、エルサレムから10kmしか離れていないのに、パスポートを提示して入国手続きを経なければならない。
▼イエスの誕生は、人の住む宿屋ではなく、家畜小屋であったとされる。それはユダヤ社会から拒絶されてしまったという暗示だったかも知れない。現在の聖誕教会もユダヤ人の住む場所ではなく、パレスチナ住民の住むベツレヘムに置かれている。ベツレヘムという場所は変わらないのだけれども、イスラエル国外であるというのは考えさせられる。
▼イエスは誕生してすぐにヘロデに命を狙われ、エジプトに避難した。早くから避難民の生活を味わったわけだ。避難民の生活、移住移動者の生活は、私もよく分かる。同じ場所に根が生えるほど住むわけではないから、イエスの宣教生活の心境は、どの司祭にも理解できるものではないだろうか。
▼イエスは呼ばれたところに宿を取り、食事を受けた。あるときは「ぜひあなたの家に泊まりたい」と願って宿を取ることもあった。食事は我が家が一番おいしいと考える人が多いと思うが、「我が家」も考えもので、毎年誰もいない司祭館でケーキのローソクを眺めるのもなぁ、と思うわけだ。
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