こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第14主日(ルカ10:1-12,17-20△10:1-9)平和があるように

2019-07-06 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2019/7/7(No.1011)
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年間第14主日
(ルカ10:1-12,17-20△10:1-9)
平和があるように
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「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」(10・5)七十二人を派遣するイエスは、収穫のために働き手を送ってくださるようにと願いなさいと命じ、そのあとにこの「平和があるように」と告げなさいと命じます。弟子たちの願う平和とはどのようなものでしょうか。その平和は、どのようにして与えられるのでしょうか。

聖トマスの霊名の祝いを準備してくださって、本当にありがとうございます。今年はこれまで味わったことのない霊名の祝いを迎えました。長崎で頑張っている志願者から、「霊名お祝いカード」が届いたのです。

皆さんからのお祝いが前もって知らされていたお祝いなら、志願者から届いた「お祝いカード」は予想しなかったお祝いの喜びです。田平教会から志願者が出て、こんな嬉しいことが待っていた。神学生・志願者は、故郷の教会にとても大きな喜びをもたらしてくれるようです。

さて、今週説教の冒頭に取り上げた「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」この挨拶を、皆さんどこかで聞いたことがないでしょうか?もう思い出した方もおられるでしょう。ミサの中で使われています。

ではミサのどの部分で使われているでしょうか。二箇所あります。ふだん聞き慣れている箇所が一箇所と、めったに聞かない箇所が一箇所です。ふだん聞き慣れている箇所は、「平和のあいさつ」の部分で、「主の平和がいつもみなさんとともに」という招きです。このあいさつは、日頃ミサにあずかっている人はなじみ深いでしょう。

もう一つの箇所はどうでしょうか。ここを掘り下げてみたいと思いますが、これは司教様が来た時だけ使われる招きです。黙想会の時の酒井司教様も使っておりました。もちろん私たちの大司教様もお使いになります。どの部分でしょうか?答えは司教様司式のミサの始めです。「平和がみなさんとともに」と司教様が呼びかけます。思い出したでしょうか?

このあいさつは、司教様が用いるミサの招きのあいさつでして、司祭はこれを使うことはありません。この平和は、単に争いのない状態、穏やかな状態を指すのではなく、「満ち満ちた状態」を指し、「神の救いの到来を示す賜物、神が与える贈り物」なのです。

なぜ司教様がこのあいさつを用いて、通常の司祭は用いないのでしょうか。それは、叙階の恵みの違いにあります。司祭の叙階のあとさらに与えられる司教叙階の恵みは、「叙階の恵みの充満」と言われます。平和が「満ち満ちた状態」であるならば、その平和は真っ先に叙階の恵みが満ち満ちた司教を通して与えられるわけです。

みなさんは、司教様のミサに時々あずかることがあるでしょう。司教様の最初のあいさつ、「平和がみなさんとともに」を、今まで意識したことがあるでしょうか。もし意識してなかったとすれば、次回思い出してください。私たちは神が与える賜物である平和を、司教様を通していただいているのです。司教様が「平和がみなさんとともに」とあいさつしているとき、神の救いの到来を見ていることになるのです。

司教様司式のミサにあずかる人は、この並外れた恵みにあずかっています。そしてその恵み深いミサは、これまで髙見大司教様お一人でしたが、ありがたいことに補佐司教様が与えられて、より多くの人が「恵みの満ち満ちた状態」「神の国の到来」「神が与える賜物」にあずかれるようになったのです。補佐司教様の誕生で、「叙階の恵みの充満」により多くの人があずかれるようになるわけです。

堅信式、各種の記念行事ミサなど、大司教様と補佐司教様がそれぞれ分担してミサを司式してくだされば、これまで以上に長崎教区の教区民は恵みをいただけるようになります。少し耳の痛い話を言うと、今まで司教様が言っていた「平和がみなさんとともに」にまったく気づいていなかった人にとっても、もっと恵み深いミサになることでしょう。

この平和は、司教様を通して神様から与えられるものです。そうであるなら、私たちは神様から与えられる恵みを、司教様や司祭たちを通してより身近に感じることができます。司教様がおいでになると、遠くからしか見ようとしない人もいるかも知れません。恐れ多いと感じるかも知れませんが、司教様への親しみや尊敬の気持ちを、恵みを取り次いでくださるという気持ちで意識することができればいいなと思います。

「平和がみなさんとともに。」今年11月、私たちは教皇様を通して、神の国の到来を告げ知らせる恵み深い言葉を聞くことができるかもしれません。

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‥次の説教は‥‥
年間第15主日(ルカ10:25-37)
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ちょっとひとやすみ
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▼雨が続いている。九州南部に住む皆さんには、お見舞いを申し上げます。途方に暮れている人、悲しみを乗り越えようとしている人もいるでしょう。司祭はさまざまな人を思い出して祈っているので、ぜひ祈りが神様を動かしてくださると信じ、希望を失わないでいただきたい。
▼今年は思ったような天気にならない。梅雨だから雨が降るだろうと思っても、降らない地域があるし、降りすぎる地域も出てくる。私たち長崎県北部の人は、「あまり降らないなぁ」と思っている。
▼いつも7月のメルマガは霊名である聖トマスに関連して何かを書いている。教会新聞の記事もそのように書けば良かったかもしれないが、その時に浮かんだことを書いてしまい、季節感がない。季節を味わいながら生きる人でありたいものだ。
▼遊んでばかりの中田神父は、「夏休みはどうやって遊ぼうか」そんなことばかり考えている。霊名の祝いをしてもらうのも、かしこまって祝いを受けるのではなく、「どうやって楽しもうか」そんな考えで頭はいっぱいになっている。
▼そんな中、3つの物が少し気持ちを現実に向けさせてくれている。一つは25年近く使い、汚れてしまったものを買い直す機会が与えられた。毎月訪問する病人訪問バック。新調したら、私が病人になるであろう70歳過ぎまで、約20年間新鮮な気分でお見舞いに行けるようになる。
▼一つは夏物のスーツを買うことにした。ベージュのスーツを持っていたのだが、どれだけおなかを引っ込めてもズボンが入らなくなっていたので、ここが買い換え時と、今の体型に合うものを紳士服売り場で買った。これも20年は着るかもしれない。
▼一つは夏のスーツを若々しく着こなすシャツ。司祭のシャツを着用すれば当然きちっとした着こなしだが、自分としては年齢相応の見栄えに満足せず、40代の見栄えがする着こなしが目標にある。その着こなしを見事に叶えてくれるシャツが届いた。これは20年はもたないかな?

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今週の1枚
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第618回目。スーツ着てポーズ。お世話になっている床屋で散髪も完了。

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† 神に感謝 †
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