こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第33主日(マタイ25:14-15,19-21)お預けになりましたが、御覧ください

2017-11-18 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)

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「今週の説教」
2017/11/19(No.913)
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年間第33主日
(マタイ25:14-15,19-21)
お預けになりましたが、御覧ください
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年間の主日も今週と来週の「王であるキリスト」二週となりました。与えられた福音朗読は「『タラントン』のたとえ」です。17日(金)に長崎教区の川添神父様がお亡くなりになったので、そのことと重ねながら福音の学びを得たいと思います。

川添猛神父様が85歳で亡くなりました。フランシスコ病院で癌の闘病中でした。わたしが司祭に叙階されて、初めての赴任地だった浦上教会で、主任司祭として厳しくそして温かく指導していただきました。川添神父様に5年間指導をいただいたことが、わたしの司祭生活の大切な財産になりました。

川添神父様は浦上で三人の助任司祭を束ねて、それぞれ個性の違うわたしたち助任司祭の才能をうまく引き出してくださり、当時の浦上教会は自分が言うのもなんですが、うまく回っていたと思います。四人の司祭全員が五島出身で、受付のシスターも五島出身でしたので、長崎の中心にありながら司祭館の中だけは五島弁の治外法権でした。

ある時教会の台帳記録を前に、手順が分からずまごついていました。「そんなこともできないのか。何を神学校で習ってきたのか」と五島弁できつく言われました。その時、先輩助任の真浦神父様から「怒られたな。俺も最初は怒られたんだよ」と慰めてもらったりもしました。

川添神父様は助任司祭に寛大に仕事を割り振ってくださいました。「責任は俺が取る。思う通りやってみろ。」それと同時にこうも言っていました。「薬にも毒にもならないことはするな。」わたしの理解ですが、浦上教会の神の家族にとって、よい薬になる取り組みは当然ですが、苦い薬、もう二度と繰り返してはいけないと身をもって知る経験も、あとでは財産になるので、「薬になるか、毒になるか」いずれかの役に立つことをやってみろという教えだったのだと思います。

今週のたとえで、主人が僕たちに自分の財産を預けて旅に出て行きます。どのように活用するかも僕たちに任せました。五タラントン預かった僕と、二タラントン預かった僕は、主人の態度から全幅の信頼をしてもらっていると感じて商売に励みました。

ところで一タラントン預かった僕は、主人の思いを正しく理解しませんでした。この僕には、預けられた財産が重荷に感じられ、使い方まで任せたことも無言の圧力に感じたのです。同じように預けられ、同じだけの時間があったのに、一タラントン預けられた僕は主人の期待を喜びや誇りと感じることができなかったのです。

わたしが最初にお仕えした川添神父様は、わたしたち助任に主任司祭の権限を分け与えてくださり、のびのびと仕事をさせてくださいました。「責任は俺が取る」この言葉に勇気づけられて、任せられた仕事を「重荷」「圧力」と感じることなく、喜んで果たすことができたのです。

わたしたちはどうでしょうか。神さまはたとえにある主人のように、ご自身の持ち物である「タラントン」を預けてくださいます。わたしたちの能力はそれぞれ違いますが、神はすっかりわたしたちを信じて、「タラントン」を預けてくださり、人生という長い時間の中で、それをどのように活かしてくれるか、口出しせずに見守っておられるのです。

神さまが預けてくださる「タラントン」とは何でしょうか。今回わたしは、洗礼によっていただく三つの役割「預言者」「王」「祭司」と考えてみました。洗礼を受けた時点で、わたしたちは預言者のように神から託された言葉を語り、王のように家族や周りの人を神の望みにかなうように導き、祭司のように家族のため、人々のために神に祈ることを期待されているのだと思います。それは洗礼を受けたときから、神に召されるその時までの長い期間です。それぞれの能力に応じて、語りかけ、導き、取り次ぎの祈りをささげます。

わたしたちは神の期待をどのように受け止めているのでしょうか。「洗礼を受けた人だから、人々に語りかけてください。導いてください。取り次ぎの祈りをささげてください」と言われたら、それはあなたにとって「重荷」「圧力」でしょうか。もしみなさんが「重荷」「圧力」と感じているなら、その時点ですでに神さまから預かった「タラントン」を土に埋め、最後のその時に神に突っ返そうとしていることになりますが、果たしてそれでよいのでしょうか。

わたしたちはそれぞれの能力に応じて「御主人様、お預けになりましたが、御覧ください」と答えればよいのです。最後の一タラントン預かった僕に主人が要求したのは、銀行に預けて得られる利息でした。今銀行にお金を預けていくらもらえるでしょうか。1千万円預けても2千円です。それなのになぜ神さまの期待を恐れる必要があるでしょうか。

今日(明日)、歴代の主任神父様のお写真を並べてミサをささげています(ささげます)。この神父様たちは皆さんを神さまに紹介しながら、「わたしにお預けくださいましたが、御覧ください。こんなに立派な田平教会の信者に、田平出身の聖職者、修道者になりましたよ」と報告しているのではないでしょうか。わたしたちが育っていれば、この歴代主任神父様方は主と喜びを共にできているのではないでしょうか。

わたしは、川添神父様に何もない状態から育てられ、川添神父様はわたしの銀祝25周年を見届けて、旅立っていかれました。中学生の時、26聖人殉教記念ミサで聞いた説教に感銘を受け、どの神父様だったかは見えなかったけれども、あんな説教をする神父様になりたいと心に誓って司祭になったのでした。その思い出話を浦上に赴任して分かち合ったら「その説教をしたのは俺だ」と川添神父様に言われ、「よく神父になってくれた」と喜ばれたのです。今は神さまのもとで、「助任司祭をお預けになりましたが、御覧ください」と言ってくれていると思います。

神さまがわたしたちにひとまず期待しているのは、銀行の利息くらいの額です。期待を恐れる必要などまったくありません。自分を期待してくれている神さまに、喜んでもらいたい。この思いで人生をまっとうすることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
王であるキリスト
(マタイ25:31-46)
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ちょっとひとやすみ
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▼初めての助任としてお仕えした川添神父様が85歳で亡くなった。11月17日は長崎教区が発行する来年度からの祝日表に川添神父様の命日が掲載されることになる。まさかこんなに早く、お仕えした主任神父様を失うとは思わなかった。
▼すでに二度目にお仕えした神父様は亡くなっているので、まったく予想しなかったと言えばうそになるが、誰でも親には長生きしてほしいのと同じで、川添神父様には90歳になっても生きてくれるものだと勝手に思っていた。
▼たくさんの思い出がある。川添神父様は俳号を持つ俳句の先生だったので、ゴマするために俳句(のようなもの)を応募して点数稼ぎをした。あまり筋も良くなかった句を、「船ゆるる・四月末日・初赴任」と整えてもらった。生涯でただ一つ作って、それを整えてもらった中田神父の俳句である。
▼「毒にも薬にもならないことはするな。」これが川添神父様の口癖だった。薬になることはわかるが、「毒」になるほうは、二度と失敗しないための戒めだったのだろう。今でもわたしがアイディアを練る時の基本姿勢である。
▼「うっ!この食材は傷んでる。新司祭は食べないほうがいい。」何度かこう言われて遠慮した食材は、結局わたしが知らないだけで実はグルメも唸る高級食材だったりした。何度か食べ損ねて悔しい思いをした。今はわたしが「うっ!」と言っては賄さんをおどかしている。
▼「おい」何年かはこの呼び方だった。「中田神父様」と呼ばれるようになった時、本当にうれしかった。それはある意味主任神父様のもとを巣立って、助任司祭から主任司祭になっていく日が近づいているからだった。名前で呼ばれるようになって巣立っていった先輩助任神父様たちは、今はそれぞれ川添神父様自慢の主任司祭である。

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今週の1枚
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第520回目。1993年3月23日。24年後私は田平主任、シスターTは保育園主任に。

ホームページもご覧ください。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/

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† 神に感謝 †
コメント (2)
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