浜崎ヒカル交通館ブログ

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福山へ外出(続き)

2016年04月06日 21時14分58秒 | Weblog
今さら2月のことを記事化してすみません。

2月12日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
熊山駅の駐車場に車を止めると、駅舎へ行き、福山までの切符を買った。
そして、改札を通ると、7時34分発の1303Mに乗車した。
その列車は、黄色に塗られた115系だった。
次の万富駅に止まると、下車して、7時54分発の711Mに乗り換えた。
その列車は、岡山、福山経由三原行きである。なお、岡山からは、列車番号が409Mに変わる。
その列車は、115系の4両編成で、わたしは、先頭のクハ115-2012に乗車した。
唯一の万富始発のためか、万富でかなり席が埋まった。
その次の瀬戸駅では多数の乗車があり、車内は混雑した。
列車は、各駅に停車した。
途中の岡山で列車番号が変わり、引き続き、三原行きとして運行された。
なお、その日は、岡山から福山までは、女性の車掌が乗務していた。
列車が、福山駅に止まると、下車して、改札を出た。
そして、駅にあるカフェで休憩後、駅北口から福山城の石垣沿いの道を西へ向かって歩いた。
少し歩くと、広島県立歴史博物館が見えた。



広島県立歴史博物館は、「ふくやま草戸千軒ミュージアム」ともいい、中世の港町、草戸千軒遺跡からの出土品を中心に、瀬戸内地方の交通や交易、民衆生活に関する資料などを展示している。

館内には、草戸千軒の集落を再現した展示室などがある。













そのほか、模型なども展示されていた。

広島県立歴史博物館をあとにすると、徒歩ですぐの場所にある、ふくやま美術館に入った。



そのときは、絵本作家やイラストレーターとして活躍されていた井上洋介氏の作品展をしていた(現在は終了しています)。
井上洋介氏の代表作は、「くまの子ウーフ」で、それは、わたしが小学2年生の時、教科書でも採用されていたのをおぼえている。

ふくやま美術館をあとにすると、福山駅のショッピングモール内にあるレストランで昼食をとった。

そのあとは、福山駅南口で、バスの撮影を楽しんだ。





















































路線バスは、中国バス、鞆鉄道、井笠バスの3社が運行されている。
中国バスは、大半の車両が両備グループ色になっているが、まだ旧塗色の車両も活躍していた。
また、ラッピング車も多く走っていた。
高速バスは、広島県外からの車両も当然乗り入れる。
バスターミナルには、多種多様な車両が次々と乗り入れ、退屈することはなかった。

バス撮影を楽しんだあとは、14時40分発の引野口行きの路線バスに乗った。中国バスが運行している。
バスが引野口の手前の沖浦公園前に止まると、下車して、某鉄道模型店へ向かって歩いた。
そして、鉄道模型店で買い物をすると、バス停へ向かって引き返したのだが、バスが来るまで時間があったので、途中、ある喫茶店でコーヒーを飲みながら休憩した。
それから、引野口バス停へ向かって歩いた。
引野口からは、16時12分発の福山駅前行きのバスに乗った。
バスが終点の福山駅前に着くと、下車して、駅舎に入った。
そして、熊山までの切符を買って、改札を通り、上りホームへ急いだ。
福山駅からは、16時46分発の3724M・快速『サンライナー』、岡山行きに乗った。
その列車は、117系の4両編成で運転されていて、ワンマン運転である。
その日は、サンライナー色の編成が充当されていた。
わたしは、最後尾のクハ116-15に乗車した。
列車は、東福山、笠岡、新倉敷、倉敷の順に停車した。
途中の倉敷駅に止まると、伯備線のホームへ向かった。
そして、17時41分発の1844Mに乗り換えた。
その列車は、姫路行きである。なお、岡山から、列車番号は1330Mになる。
列車は、115系の4両編成で運転されていた。
途中の岡山からは、車内は混雑してきた。
岡山を発車すると、西川原・就実前、高島、東岡山、上道、瀬戸、万富、熊山の順に停車した。
熊山駅に停車すると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、福山の某鉄道模型店目的の外出を終えることができた。

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