信濃銀行頭取を務め、貴族院議員となった小坂順三は、昭和12年多摩川もほど近いこの地に別邸を建てた。
別邸は多摩川へと下る急な坂を登りきった場所にあり、その昔は眺めが素晴らしかったのだろう。現在では、邸内の木が育ちすぎで眺望は開けない。母屋右手の門から庭に入れるのは、なにやら信州の豪農の館を思い起こさせる。
昭和12といえば、和館にもすっかりガラス戸が普及するとともに(なにやら赤いものが写ってますね)、竹を敷いた縁台などが流行ったように感じている。
玄関を上がって右手は、茶室に書斎。便利のため、日本庭園に茶室が点在するのではなく住宅の中に茶室が組み込まれだしたのも、このころからか?
茶室と日常の住宅を見切るため、複雑な空間構成が必要になったようだ。
広々とした敷地を利用して、屋敷は入り組んだ雁行型の造りとなっている。
玄関右手の門をくぐれば、壮大な庭園が広がり、用賀・瀬田の台地を降り切ったところに裏門を見つけた。
別邸は多摩川へと下る急な坂を登りきった場所にあり、その昔は眺めが素晴らしかったのだろう。現在では、邸内の木が育ちすぎで眺望は開けない。母屋右手の門から庭に入れるのは、なにやら信州の豪農の館を思い起こさせる。
昭和12といえば、和館にもすっかりガラス戸が普及するとともに(なにやら赤いものが写ってますね)、竹を敷いた縁台などが流行ったように感じている。
玄関を上がって右手は、茶室に書斎。便利のため、日本庭園に茶室が点在するのではなく住宅の中に茶室が組み込まれだしたのも、このころからか?
茶室と日常の住宅を見切るため、複雑な空間構成が必要になったようだ。
広々とした敷地を利用して、屋敷は入り組んだ雁行型の造りとなっている。
玄関右手の門をくぐれば、壮大な庭園が広がり、用賀・瀬田の台地を降り切ったところに裏門を見つけた。