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堺の市民ミュージカル「炎の街から」を観る

2009年07月11日 | 丸ちゃんの私的時間

 一昨日は夕方、堺市鳳のウェスティホールへ。堺の人たちが作る市民ミュージカル「炎の街から」を観に行きました。

 普段からミュージカルなんて余り馴染みのない身分なので、どんなものだろうかと思っていましたが、なかなかいいものでした。ストーリーは下記の通りです(パンフレットより)。

 テーマが堺の空襲を扱ったものということで、出演者は堺市民のみなさんたち。もちろんたぶんみなさん素人さんなのでしょう。でも演技、振付、歌などよく考えられていてなるほどこういうものなのかと、随所で感心しながら、最後には強く感じいるものが残りました。

 なお脚本やテーマ曲をはじめ、挿入歌の作詞は小社の著者としてもおなじみの佐伯洋さん、そして松本喜久夫さん。このコンビですでに10数本の作品を手掛けてきたそうですが、次は「反戦川柳作家・鶴彬」を構想中だそうです。これもおもしろそうです。

 ちなみに「炎の街」には佐伯さんも出演。龍神遊郭・金波楼に四国から娘を斡旋してくるいわゆる女衒(ゼゲン)というとんでもない悪役でしたが、なかなかよく似合っていました。(笑)

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 堺市民ミュージカル「炎の街から」 あらすじ

 この町に生まれて
 この町に育つ
 いのち育てて いのちつながる
 ここに生きる草たちよ
 いつでも今を生きている
 仕事の仲間 子どもの笑顔
 南蛮貿易 自治都市堺
 歴史のまちを 鷺が舞う
 季節はめぐる
 冬から春へ


●脚本・作詞● 佐伯  洋/松本喜久夫
●音楽● 石若 雅弥/豊田 光雄
●振付● 長谷堂いく子
●演出● 林田 時夫(劇団きづがわ)


 ここは私たちの生きる堺の街。堺空襲の犠牲者を弔う慰霊祭が行われていた。そこに集まった様々な思いを持つ人々の中に、苛烈な空襲から生き抜いた大沢みちがいた。 

 2008年、堺大空襲を生き抜いた大沢みちはその体験を胸に、平和への希いを持ちつづけている。そんなみちに、元孫の担任だった教師たちから、子どもたちに空襲体験を話してほしいとの依頼があったが、みちが抱える体験はあまりにも重く、語ることを断わるのだった。

 秋になり、リーマンブラザースの破綻を受けて、景気が急速に悪化する中で、みちの孫の徹志も、希望していた企業から内定取り消しの通知を受け、いっそ自衛隊への入隊をといいだす。みちはそれを聞き、胸にしまっていた空襲の体験を語りはじめるのだった。


 1944年5月にさかのぼる。舞台は、堺の竜神遊郭金波楼。みちはここの娘だったが、売られてくる女性たちや、明日をも知れぬ命を酒に紛らす兵隊たちの姿に心を痛めていた。そんなある日、あさという娘が売られてくる。店の前で酔った将校に絡まれたあさを救ったのは、通りすがりの正井忠義・孝二の兄弟だった。忠義は、与謝野晶子を愛する多感な女学校教師、孝二は、ひたすらに身をささげようとする軍国青年だった。忠義は、あさと恋に落ちるが、治安維持法違反で検束されてしまう。「君死にたまふことなかれ」の詞を残して。忠義と引き裂かれたあさも病の床に伏す身となる。二人をつなぐのは、ただ一つ、京土産に忠義が送った御所人形だった。みちは、そんなあさを何かといたわり、いつしか孝二に好意を寄せていく。そんなある日、海軍に入隊を告げた孝二は、早春の大浜海岸にみちを呼び出し別れを告げた。ふたりの思いが重なり合う。

 やがて運命の日、194年7月10日。堺大空襲がやってきた。その日は、孝二がみちの中にまだ見ぬわが子を宿したまま、人間魚雷回天で出撃するときでもあった。

 孝二さん。死なないで!生きて帰って!…

 ばらまかれた米軍の予告ビラを拾った医師片岡が、みちに警告するが、二人はなすすべもなく空襲を迎えることになってしまった。一瞬にして、火炎地獄と化した堺市街地。とりわけ竜神地域は苛烈をきわめた。

 ……舞台は戦中から戦後へ。そして堺大空襲から64年後の現代の堺へと…。

 


 

コメント (2)
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