9月11日水曜日、秋空のソウル・鐘路(チョンロ)区にある日本大使館前。「侵略戦争の事実を隠して日本の未来は見えますか。事実と向き合うことが平和への第1歩」と訴える横断幕を掲げおそろいのTシャツを着た若い女性たちの姿。神戸女学院大学石川ゼミナール(石川康宏教授)の3年生たちである。石川ゼミでは3年前から日本軍「慰安婦」問題を学習し、毎年ゼミ旅行で元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」と併設の日本軍「慰安婦」歴史館を訪問、さらに翌日の「水曜集会」に参加してきた。旧日本軍による慰安婦問題に対し日本政府の謝罪と賠償を要求する「水曜集会」が始まったのは宮沢喜一元首相の訪韓を控えた1992年1月8日。以来毎週水曜日に元慰安婦や支援者たちが取り組んできたこの集会は初日から5446日が過ぎ、今回で778回目を迎えた。
■手作り横断幕を広げて
この日の参加者は約100人。9人の元慰安婦を中心に支援団体である韓国挺身隊問題対策協議会のメンバー、国会議員、高校生、市民たちに並んでゼミ生たちが持参した手作りの横断幕を手にした。ハングルと日本語でアピールを大書、夏休みに大学で作ったものである。緊張気味のゼミ生たちの前で参加者が次々と発言、集会が終わり近くになったころ司会者が「日本の神戸から女子大生たちが参加している」と紹介、大使館を背に参加者に向かって横断幕を広げ、地元マスコミのカメラが回る中、前夜「ナヌムの家」で明け方までかかって練り上げた発言メモを3人が代表して読み上げた。
「ナヌムの家に行って『慰安婦』問題をとても身近に感じました。ハルモニたちは今も苦しみ、その時間は続いています。戦後62年たった今も日本は加害責任を果たしていないどころか、平和憲法を変えようとしています。侵略戦争に向き合わない日本政府の姿に私たちは不信感を抱いていますが、本当のことは日本の教科書には書かれず、多くの人たちは真実を知りません。だから私たちには知ったことを周囲の人たちに話していけるかどうか不安や迷いがあります。でもハルモニたちから託された大切な証言を日本で伝えていかなければならないと強く思います。侵略戦争の事実を隠して日本の未来は見えますか。私たちはこれからも事実と向き合い続けます。だから、日本政府も事実と向き合うべきで
■集会後、安倍首相退陣へ
発言に対する拍手と歓声でゼミ生たちの顔に明るさが戻ってくる。その一方で10人余りの機動隊員が集会参加者を黙視し続け、何事もないかのように門を閉ざしダンマリを決め込む日本大使館。愛想も何もない、まるで要塞のような外観の建物。そのすべての窓はブラインドが下りたままである。
だが集会後、事態は急転直下する。参加者たちとの交歓の後、近くの食堂に入りオーダーを終えたころであった。1人のゼミ生の携帯電話にその第1報は流れた。「安倍首相が退陣を決意、午後記者会見が行われる模様」とのニュースであった。まるでハルモニたちの願いが届いたかのような衝撃的な瞬間、もちろんその場にいた全員から驚きと喝采の声が上がり、彼女たちの心に強烈な印象をこの「水曜集会」が残したのは言うまでもない。
■「ナヌムの家」と歴史館
「水曜集会」の前日、ゼミ生たちは「ナヌムの家」を訪問し歴史館を見学、ハルモニの証言を聞き1泊を過ごしてきた。
ソウルからバスで約1時間半、京畿道広州市内の田園地帯にある「ナヌムの家」は1995年にソウル市内から高齢者居住福祉施設としてこの場所に移転してきた。生活館2棟と仏堂兼修練館1棟に現在9人のハルモニと4人にのスタッフが住んでいる。隣接する日本軍「慰安婦」歴史館は国内外多数の支援者によって建てられ、地上2階、地下1階全104坪にハルモニたちの証言を採録展示、日本政府が否定する歴史的事実が明確に確認できるさまざまな資料を収集し公開している学びの場である。ガイドブック日本語版にはこう書いてある。
「ここには忘れてはならない歴史があります。語りつくせない悲しみと恥ずかしさを乗り越え50年の暗闇をくぐり抜け堂々と私たちの前に立った女性たちの物語があります。花のような生涯を閉じた彼女らの息遣いと残った者の低い声が集まる歴史の現場です。許されない歴史、盲目の歴史に虐げられた体と心の記憶が大きな教えを残す場です。ここからこれからの千年を見守っていく平和の芽が育っていくことでしょう。ここには癒えがたい歴史があります」
■慰安所復元模型の前で
日本人スタッフの村山一兵さんのガイドで館内に入る。証言の場、体験の場、記録の場、告発の場、整理と誓い、屋外広場の6つの展示場を見ていく。壁面と光の明暗を巧みに生かして展示されている蛮行の数々の証拠写真、文書資料や地図などが、村山さんの解説と共に胸に迫ってくる。メモをとりビデオを撮影しカメラを向けるゼミ生たちの言葉は少ない。慰安所の実物大復元模型の前で村山さんの説明に涙をぬぐいながらうつむく学生の姿。大きく引き伸ばされたハルモニたち1人ひとりの顔、顔、顔は何を語りかけるのか。2階にある告発の場には、言葉にできない過酷な体験と思いを描いたハルモニたちの絵画が展示され、決して晴れることのない心の証言に触れることができる。
■「私の話を記録してください」
歴史館の見学を終え修練館に入り、いよいよハルモニの証言を聞くことになった。ハルモニに残された時間は少ない。決して良いとはいえない体調をおして李玉仙(イオクソン)ハルモニ(80)に証言していただくことになった(証言内容は別途アップします)。
「私は日本政府の謝罪も賠償もいらない。私の要求は隠してある証拠を出しなさいということです」「学生のみなさん、私の話を記録してください。そして多くの人に語ってください」。時々冗談も交えながら語るハルモニが何度も繰り返した言葉だ。侵略を犯した国の人間として初めて元慰安婦に向き合ったゼミ生たち。李玉仙ハルモニの言葉は彼女たちの胸にどのように響いたのだろうか。
夜はカラオケで交流。ペチュンヒハルモニ(中央)とキムスノックハルモニ
■心揺さぶる金ガイドの話
「ナヌムの家」からソウルに向かうバスの中、金惠卿(キムヘギョン)ガイドが仕事を通じて感じる日本人観や韓国市民の日本に対する意識について率直に話してくれた。曰く、「慰安婦」問題について何の痛みも感じない日本の中高年男性たち、韓国と日本の歴史についての無知ぶりとその背景にある日本の歴史教育のいい加減さ、そして日本の軍事大国化への懸念・・・。一般の観光旅行ではないこのゼミ旅行だからこそ語ってくれたその信頼感あふれる話に心が揺さぶられた。
■投獄50万人、処刑1500人
韓国滞在最終日、石川ゼミの旅行としては初めて西大門刑務所歴史館を見学する。1908年、日本の朝鮮支配に抵抗する人々を収容するために建てられ、その後、3.1独立運動をはじめとする闘いに参加した人々延べ50万人が収容され、激しい拷問と暴行などにより約1500人が殺された民族受難の場所として、現在は歴史教育の場となっている。拘禁・取調べシーンやさまざまな拷問の数々を再現展示、見学者が体験できる展示もある。特に韓国のジャンヌダルクといわれ独立運動先導で逮捕・投獄された少女・柳寛順(ユグァンスン・16歳で獄死)の拷問シーンが印象に残る。6棟の獄舎をはじめ死刑場、墓地への秘密通路、女性専用の地下監獄などそれぞれの場で解説をしてくれる金さんの目には涙が浮かんでいた。
■「自分の意思で強く生きたい」
強烈な印象を残した西大門刑務所を後にして、空港へ向かうバスの中でゼミ生たちがマイクを手に旅行の感想を発言した。
「ハルモニは別世界の人ではない。あなたたちは悪くはないと言ってくれたが、私たちは侵略したままなのだ」
「21年間も日本に住んでいるのに何も知らなかったことに、悔しさ、無念さを感じる。ハルモニはどこにでもいるおばあちゃん、手を握ったり抱いてくれたりしてうれしかった」
「このゼミ旅行に私の親は反対したが、私はこれは正しいことだと考えるようになった。水曜集会で女の人が訴えるのを聞いて、なぜかわからないが涙がこみ上げてきた」
「来る前はしんどい旅行だと思っていたが、直接肌に感じて勉強せなあかんと真剣に思った」
「ハルモニの証言はリアルな現実。その現実には私にも責任があるように思った」
「現実と葛藤しながら生きているハルモニが泣かないでと抱きしめてくれた。ハルモニの辛い思いは私の何倍も重く、知るだけではなく、感じることの大切さを思った」
「韓国の人の目も気になったが、ガイドさんの気遣いが感じ取れ、本当に申し訳ない気持ちになった、歴史としっかり向きあっていきたい」
「西大門刑務所で金さんが言葉をつまらせながら説明されたことに胸がつまった。回りの人たちに少しでも伝えていきたい」
「ハルモニは普通のおばあちゃんとして接してくれた。会えてよかった。今後も来たい」
「日本が謝罪しない現実を肌で感じた。9条を変えてはいけない。戦争はしたくない。この9条を守らなければと強く思っている」
「ハルモニとの2日間と証言は、ビデオや本の学習よりも実感できた。ハルモニの明るさにこちらが辛くなった。今回のことは無駄にしない」
「金ガイドの話がよかった。西大門刑務所は実際の再現で衝撃だった。受け入れざるを得ないと感じた。迷いがなくなり、受け入れられ、生かしていきたい」
「ハルモニは80歳代だが10歳代のとき被害にあい、生きてきて今ようやく普通に笑ったりするのに長い時間がかかった。今もその被害は認められていない。私にはまだ何ができるかわからないが、その姿勢だけでもなにか変われるかもしれない。同年代の人たちに聞いてもらいたい」
「ハルモニに『記録してほしい』と言われた。辛い時間だったと思う。親戚に言うと、あまり深入りするな、恐い国だからといっていた。私が経験したこと、障害もあるかも知れないが、今まで以上に奮闘したい」
「ハルモニは『記録しなさい』といったが、日本の多くの人に話して欲しいのではないかと思う。過去から現在に続いている問題であり、自分の意思をつよく持って生きたい」
「水曜集会では加害国民のひとりとして日本政府に言うことなので迷いと不安があったが、本当に日本は冷たいなあと思った。日本の体質が情けない、怒りも湧いてきた。ハルモニたちの顔をみていていろんな思いがこみ上げてきた」
「歴史館は息がつまる場所だった。彼女らは韓国社会の中でも差別されている。いろいろな角度で考えなくては。西大門刑務所の鉄格子の部屋、私にはこの中に入れられた民族の血と、中に入れた民族の血が流れていて、考えてしまった」
■約束を実行する女子大生たち
それぞれの胸に大きな何かを残した石川ゼミ旅行であったが、彼女たちに私のように感傷に浸っている暇はない。この原稿を書いている10月12日現在、学生たちはすでにハルモニたちとの約束を実行し始めている。実は昨年のゼミ生たち同様に、すでに各地・団体からの講演や講座への講師依頼が殺到しており、来春の日程までも入ってきているというのだ。それはハルモニたちとの出会いや「水曜集会」参加の経験を聞かせて欲しいという要望がその中心だが、それに加えて主催者側には若い女子大生たちが学びを通して成長していることに対する驚きがあり、その内実を彼女たち自身の言葉で語ってもらい、それを知ることがさまざまな分野のこれからの運動を前進させていく1つの手がかりになるのではないかという思いもあるようだ。まさに女子大生恐るべしである。
(取材 機関紙出版・丸尾忠義)