ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ファミレス

2007-09-15 | 食生活
イバラキから当地に引っ越す時は
亭主の運転する車の後をついて
義父母と一緒に 義父の車でやってきた。

産後 長く実家に居てはいけないという風習に従い、
亭主の実家に身を寄せていたのだ。

というか、亭主の実家が 
初孫を できれば独占したかったのだ。

実家の父は すでに脳梗塞で バリバリ元気じゃなくなっていたので
車で送ってもらうのは 不可能だったし。

そして
いよいよもうすぐ新天地、という時に
少し手前で○イヤルホストに入ったことを忘れられない。







「ねえ、私、もう、二度も ブライダル・ベールを枯らしているのよ。
 これって、象徴的というか 何かを暗示していると思わない?」
だから、先輩、私は 今年初めて ブライダル・ベールを植えました。






当地に着いて見たらば 貧相な農村で
(特に我が家の周囲には 崩れそうな家が多かった)
(というか 今でも残っている)
(よく建ってるなあ!!!)、

亭主が
「お化け屋敷みたいな部屋だけど
 俺がなんとかするから 心配するな!」
と言っていた 本当にお化けが出そうな部屋での寝起きとなった。

「俺がなんとか」ではなくて、
私が手伝って なんとかしていった。



その頃は 
「飯なんか作んなくていいから!

 缶詰め、あるだろ、缶詰め!」

とのことで、本当に毎日 ろくなものも食べずに
<住まい>を整えていった。

娘はまだ 産まれたてで 
オッパイ以外必要としなかったからできたこと。



早々に赤字で給料がなく、
私はペーパードライバーで車の運転ができない。

ムラにも店はあったが
用は足りない。

本当に 毎日 よく生きてたなあ、と思う。







先輩は まだ 独身のままですか?






そのうち なんとか 運転を思い出し、
娘のためのチャイルドシートを購入。

ヨーカドーに出かけることも可能になった。

そして あこがれのファミリー・レストランでの食事(爆)。

場所はもちろん、○イヤルホスト。



ただし 出かけるのは 亭主が行くぞ、と言った時。

行きたくても行けないことが多かった。

(職住一致というのは 都合が悪いことも多い。)



そんな私の理想の食事は
毎日 ファミレスみたいな食べ物を食べることだった。

亭主が大好きな ハンバーグにカレーにスパゲティ。

それに 私の好きな グラタンにドリア。

そんなのを毎日食べるには 材料を買わなくてはならなかったが
その買い物が 不便!!!



なんとか 子どもの手が離れて
毎日ファミレスのような料理を食べられるようになった所で(笑)、
癌。

あの頃 もう少し 和食を食べるようにしていたら
癌にならなかったろうか?
といつも思っている。

でも 癌ができたのは もっと前だということも知っている。







職場を去ってから 私は ふたりの子をなし、
ブライダル・ベールも 増えたんですよ。