「毎晩 眠りにつくときわたしは死ぬ。そして翌朝 目をさますとき、生まれ変わる」マハトマ・ガンジー
この言葉を 『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム著)で 見かけたとき、以前読んだ脳科学者の『スイッチ・オンの生き方』の村上和雄先生の内容を思い出した。
人の細胞は毎日新しい細胞と入れ換わっているのだという。数え切れないほどの細胞が目に見えない早さで入れ換わっている・・・昨日と同じ自分だと思ってきたことが 本当は全然違う存在として一日一日あるのだということに感激した。
人に感動を与える人というのは どこかでつながっているのだと思う。それが実際に会って話をしたからどうのこうのというものではなく 日ごろその人が話している内容だったり 書いたりしている内容が 知らず知らずのうちに共鳴できている部分があるのだと思う。
ただいま読んでいる『モリー先生との火曜日』は友人からの借り物だが、あまりにも内容が素晴らしくて 自分の本にしたくなっている。新しい本屋に行って探してみようと思う。
いつでも開けるように。
ミッチ・アルボムが大学時代の恩師 モリー先生のところに通うようになったのは モリー先生が難病ALSにかかっているということをテレビ番組で知り会いに行くことから始まる。モリー先生はミッチに死に向かう日々 最後の授業をしていく。それは 人生の深い意味を問うものであり、ミッチがあげたリスト「死・家族 ・恐れ・社会・老い・許し・欲望・人生の意味・結婚・・・」について 先生と語り合うことであった。
死を目の前にし 穏やかなモリー先生の姿に触れることでミッチ自身にも変化が生まれて行く様子がわかる。
たとえば 今日の文化という部分ではモリー先生はこう話す。自分が住んでいるところから逃げ出さずに自分なりの文化を創り出すことが大事だと。
(引用)・・・「問題は、われわれがみんな似たようなものであることを信じないところにある。白人と黒人、カトリックとプロテスタント、男と女、お互い似た者同士であることがわかれば、この世界を一つの大きな家族として喜んでその中に加わり、自分の家族と同じようにその家族を大事にするだろうに。~われわれ人間は始まり、つまり誕生も同じ。終わり、つまり死も同じ。」
「人生のはじめ、子どものときには生きていくのにほかの人が必要だろう?人生の終わりにも、私のようになれば、生きていくのにほかの人が必要だろう?」
声がささやくように低くなった。
「しかし、これが大事なところで、その中間でもやっぱりほかの人が必要なんだよ」・・・(引用)
人はひとりで生きているのではないということに気づかずに生きていくよりも 誰かと共に生きていることに気づくことがより深い人生を味わうことができるのだと思う。モリー先生が死に近づきながらも ユーモアを交えながら かつての教え子であるミッチに最後の授業をする それは自分がいなくなった後でもミッチが自分の言葉をほかに伝えていこうとするのを知っているかのようだ。(確かにミッチは本と言う形で世界中の人々にモリーの考えを広めた)
本当に大事なものはなんだろう。わたしにとって痛い言葉が色々と出てくるが、それもまた反省となる。過去に戻れないのだから、これから先をいかに生きるかだ。
※※※
春を思って描いたマウス画。これからどんどん空気が暖かくなっていく そんな気分で。乗れない自転車に憧れるぅ~。
※※※
この言葉を 『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム著)で 見かけたとき、以前読んだ脳科学者の『スイッチ・オンの生き方』の村上和雄先生の内容を思い出した。
人の細胞は毎日新しい細胞と入れ換わっているのだという。数え切れないほどの細胞が目に見えない早さで入れ換わっている・・・昨日と同じ自分だと思ってきたことが 本当は全然違う存在として一日一日あるのだということに感激した。
人に感動を与える人というのは どこかでつながっているのだと思う。それが実際に会って話をしたからどうのこうのというものではなく 日ごろその人が話している内容だったり 書いたりしている内容が 知らず知らずのうちに共鳴できている部分があるのだと思う。
ただいま読んでいる『モリー先生との火曜日』は友人からの借り物だが、あまりにも内容が素晴らしくて 自分の本にしたくなっている。新しい本屋に行って探してみようと思う。
いつでも開けるように。
ミッチ・アルボムが大学時代の恩師 モリー先生のところに通うようになったのは モリー先生が難病ALSにかかっているということをテレビ番組で知り会いに行くことから始まる。モリー先生はミッチに死に向かう日々 最後の授業をしていく。それは 人生の深い意味を問うものであり、ミッチがあげたリスト「死・家族 ・恐れ・社会・老い・許し・欲望・人生の意味・結婚・・・」について 先生と語り合うことであった。
死を目の前にし 穏やかなモリー先生の姿に触れることでミッチ自身にも変化が生まれて行く様子がわかる。
たとえば 今日の文化という部分ではモリー先生はこう話す。自分が住んでいるところから逃げ出さずに自分なりの文化を創り出すことが大事だと。
(引用)・・・「問題は、われわれがみんな似たようなものであることを信じないところにある。白人と黒人、カトリックとプロテスタント、男と女、お互い似た者同士であることがわかれば、この世界を一つの大きな家族として喜んでその中に加わり、自分の家族と同じようにその家族を大事にするだろうに。~われわれ人間は始まり、つまり誕生も同じ。終わり、つまり死も同じ。」
「人生のはじめ、子どものときには生きていくのにほかの人が必要だろう?人生の終わりにも、私のようになれば、生きていくのにほかの人が必要だろう?」
声がささやくように低くなった。
「しかし、これが大事なところで、その中間でもやっぱりほかの人が必要なんだよ」・・・(引用)
人はひとりで生きているのではないということに気づかずに生きていくよりも 誰かと共に生きていることに気づくことがより深い人生を味わうことができるのだと思う。モリー先生が死に近づきながらも ユーモアを交えながら かつての教え子であるミッチに最後の授業をする それは自分がいなくなった後でもミッチが自分の言葉をほかに伝えていこうとするのを知っているかのようだ。(確かにミッチは本と言う形で世界中の人々にモリーの考えを広めた)
本当に大事なものはなんだろう。わたしにとって痛い言葉が色々と出てくるが、それもまた反省となる。過去に戻れないのだから、これから先をいかに生きるかだ。
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春を思って描いたマウス画。これからどんどん空気が暖かくなっていく そんな気分で。乗れない自転車に憧れるぅ~。
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