心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

30000キロ

2015年03月20日 | ほんのすこし
昨日 母のところから戻ろうとエンジンをかけたとき パネルを見たら・・・
なんと 「30000」キロになっているではありませんか!
とうとうわたしの相棒もここまで来たか。苦節何年・・・ううう なんてことではありませんが、市内だけをそれもほとんど同じ場所だけを回っているわたしにとって 走行距離など変化に乏しいものです。
平成21年5月からですから 今年の5月で6年目。
なのに この相棒は すでにあのいまわしい水害(2013年8月10日の記事参考にね)に遭ったし、どういうわけか座席はコーヒー色に焼けてしまうし、まるで10年選手のような痛々しい車になっているのです。見た目は可愛いし、運転するにはエンジンも最高に乗っていて とても楽で今では生活必需品になっています。
本来であれば 6年目で30000キロなら もう少し綺麗な状態だと思うのですが、わたしの使い方が良くないために かなり傷んでいる気がします。
ごめんね 相棒。

そんな相棒がようやく30000キロまで・・・なんだかちょっと「がんばったね」と言ってあげたくなります。

今朝早く 実家のゴミ出しに行こうとしてエンジンをかけたら、これまた数字が「3003」キロ。ついでに写しておきました(笑)



さぁ これからもお願いしますよ。
後 4年は一緒にいようね。ほんとの10年選手になろうね。
とまぁ 相棒を持ちあげてはいるものの、洗車することもなく。この曇り空じゃあね。いつ雨が降るかわからないし。気持ちとはうらはらに 相棒を綺麗にする気持ちは一向に生まれてこないわたしなのでした。

もうそんな年なのかぁ

2015年03月19日 | ほんのすこし
赤ちゃんのときはね 太り過ぎていてね。
寝がえりができずにいたけど いつのまにか近くに置いてあったブドウの房を持ちあげて 喜んでいたっけ。

仕事が忙しくて かごに乗せて車で通い、人に任せっきりだった。ごめんね。ほんとにごめん。
子供たちの小さい頃を振り返ると 子育てをしたという実感が湧かない。仕事 仕事で朝から晩まで一日中があったような気がして。どんなふうに成長してきたかも見えていなかった。
今 娘が子育てしている様子を見ていると、あんな風に一緒にいる時間がなかったし、仕事していても子供のことをしっかり考えて暮らしていることに感心する。自分が出来なかったことが娘はちゃんと出来ているということに感激する。
たぶん 息子もそうなるだろうなと思う。だってこのわたしが反面教師だものね。

今日 息子が30歳の誕生日を迎えた。
二十歳じゃないよ、30歳だよ(笑)
なんてこった そんなになっていたのか。わたしも老けるわけだ(笑)

今でも思う。娘も息子もわたしのそばから離れて良かったんだと。都会であれこれ試練を受けたが、それでもそれ以上にたくさんの人との交流を通じて得たものは 地元にいたら多分持つことが出来なかったであろう繋がりだと思う。わたしのそばにいたら きっと突き離すことができず、成長させることもできず・・・そんな気がする。大人になっていくときに わたしの子どもたちにとっては親から離れていることが一番大事な要素だった、そう思えることがいっぱいあるのだ。

親は離れて元気でいるのが一番だ。
まぁ 何かあったときにすぐ駆けつけることができれば それに越したことはないが。

誕生日はこの世に自分を出してくれた親に感謝する日。
だからというわけでもないが、こんな母でも少しはいるだけでいいと思ってくれているらしい(笑)
子供は親に叱られたり褒められたりするのが仕事、子供が大人になれば今度は親が子供に叱られるようになる。せいぜい子供に叱られずに 褒められるよう前向きに生きていかなくちゃね。

誕生日おめでとう!!プレゼントは無しだけどね(笑)

日本語入力が出来ないとき

2015年03月18日 | ほんのすこし
わたしのパソコンは ときどきいじわるになる。
記事を投稿しようと投稿画面を開いても どうあがいても日本語入力にならず 延々と英字が並んでしまうことがある。最近 このいじわるの対処方法を知った。案外 うまくいっている。今日のこの記事も同じように日本語入力にできた。

日本語入力が何度やってもできないとき。
わたしは まずいったん諦める。といっても記事投稿を諦めるわけではない。
知らんぷりして 別のページを別のタブで開く。たとえば yahooだったり。ちょっとニュースを見たり。そしてまたこの投稿画面のタブを開く。
そして 「半角/全角 漢字」キーをおもむろに押すのだ。
すると なんてことはない。あんなにやっきになって入力出来ない!ってイラついていたことが嘘のように入力できるようになる。

別のタブを開くということが功を奏しているのか その真偽のほどはわからないが、今のところわたしのパソコンのいじわるには最強の対処法だ。
・・・って さっきまで入力していて気がついた。
タブって入力しないで タグってずっと入力していたのだ。
洋服屋さんでもあるまいし、タグつけてどうするのよ わたしって感じ・・・あぁぁ。
これだから パソコンにいじわるされるのかもね。

※※※

今日はとても天気が良くて 久しぶりに窓という窓を開けて 部屋の空気の入れ替えをしている。気持ちがいいね。気持ちがいいついでに 小さいコタツのふとんもはずした。掃除機をかけるついでに コタツの熱源部分を本体からはずし 掃除してみることにした。大きなねじを4個はずすと本体から抜くことができたが、熱源のカバーの小さいねじをはずすことは無理だった。仕方がないので 竹串二本を使って奥に見える埃を掻き出した。出るわ出るわ・・・すごいね。掃除機で吸い取り 結構綺麗になった。後は本体に戻すだけ。ねじをしっかり締め、なんだかコタツがちょっと嬉しそうに見えた。わたしの勝手な思い込みだけどね♪

※※※

痛いの痛いの飛んでけ~

2015年03月16日 | ほんのすこし
片頭痛が突然やってきた。本当に「やってきた」という気分なのだ。今まで何にもなかったのに、何で今?
若い時 結構 片頭痛に悩んだこともあったが、ずっとその痛みは忘れてしまっていたが、どういうわけかここに来て 右耳の後ろに痛みが。
ズキン ズキンと頭に出てくる痛みは 自分の意志とは無関係に出てくる。そのたびにビクンとした嫌な気分に襲われる。

こうなったのも いらぬケチをしたからだ。
部屋の温度設定を20度にしているが、最近はその20度にすでになっているためか ストーブの火がつかない場合が多い。それでもなんだか寒い気がするのだが、外の天気も良いし 少々の寒さなら我慢できるだろうとストーブをつけないで過ごした。パソコンに向かっていると 突然痛みが出始めて 頭に冷たさを感じる気がした。そのことを母に教えたら
「今の季節は 気をつけないと。頭を冷やさないようにしておかないとだめだよ。何 ケチなことやってるんだ」
と言われてしまいました。今までさんざ灯油を使ってきて 今だけケチしてもダメだろうって言われちゃいました。たしか前もこんなことがあったような・・・懲りないわたしです。
いったん勃発した痛みは 止まることができず。
まずは温まることだと言われ 温泉に。温泉に入っているときには痛みは消えていたのだが、部屋に戻った夜にはまた出てきて。布団の中に入ってからも その痛みはズキンズキンと消えず。あぁこのままでは痛みで眠れない・・・

えぇい 薬なんて大嫌いだけど。
ってことで 昨夜は飲みましたよ。まぁ4時間ぐらいは眠れたかな。

眠りに入りながら 痛みのことは考えないようにしよう 何か別のことを考えようって思っていたら、ふと思い出したことがあった。
小さい頃 どこかにぶつけて泣いていたりすると 母がそこをなでながら
「痛いの痛いの 飛んでけ~」
って言ってくれたっけ。
あぁ あれ 今やってくれないかな。
年老いた母の手は リュウマチで変形してしまっているが、それでもあの母の手で頭の痛い部分を触られて
「痛いの痛いの 飛んでけ」
って言われたら、すっと治る気がした。
「母さんの魔法のことばだね」
そう言ってるわたしは 小さい頃のままだった。
そのまま夢の中に入っていた。

魔法のことばが効いたのか 部屋を暖めているせいなのか 今日は少し痛みが和らいだ気がする。
痛いの痛いの飛んでけ~
ついでに心の痛みもあったら 飛んでいけ~(笑)




たまちゃんの散歩

2015年03月16日 | 朝のことば&つぶやき
雲がのんびり空を散歩している
あれは たまちゃんだね
そう言って指差す先に
なるほど 女の子が飛び跳ねている

空に自分がいるとわかって
ぴょんぴょん 地面を蹴る幼子
お母さんも一緒にぴょんぴょん

ぴょんぴょん
ぴょんぴょん
ぴょんぴょん ぴょぴょぉーん

いつのまにか 空をゆったりお散歩している
大きな雲はぞうさん
たまにパオォーンと鼻が風に揺れる
もっと大きな雲は親子「くじらぐも」だ
たまちゃんとお母さんは
「くじらぐも」に乗ってスイスイ
もう地球をぐるっと回っちゃったよ

ぐーぐー
お腹すいたね
おうちに帰ろうっか

※※※

「くじらぐも」は ぐりとぐらの作者 中川李枝子さんの作品で 小学一年生の国語の教科書に掲載されていました。今も掲載されているのかな。クラスの子どもたちみんなでくじらぐもに乗って遊ぶのがとっても人気でした。

※※※

ポトフもどき

2015年03月15日 | ほんのすこし
数年前 ネットオークションでシャトルシェフを手に入れました。放っておくだけで煮物が出来てしまうという夢のようなうたい文句に 本来ずぼら(見た目もずぼら)なわたしはすぐさま飛びつき、調べると元の値段も高価で ほんとにこの値段でいいのか?と思いつつ 恐る恐る入札しました。
競争相手が途中で降りたため 思っていたよりずっと安く手元にやってきました。四分の一以下だったように思います。全くいい買い物をしたものだと小躍りしていました。

しかし、オークションというものは手に入れるまでのどきどきとわくわく感が手元に届くと同時にすぼんでしまうという その気分がわたしの中にはありました。届いてみたものの 説明書を読んでもなんとなく使おうという気持ちが湧かず、そのまま使わずに二年ほど放置していました。なんてずぼらでいい加減なわたしなんでしょね。

ある日、なんということなく気まぐれで 寒い冬でした。まだ弟も健在だった頃です。こんな寒い日は台所に立つのも面倒だなぁと思っていました。前日 豚肉の肩ロースの塊が安かったので買ってきたまま冷蔵庫に入っています。あれをなんとかしなくちゃなぁ・・・塊は煮込むのに時間がかかるし、台所にずっと立っているのもしんどいし・・・そのとき突然頭の中にシャトルシェフが浮かんできました。
あれって、こんなときに使えばいいんじゃないの?
早速 見よう見まねで適当に塊肉を大きく切ってスープとローリエで煮てみました。沸騰してから弱火で15分から20分。その後は本体に鍋を入れておくだけ。二時間以上だったので 3時間ぐらい入れておきましたが、その後 取りだし、その鍋に大きく切ったジャガイモやニンジン セロリ、玉ねぎ、キャベツを入れてまた沸騰したら弱火で7分(5分と書いてありましたが、7分ぐらいの方が我が家にはいいなと)。またまた本体に鍋を入れておいて放置。
二時間以上放置しておき 後は食べるときに味を調整。

初めて作ったポトフもどきは 母にも弟にも好評で、なんで今まで使わなかったんだと自分のずぼらさを悔やんだものでした。あれから数年。今は弟も亡くなり 母と共に食すわけですが、いつも初めてこれを食べたとき弟が母に
「姉ッコの料理の中でも これが一番美味しいかもな」
と話したということを ほんのり思い出します。どんな顔で言ってたのか なんとなくわかるような、嬉しそうな弟の顔が見えるような。弟は料理が好きで 作るものはどれも美味しくて、凝ったものを作りたがっていました。反面 わたしは適当なものばかりで、適当だから当て外れがあって いつも弟にはかなわないなと思っていました。その弟が誉めてくれていたんだなと思うと、今も作るたびに これだけは自慢できる♪って思ってしまいます。わたしが上手いわけではなく道具が良かっただけなのですが、現金なわたしです。

今年の冬もずいぶん沢山このシャトルシェフにお世話になっています。
鶏手羽元やカレー用の牛肉や豚肉を塩麹に漬けておいたものを使ったり。どの肉を使っても美味しくできるし、野菜は入れる順番を間違えなければ 美味しくできます。カブは煮込まずに本体に入れる直前に鍋に入れると形が崩れず 中が柔らかくカブの味わいがあって良かったです。キャベツはくたくたになり、いもが大好きな母にはメークインだけでなく 甘いサツマイモとかも入れてあげると喜んで食べています。
何が良いかというと 野菜の形がそのままで口に入れると柔らかくホロッとなる 野菜の味がちゃんとあるところだと思っています。スープは優しい味でいいねと 母はこれにアレンジでカレー味とかトマト味にするよりそのままが一番だと言います。わたしはときどき変化を求めてしまいますが・・・そんなときは出来たものを分けて 自分用にはカレー粉を母にはそのままを といった具合にしています。

シャトルシェフのような便利な道具があるということ オークションがなければ全然気が付きませんでした。今は新しくてもっと軽くてカラフルなシャトルシェフがあるようですが、わたしには古い型ので十分です。こんなに活用できている物は今までなかったかもしれません。
二日前に出来たポトフもどきには シェリーというじゃがいもを使ってみました。薄くて赤い皮をつけたまま煮込めるのです。実に美味しかったです♪ちょっと赤ワインを入れてみました。
画像がないのは すでに食べてしまったからです(笑)

悪戦苦闘

2015年03月14日 | ほんのすこし
帰郷して以来 ずっとこれに時間をとられてきた。
これというのは ブルーレイレコーダー。
一日の結構な時間をこれとの戦いに費やしてきたのだ。なぜか?ずっと順調に録画した番組をブルーレイにダビングできてきて、ここに来て反乱が勃発したのだ。今までダビングできていたメーカーの物が全然受け付けなくなり、さては別のメーカーでないとだめなのか?と思い 別のメーカーにしてみたり、繰り返し録画用だけで使ってきたけど、一回録画だったら出来るんじゃないかとそれを使ってみたり、レコーダーの説明書を引っ張り出して 使えるブルーレイの種類はどれだった?と調べてみてこれなら大丈夫だろうというメーカーと種類を見つけて買ってきたり。
そのどれもがことごとく 撃沈。
昨日 また電気店に行ってうろうろ。店員さんがやってきたので 説明をしたら、レンズクリーナーという作業をしてみたら?ということで。
早速 そのキッドを購入し 昨日はそれを使ってみた。数回やってみたが、やはり結果は芳しくなかった。最終的にはレコーダー修理を依頼しなければならないだろうと言われてきたので、それだけはなんとしても阻止したいのだ。

レコーダーが修理に行っている間の予約録画が全くできないということが嫌なので。
なぜダビングにこだわっているかというと、ハードディスクの残量が残り少なくなってきたからだ。だからせっせとダビングしようと思っていて、特に連続ドラマとかまとめて1枚か2枚に収録できれば後で見るときにいいだろうと思っていた。録画するだけで一度も見ていないドラマも結構多い。母が今回面白いと言って毎回見ていたという『DOCTORS3』なんかは初回からずっと録画したままで、これもまとめてダビングしておこうという魂胆だった。それがここに来て、ダビング出来ないということに。

テレビの前で なすすべもなくがっくり来ていたわたし。
でも はたと思った。ハードディスクに入れているものの見直しをしてみたらどうだろう。
そこで未読の番組をチェック。ダビングしておかなくてもいい番組はないか。見終わったら消去してもいい番組はないか。ダビングするまでもない連続ドラマはないか。後ですごく見たくなったらレンタルでも見れるものはないか(ダビングしても結局ずっと見ないでいることがあるからね)。これ以上ブルーレイを増やしても物が増えるだけではないか。などなど じっくり考えて、まずは見終わった物で消去できるものを探し 次々と消去。見ていなかった番組の中の「なんでも鑑定団」は出てきた出品物と鑑定額など必要なところだけを見て消去していった。ほんとは面白い部分はたくさんあるけど、以前ダビングした分もあるし、残しておくだけの魅力を今は感じなくなっていた。骨董とかに興味もあったけど、今は手元にあったらなあという気持ちも薄れたからね。
そんなものや バラエティ番組は楽しいところだけをサラッと見て後は消去した。以前は嵐の番組をダビングしておくのが一番やりたいことの一つだったけど、今はそれもまぁいいかと(大野くん大好きモードは変わらないけど、前ほどアイドルに燃えていないのだ)。
そんなこんなで消去していったら 結構な空き容量を確保できた!

ということで これからは必要なものだけをなるべく録画しようということに。リアルタイムで見れないと思ったものだけを録画。見終わったら なるべく消去。連続ドラマは〈これは見たい!〉と思ったものだけを録画する。そんなに見たい部類に入らなかったドラマは二回目からは録画しない。映画は見ていない映画 どうしても手元にほしい映画だけを録画しなるべくCMの入らない番組にする。
それでもまだまだ見ていない番組が入ったままだ。ちょうど連続ドラマが終わる時期、この機会に録画生活を根本から考え直していかなくちゃ。レコーダー修理は後にしてまずは中身を軽くしようと思う。
そう考えたら なんだから胸がちょっとスッとした気分になった。
これも捨てるってことの中に入るのかな。

今日という日

2015年03月11日 | ほんのすこし
あの日から 4年目。
それが今日、なのに なんて天気になったのだろう・・・荒れ狂う空と地面を這うように横殴りの雪が叩きつける。久々にすごい天気になった。
忘れないで・・・と 空が言ったか、地は揺れて あのときの思いはどこへ行ったのだと問うのか。

窓の外を吹きつける雪の流れを見ながら 今日行くべき場所を思った。
友人が教えてくれた。3・11の集会。午後2時開催だという。この状態で開催されるのか?不安がよぎる。
荒れ模様の天気だが、時折緩む時があり、それを見ては 行こう!と思っていた。

午後1時半。目的地までは十分時間がある。
でも この荒れ方だったら 市街地を通った方が風をよけることができるのではないか?と思って、遠回りをした。だが、案に相違して 状況は悪かった。遅々として進まぬ車の列。途中からいつもの道に戻ってみた。
前が見えないほどの道を少しずつ進むが 前の道よりはずっといい。目的地までかなりの時間をかけて到着した。

そこは オナリ座。元映画館。そこを改修して今は週末だけ映画上映し、平日は貸している。今日はそこで3・11集会が行われた。あの悪天候のなか 臨時駐車場で誘導していたのは見知った方だった。頭の下がる思い。

原発のDVDを見てから 避難区域の方の講演を聴くという予定だったが、その方が来る途中で通行止めに遭うというアクシデント。イベントの内容は大きく修正された。
色々な団体からの報告が済み、その後でPM2:46 会場全員で黙とう。
その後 DVDを観賞した。

知らなかったことばかり。新聞を読んだりしていても わたしの頭の中にはこれほど残っていなかった。自分に現実のものとして受け止めるだけの気持ちがなかったのだと再認識した。いかに自分が甘ちゃんか いかに自分がぬるま湯に浸かっているのかを突き付けられた気がした。
原発再稼働って・・・あり得なくない?こんなに苦しんでいる人がいるのに。また同じ繰り返しをする?
科学の進歩は想像以上に早くて ありえないことが実現したりしている。原発に代わるエネルギーが もっとエコなエネルギーが出てくることだって早くあるかもしれない。原発にかけた費用が莫大なものであったとしても未来の安全が保障されることはその何倍もの値打ちがあると思う。

わたしの人生はせいぜい後○○年だ。だが、子供たちや孫世代は生き伸びねばならない。安心して暮らせる世界であるために 今を還りみることが大事だと思う。
わたしにとって 今日という日が深く心に残ったことはいうまでもない。

孫と過ごした時間

2015年03月10日 | ほんのすこし
先日 上京し、孫と過ごしてきましたが。普段一緒にいないので、なんとなく慣れるのに時間がかかるのか?と不安でもありました。
でも どこか繋がっている?と感じるのか わたしが心配するほどの拒絶反応は見られず、結構なついてくれたように感じました。
なにしろ食べるの大好きな孫ちゃんですから、ご飯を作ってくれる人=いい人の図式は頭にインプットされているのかもしれません。食事時間が近づいてきて
「ご飯食べる?」
と聞くと 即答で首を縦に振ります。
シートに腰掛けさせると、自分でエプロンをかけようとする仕草や お水を飲みたいという仕草をしたり。もうご飯を食べる準備はしっかり整えて待ってます。まだ離乳食ですが、それでもだいぶ大人と同じものを味を薄めて柔らかくして食べることができるようになってました。ほとんどの野菜は食べれるし、スープは大好きだし。
娘は パン・麺類・ご飯をいろいろ採れるように考えていました。果物も大好きなようでした。甘いお菓子は与えていませんでしたが、おやつに娘が作っておいたパンケーキは もう大大大好きオーラが出ていて、両手につかんでむしゃむしゃ食べていました。

そんな食べること大好きな孫だからか、丈夫で、今回の娘がかかったインフルエンザも感染することなく元気に過ごせました。やはり人間 食べることができる それが一番健康に繋がるのかなと思った次第です。

さて、だんだん娘の容体も良くなってきた頃、孫が寝る前に前髪を結んであげようということになりました。ピンと前髪が立つと
「あー可愛いね!」
とわたしと娘。でもすぐに手を伸ばしてシュシュを取ってしまいます。結んでは取って 結んでは取っての繰り返しに とうとう娘も諦めてしまいました。でもわたしと娘が「可愛い」を連発するので 孫もなんだか嬉しそうでした。
後で わたしが写したそのときの動画と写真を孫に見せると 不思議そうな顔でじっと見いっています。自分の姿だとわかるのでしょうね。何度も見せてとせがまれました(笑)

「可愛い」という言葉がどういう意味なのかまではわからないにしても 良い意味に使われているというのはわかるのでしょう。「可愛い」と口にした大人の顔が笑顔だから それを見て良い言葉だと思い、自分に対して好感を抱いてくれているというのを感じるのでしょうね。

お別れの日は 娘夫婦と孫が出て行き、わたしはその後に出るという格好になりました。
その朝、孫がわたしめがけて突然とことこやってきて 抱きつきました。思いがけなかったので面喰いましたが、嬉しくてぎゅうぅっと抱きしめました。今度はいつ抱きしめることができるのかしら・・・
玄関で 孫を抱いていた娘の旦那さんが
「ほら ○○○、ばあばにありがとうって なでなでしてあげて」
と言ったら、孫がわたしの頭を小さな手でなでなでしてくれます。
娘もようやく元気になって、わたしの役目も終わり。最後に嬉しいご褒美でした。なでなでしてもらったことなど とうの昔のこと。素敵なご褒美に 帰りの車中はとても温かい気分でした。

ちょっと嬉しい

2015年03月09日 | 母のこと
今日 母がコタツの上にわたしが以前あげた『トム・ベンジャーは鞄なり』の印刷物を出して言った。
「これ 読んだよ」
「えっ読んだの?わかりにくいって言ってたじゃない。読まないのかと思ってたぁ」
「ほんとはお前が東京に行く前に読んでいたんだけど、忙しそうにしていたからな。言う時間が無かったんだよ。で 今日 また最初に戻って読んでみたら、今度はわかりやすかった」
「そうかぁ」
「途中で どうなって終わるのかと思いながら読んだよ。これは本にしたらいいんじゃないか?表紙はこんな風に(と 表紙の大きさと絵の感じを手で表す母)してみたら 面白いよ、これ」
「そう?そうなの?」

以前 渡したときにはずいぶんとっかかりにくそうな感じで あぁ失敗だったかなぁと思ってがっかりしていたんだけど、俄然 勇気凛凛って感じになっちゃって(単純)。
「これね、第一話終わりだから これからまた次の話に続いていくのよ。まだ書いていないけどね。○○○のために書いてみたいって思って始めたら、ここまで来ちゃって。このほかに この三倍ぐらいの量の小説も書いたんだよ」
「へぇ。それは何?殺人事件とか?」
「母さんじゃあるまいし。殺人事件とか刑事ものは書けないよ」
「じゃ 恋愛かい」
「う~ん、恋愛かなぁ ひとりの女性の・・・」
「女の生きざまかい」
「まぁ そんなとこかな」
「それは実話かね」
「えーまさか!フィクション 小説はフィクション、母さんが言ってる実話はノンフィクション。テレビだったらドキュメンタリーみたいな感じ。フィクションだから 想像して書けるでしょ」
「どうなるかと想像しながら読んでいったけど、なかなか面白い話だったよ」
「でしょ?」

まんざらでもない顔をして 母から太鼓判?をいただいたので、ちょっと一安心。嬉しくて また書いてみようかなと思ったりして現金なわたし。
でも ムラがあるのが玉にきず。わたしったら なんだか尻に火がつかないと書けなくて。書きたいものはいくつかあるけど、どれも途中で尻切れトンボ状態。一番書きたいものがなかなか形にならないでいる。書くって難しいなぁ・・・

でも 今日はなんだか母に背中を押された気分。もう少しやってみようかな・・・