BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

世界一奪回を予見─

2010年01月05日 | 凡日記


風が強く、寒い一日でした。

けれども、鳥取では
豪雪だったようですから、
この程度でへこたれては
いけませんね。


   


多分、明日の朝刊に
書かれる事になるかと思うのですが。

日本の南極観測隊が9年ぶりに南極で
隕石を発見したというニュースがあります。
 →「西日本新聞」2010年1月5日付

これを聞いて、凄いと思ったのは、
同じ新聞の朝刊の一昨日付けの連載小説に、
南極付近の氷山で隕石を見つけた
という件が載っているのですよ。
池澤夏樹さんの小説で、近未来の
氷山曳航隊に乗り合わせた少年の話。

その氷山で見つけた隕石にまつわる話として、
日本の観測隊が一番多く見つけていて、
2万個以上持っているという会話が出てきます。
しかし上記の記事を見ると、日本は
16,200個を保有しているそうですが
一昨年にアメリカが保有数を上回ったそうです。

そして記事は、今回の観測で
世界一の奪回に向けて
隕石を探しまくるということでした。

なんと!池澤さんの小説では
世界一奪回を予見しているのか!

新聞に連載される小説もまた、
時事的なものであり
情報でもあるのだなぁと
思うこと頻りでした。



ちなみに小説のタイトルは『氷山の南』。
「密航冒険物語」です。
そして近未来の国際関係と科学技術、
並びに水問題に触れたりしています。

書籍化の暁には
タイトルが変わっているかも
しれないのでご注意ください。


「超能力」と「超思考」

2010年01月05日 | 雑感散文


 テレビで、「超能力」について
検証する企画がなされていたのを観ました。
 そして「超能力」というものについて
ふと考えたことがあります。

 人間の能力を超えたもの。
 しかしながら、人間の能力は
果たして幾許ばかり凄いものなのか。

 実は、周りの動物たちを見ると
如何に人間の能力が低く狭いものであるか
ということに気がつきます。



 目隠しをしていても、
目の前のものや情景が分かる。
 何キロも先の人と通信しあえる。

 コウモリとゾウがこれを聞いたら、
えっ、霊の長と誇る奴等が
そんな能力も持ち合わせていないのか、
と笑われてしまうのではないでしょうかね。

 コウモリは言わずもがな、ゾウは
何十キロ先の仲間と意思疎通が出来ます。



 千里眼、ってのが昔ありましたね。
 鉛板に隠した文字を読む能力。

 しかしながら可視光線外の電磁波を
使えば見ることは可能なわけでしょう。
 X線なんてそうではございませんか。

 ところが人間は、可視光線という
ごくごく限られた波長しか見られない。
 鳥や蝶は、紫外線も見えるというのに。



 犬の嗅覚は、人間の1万倍、って
言うでは有りませんか。
 でも犬からしたら普通だし、
そして不本意に思っているでしょうね。

 人間の能力が、犬の0.01倍なんだよと
言葉の理解できる犬がいたら
そう心のうちで罵っているんじゃないですか。



 このように考えると「超能力」という言葉は、
実は人間の能力が他の動物に比べて低いことを
忘れている象徴のように思えます。
 人間の常識を超えると、つい
疑ったり怪しんだり、否定に走る。

 ところが他の動物がそれを観たら、
だからどうした、そんな当たり前のことと
思っているのではないでしょうか。
 ましてや、そんなこともできねぇ奴が
多数派であることに驚くのではないでしょうか。

 昔のテレビは、こういった「超能力」を
非科学的だと言って笑いの対象に
したりする演出もまま見受けられてではないですか。
 そのテレビ番組を、他の動物たちが観たら
どう思うのだろうか、と考えたりしました。
 あぁ、いい加減な評論しやがって、
アダを見つけては笑ってるよコマネチ芸人、
とでも思っていたかもしれませんね。



 「超能力」と同じ様に、
非科学的だとか非合理的だといって、
駆逐された「迷信」もありますよね。

 例えば、山の神信仰とか、
東洋医学や漢方学とか、
気とか、精霊とか、文化とか。

 もっと、今までの世界を「超」えて
物事を見ないといけませんな。
 名づけて「超思考」は如何でしょうか。