BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

悴点は何か─

2010年01月16日 | 凡日記


今ワタクシの手元には、
社叢学の本と
民俗学の本と
森林保護学の本があります。

一見、なんらつながりの無い
3つの学問に見えます。
けれども、これらを同時併行して
読み進めていくうちに、
頭の中で激しく反応し結合していきます。

点と点が線としてつながり、
線と線が交わりて
いつしか悴点が現れる。
そんな感じがいたします。
感じがするだけで、まだまだ
纏めきれていないのが難点ですがね。


勘の良い方はおそらく、
3つの学問の並びを見て、
大方その悴点は何かが
分かるのではなかろうかと思われます。


まぁ、また折々話をしたいと
思うのであります。


「近代医療の否定」の否定に懐疑

2010年01月16日 | 雑感散文


最近、どこぞの宗教団体が、
「手をかざせば治る」とかいって
問題になったというニュースがありましたね。

それをテレビで聞いたとき、
またか、と思ってしまいました。
昔、足ツボがどうとかという
おじさんがいましたものね。

そして翌日の新聞にも、
短いながらもテレビよりは詳しく
書かれていた記事を読んだのです。

すると、テレビで受けた印象とは
全く異なったことを思いました。



…予め申しておきますが、
ワタクシは当該の宗教団体のこと及び
捜査の内容については全然知りません。
よって、以下に述べることと事件とは
全く関係ありません。




その宗教団体は、
「近代医療を否定」を
モットーとしていたようです。

それは、悪いことなのだろうか、と
考えたのです。

振り返れば明治時代以降は、
「近代化」の名の下に、
これまでの東洋医学を
葬り去ろうとしたわけでしょう。
漢方学も今では随分進展していますが、
それも一時期「迷信」扱いを
されていたわけでしょう。

そして同じく「近代化」の名の下に、
世界ではシャーマンによる療法や
気を司る気功とか
伝統療法や伝承の薬とかが
蔑まされたり止めさせられたり
した時期もあったわけです。

もっとも文化人類学等の進展で
それを見直す機運もあったから、
幸いにもこれらは今も脈々と
受け継がれているわけですけれども。


その一方で「近代医療」は、
クローン技術や尊厳死の基準、
脳死判定の基準について
決めようとしているわけでしょう。
決まったら、それが基準となって、
これを満たさないものは
いつしか「近代医療」を否定する
ことになってしまうのでしょう。

そういえば、クローン人間を作り出すことが
目標であるという宗教団体が
海外に有るというニュースもありました。
まさに今回の宗教団体と正反対の
立場をとっている。
しかしこれも表裏一体のもので
あるような気がします。
世論の転び方によって、容認否認によって、
その評価もまたひっくり返ったりする点では。

曖昧な生死判定で、生きたまま棺桶に
入れられた人が西洋にはいたわけでしょう。
それが現代では、心臓が止まっていても
「心配停止状態」といって
すぐに死亡とは言わないわけです。

何を持って死というのか。
それは一概に言えるものではない。
例えとして今日の脳死基準を巡る動きを
持ち出すまでも無いでしょうけれども。

そんな混迷を極める「近代医療」に対して、
否定をすることは必ずしも悪いことなのか。
少なくとも、それだけを理由に
悪い印象を植え付けるのはどうか。
ニュースはどうも、「近代」という
先入観に囚われているような
気がしてならないのでした。


繰り返しますが、この見解と
事件とは関係が有りません。
このご時勢ですから、
念のために申し上げる次第です。