BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

Nangesaqieと阿蘭陀(後編)

2010年01月10日 | 自適休暇


 連休の中日に、長崎歴史文化博物館
開催中の「阿蘭陀とNIPPON展」(1月11日まで)を
見て来ました。

 展示物のうち、長い時間見とれてしまった
「コイン」と「ビードロ」について、
この後編の記事で書き連ねたく思います。


 * * *


 金貨と銀貨。特に金貨に至っては
殆ど酸化することがありませんから、
何百年経っても眩い光沢を放っているから
驚異的ですよね。つい見とれてしまうのも頷けます。
 それに比べて銅貨の輝きはなんと儚いことか。

 ところでこれらのコインには、
「VOC」つまりオランダ東インド会社の
ロゴマークが刻まれております。
 東インド会社といったら、インドが本拠地で
ムガル王国と戦った、という史実を
イメージされる方がおるやも知れません。
 しかしながらそれは、イギリスの東インド会社です。
 オランダの東インド会社は、日本と積極的に
貿易を行っていた、東南アジアが拠点の会社なのです。
 今一度、世界史の教科書を見返すなどして
ご確認下さい。間違えやすい所ですからね。

 しかし長崎や佐賀の人間は、
東インド会社といえば、オランダのVOCを
すぐに連想するのでございます。
 そのVOCロゴが押されたコインが、
信用ある貨幣として多く流通していたようです。


 ここで、特に注目したいのが、銀貨です。
 目を奪われたのは金貨ですが、日本史としても
重要なのが銀貨であります。
 勘の鋭い方はもうおわかりでしょう。銀貨の多くが、
日本産の銀を使っているのです。
 さらに、それは石見から産出されたものなのです。

 山陰で掘り出された銀鉱石が、街道を通って
長崎出島で船に積まれ、ヨーロッパへ運び出された。
 その一方で、ヨーロッパからは医療技術や道具、
天文や地理などの知識がどっと入ってきた。
 面白いではございませんか、今現在はその真逆で
資源が無い電子技術立国と言われているというのに。



 しかしながら、日本から世界に輸出された
技術や芸術というのも沢山有るわけです。
 それが有田焼に代表される陶磁器です。

 これはヨーロッパの大人気商品で、
偽者も色々と作られたようですね。その一つが
マイセンの先駆けだったりするのです。
(有田焼はヨーロッパの他、ベトナムやタイでも
 人気を博していたようです。そのことはブログ3の
 「タイの世界遺産」「ベトナム世界遺産」にも書きました。)

 そういえばマイセンは世界遺産に登録されています。
 肥前の陶磁器生産地は暫定遺産にも挙がらないのは
どうなんだい、って感じもしますけれどもね。


 * * *


 つい、長ったらしく書いてしまいました。
 「ビードロ」のことについて書くと
いよいよ読む人がいなくなる恐れがあるので、
今回ははしょらせていただきますね。

 年々文化歴史の学問の知識が増すにつれ、
古いものの一つ一つに大変興味深い
事象を発見することが出来るようになりました。
 だから今回の展示品を一つ一つ眺めては、
さらにまた歴史への興味を深め、また新たに
興味が湧いたり疑問に突き当たりするなどして
思考することに時間が掛かるようになってしまいました。

 この喜びたるや…いいモンですよ。
 いいモンを見させてもらいました。


Nangesaqieと阿蘭陀(前編)

2010年01月10日 | 自適休暇


 連休の中日に、長崎歴史文化博物館
開催中の「阿蘭陀とNIPPON展」(1月11日まで)を
見て来ました。
 2時間半をかけて、じっくりと見て来ました。


 さて今回の展示は、鎖国時代に長崎出島から
もたらされた文化や、逆にシーボルトや
オランダ東インド会社が本国に持ち帰った日本文化の紹介、
ひいては近世の日本とオランダの文化比較など、
日本とオランダが互いに影響しあった文化を見る
というものです。

 それを探るべく、当時に製造された陶磁器や
ガラス細工(長崎ではビードロと言う)、
銅版画や絵画やタイルなどが展示されていました。

 これら展示品の中でワタクシが感動したのは、
「古文書」「古本」「コイン」「ビードロ」でした。


 * * *


 ところで、場所が1フロアに限られた企画展を
見てしまうのに何故に2時間半もかかるのか。

 それは展示物の一々を、じっくりと
この目で読み込んできたからです。
 江戸時代の古文書と、西洋古本。
 今丁度、古文書を読解する練習をしているので、
自力で読んでみたいと思うわけです。

 しかしながら古文書は、書いてある文字が
さっぱり分からんとです。同じ日本語なのにねぇ。
 その点英語の古本は、ある程度分かるからよいです。

 多少、古い英単語や、「s」が「∫」と表記される箇所も
ありはするのですが、慣れさえすれば現在の英文と
遜色なく読むことが出来ます。
 こういう時に活字は素晴らしいと感じられるものです。
 
 ところでこの江戸時代の英語の本は、当時のオランダ人が
記した日本記を英訳した本でした。
 何処まで信憑できるかはさておき、当時の日本の
雰囲気や町並みを知ることが出来る手がかりとして
注目される資料なのだそうです。
 特に平戸商館の件なんかが、今や建物は
跡形無い状況なだけに興味深い所です。


 しかし資料を読んで個人的に興味深かったのは、
「地名」の発音表記でした。
 長崎を「Nangesaqie」、そして
平戸は「Firando」と表記されていたのです。

 実際に、昔の西肥(肥前の西側=長崎県)の人間は
長崎を「なんがさき」と読んでいたようです。
 今でも「長い」を「ながか」と言うけんね。つまり、
「長い崎」、なんがさきと言いよったとばいね。
 平戸は「ひらんど」、「平の戸」が訛った
と考えるのが自然でありましょう。

 そう考えると、昔は「地名」なんて概念は
なかったのではなかろうかとさえ思えます。
 「長い崎」、「平の戸」。言ってみれば、
「あの山」「川の下」という呼び方に同じでしょう。
 それがそのまま地名になってしまった。

 一方で、神話や伝承、古の律令で定められた
由緒正しき地名もあるわけです。
 そう考えると長崎ってのは、
平戸商館や長崎出島が出来るまでは
「崎」「戸」呼ばわりの片田舎だったのかな
なんてことを思ってしまうのです。


 * * *


 さて、ワタクシが感動した展示物4つのうち、
「古文書」と「古本」について惹かれた理由を書きました。
 そして次に「コイン」と「ビードロ」について
書こうと思うと、相当長い分量になることが
予想されますので、別記事に分割したく思うのです。

 続きは後編で。


県防空本部跡

2010年01月10日 | 自適休暇


 長崎歴史文化博物館へ行く前に、
そこから坂道を上がった所にある
長崎県防空本部跡(立山防空壕)を
見学してきました。

 こういった遺跡があるとは知りませんでした。
 平成17年に補強工事がされた後に
一般開放されたのだそうです。

 この防空壕は、知事や参謀長、
防空監視隊や通信員が業務を行う部屋があります。
 2番目の写真は通路で、一番奥の部屋が
知事の部屋、順に参謀長室、参謀室です。

 3番目の写真は通信室です。
 機材も何も残っていないので、
全く通信室らしくないです。
 実に物々しい雰囲気の部屋です。

 そして最後に、更に奥の部屋へ通じる通路。
 これより先は立ち入り禁止、
遠くから水の流れる音がいたします。


 ブログ1にも解説と動画を掲載しています。
 こちらもあわせてご覧下さい。