千昌夫さんの「津軽平野」と、今は亡き父とが重なり、聞くたび、泣けてきます。当時は、病弱な母と、祖母、5人の子どもの世帯でした。郵便局の窓口業務より農業がはるかに金になると自信の転換も、いつしか行き詰まり、やむなく出るはめに。学校から帰ると、すでに父の姿はなく、心にポカーンとした穴があいたよう。上京した父は、言葉のなまりで苦労したそうです。
1年ぶりに夫を迎える母はやはり、そわそわしていました。「父ちゃんだよ!」。手を差し出す父に、幼い妹が恐れをなして、納戸の隅で泣きながら震えていたのを思い出します。
指宿市 池元民子 2011/10/9 毎日新聞鹿児島版掲載
1年ぶりに夫を迎える母はやはり、そわそわしていました。「父ちゃんだよ!」。手を差し出す父に、幼い妹が恐れをなして、納戸の隅で泣きながら震えていたのを思い出します。
指宿市 池元民子 2011/10/9 毎日新聞鹿児島版掲載
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