東京に住む孫が、はるかに遠い赤道を越えた島国の高校に留学した。
小さい時から春も夏も、休みはこっちで過ごし、寝つくまで背中をかかせる子でそれがまた、祖父を知らない私の至福の時でもあった。
出発の前夜、布団の中で久しぶりに背中をかいてやりながら、「敦士よ、涙は見せるなよ」と言ったら、うなずきもせず黙っていた。だが、成田空港でいよいよ搭乗する時は多分、涙ぐんでいたのであろう。隠れるようにして人ごみの中に消えた。時々、あの時の寂しそうな婿の顔が目に浮かぶ。
曽於市 新屋昌興 2015/4/17 毎日新聞鹿児島版掲載
小さい時から春も夏も、休みはこっちで過ごし、寝つくまで背中をかかせる子でそれがまた、祖父を知らない私の至福の時でもあった。
出発の前夜、布団の中で久しぶりに背中をかいてやりながら、「敦士よ、涙は見せるなよ」と言ったら、うなずきもせず黙っていた。だが、成田空港でいよいよ搭乗する時は多分、涙ぐんでいたのであろう。隠れるようにして人ごみの中に消えた。時々、あの時の寂しそうな婿の顔が目に浮かぶ。
曽於市 新屋昌興 2015/4/17 毎日新聞鹿児島版掲載
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