散歩の道沿いに、昔からまきを扱う店がある。久しぶりに通りかかると、割り目も新しい束が積まれていた。店の軒まで高く積み上げられた時代もあるが、今は背丈ほどしかない。
私が暮らすこの町では、昭和30年代に入ってからLPガスや灯油が家庭の燃料として普及し始めた。それまでは風呂もご飯炊きもまきが必要だった。
まきは、雑木や伐採して用材にならなかったものから作る。わが家では祖父が担った。私は中学生になってから手伝った。最初は見よう見まねで丸材に力任せ、手おのを振り下ろした。はね返された。わずかに食い込んでも割れることはなかった。
祖父が教えてくれた。
「木には割れやすい向きがある。根の方を上にして立て、その中心へ手おのを振り下ろす。瞬間、力を入れる。手おのの跳ね返りを防ぐのだ」と。
頭で分かっても、できなかった。中心へ振り下ろした瞬間の力の入れ具合は、回数をこなしてやっと会得できた。力に頼らずとも素直に割れるのは、心地よかった。一人前になれたように思ったものだ。
冬場は水が冷たい。まきの使用が増える。祖父はまき作りに励み、軒の高さまで積み上げて、きせるをくわえながら眺めていた。
祖父が逝って60年余り。便利になった現代を見たら、どんな顔をするだろう。
しかし、この町には今もまきの需要がある、懐かしい風景が残っている。
山口県岩国市 片山清勝(80) いわくにエッセイサロンより