はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

成人式

2010-01-12 16:30:23 | かごんま便り
 鹿児島市の「新成人のつどい」を拝見した。

 会場の市民文化ホール周辺は着飾った若者でごった返していた。タクシーの運転手氏いわく「今年は例年より着物姿が多い気がする」。厳しい不況下でも、この日だけはという親心の現れか。

 市内の新成人6488人のうち集まったのは約5000人。式典が始まっても大半は建物外で談笑している。第1、第2ホールの収容力は計約3000席で物理的に入りきらないのだが、見ると結構空席がある。入れないのではなく入らないのだ。加えてホール内も後方の席は屋外同様「同窓会」状態。壇上のあいさつが聞こえなくはないが終始、私語がやまない。

 簡潔な式典とアトラクションという構成は全国的な定番だ。式典だけだと集まりが悪いというのがその理由。鹿児島市の場合、式典30分、前後のアトラクションは80分。ただ出演した歌手2入が共に新成人と聞くと、救われた気がする。

 参加者諸君の名誉のために付言すると、私自身の取材経験や報道で見聞する各地の式の様子からみて、鹿児島市の新成人は郷中教育の薫陶を受けたDNAの恩恵か、お行儀のいい部類と思う。

 成人式は、埼玉県蕨市で46年11月に開かれた「青年祭」が起源。「成人の日」は49年に始まり、自治体主催の式典が全国に拡大した。モラル低下が顕著になったのは90年代。新成人を企画に参加させるなどの工夫が登場したのもそのころだが、那覇市のようにトラブルに懲りて全市的な式典を取りやめた例もある。

 「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」(祝日法)のがこの日の趣旨。同窓会色や我が子の晴れ姿を見たい親心を否定はしないが、同窓会は別途開けば良いし、晴れ着は正月など別の場で着ることも可能だ。現行方式の成人式は、そろそろ曲がり角に来ている感じがする。

鹿児島支局長 平山千里 2010/1/12 毎日新聞掲載

得度式

2010-01-12 14:04:56 | はがき随筆
 私はわくわくしながら禅寺の得度式に立ち会った。おもしろいことに参列者に、神父やシスターもいる。きょろきょろ見回していると、主役の娘さんがあいさつに現れた。あっと私は驚いた。頭頂部に少し黒髪を残し既にテカテカ光っている。
 儀式は長崎の和尚さんが指揮した。白装束姿の娘さんの一連の身の運びが軽やかで、まるで舞っているチョウのように見える。やがて残りの髪がそり落とされ、黒の法衣が授けられると、厳かな中に式は終わった。
 祝いの席で、剃髪前にパーマをかけたと笑う禅尼の顔に、私は女心を垣間見た気がした。
  伊佐市 山室悟入(63) 2010/1/12 毎日新聞鹿児島版掲載



退場方針?

2010-01-12 13:18:18 | 女の気持ち/男の気持ち
 入浴中に気づいて驚いた。左大腿から臀部にかけて、豹柄よろしく赤い斑点が無数に広がっている。大きいものでは径1㌢を超えるものも。
 こりゃ一体なんじゃ? 変な虫に刺されてかきむしった記憶などない。
 「あ、タイジョーホーシンですね」
 皮膚科医は触診するまでもなく、一瞥して即断。
 退場……方針……?
 説明では、今までの疲れの蓄積が表に出たとのこと。加齢とも関係ありとか。
趣味のウオーーキングは当分控えるように、また感染のおそれがあるので乳幼児との接触は特に避けることと言い渡された。
 ちょうど長女が2歳半の孫娘を伴って帰省中で、しかも第2子が誕生して退院してきたばかり。孫の遊び相手になれないなんて、生きていてはいいけれど、ご飯を食べてはダメと釘を刺されたに等しい。
 思えばこの十数年来、病院や薬とは縁遠かったのが、齢七十を過ぎた途端にこの有り様だ。それぞれ己の古希を迎え得ずに逝った2人の兄からの忠告かな、と思った。
 そういえば2、3ヵ月前から右肩に痛みに似た違和感が少々ある。この際ついでにこの方の診療も考えた方がいいのかな。
 「退場するのはまだチト早い。方針決めて整形外科に行くべし」
 兄2人からのからかい半分のエールが聞こえた気がした。
  長崎県佐世保市 大石 敏夫・70歳 2010/1/12 毎日新聞の気持ち欄掲載

巌流島

2010-01-12 13:11:34 | 女の気持ち/男の気持ち
 正月休みが終わり、再び単身赴任先ヘー人戻る主人を送りに出た。新幹線に乗った夫に手を振りながら、こだまがトンネルを入りきるまで見送ると、かすかな解放感の中で少しの寂しさと心配が入り交じる。
 その晩、息子が思い出したように言った。
 「お母ンたち、今回は巌流島せんかったね」
 言われてみれば、お父ンと私、ずっと仲良しだった。
 帰省するまでは「早く帰ってきてね」と優しく言えるが、「お帰り」から早ければ即日、持って3日後には武蔵と小次郎になっている。原因は、出迎え時間に遅れて待たせたとか、高血圧なのに風呂の湯が熱すぎたとか、私の気配り不足とお父ンの常識的責めからが多い。「またかア」と思う私の面つきもヒートアップの種となり、気配を察した息子たちは「犬も食わネエ」とサッと身をかわし、仕事に自室に消えるのが常。なのに今度はどうしたのだろう。ムカつく瞬間はあったが、怒鳴り合うには至らなかった。息子が不思議がるのも当たり前だ。
 かれこれ10年の別居生活。息子や孫に心配の種はあっても、もうそれだけ。年を一つ越えるたびに、自分たちの心配の方が勝ってくる。三十余年、人生を共有してきた同志として、そろそろ落ち着ける兆しだろうか。それとも、やっと大人になれたということなのだろうか。お父ンの目尻のしわが、妙に優しく、イイ男に近ごろ見えてきた。
  山□県岩国市 山下 治子・61歳 2010/1/11 毎日新聞の気持ち欄掲載

渚への郷愁

2010-01-12 12:50:26 | はがき随筆
 夜明けが遅くなる冬は、早起きの身にとってつらい季節である。3時半から4時に起きると夜明けまでかなり時開があり、それまで新聞を読んで過ごす。
 昔、志布志湾は一面の砂浜で渚に波が寄せてきたが、埋め立てられて様子は一変し、岩壁となってしまった。そこには何の風情もない。渚に会うためには4㌔離れた海水浴場に行くしかない。
 砂浜に寄せる波の音を聞いていると、やはり渚あっての海だと思う。特に海辺に育った身にはその感が深い。もうこれ以上自然をこわすことはやめてほしいと願わずにはおられない。
  志布志市 小村豊一郎(83) 2010/1/11 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はジタさん

大掃除

2010-01-12 12:47:20 | はがき随筆
 いよいよ年末となり、1年中のしみだらけ、かねて手の届かぬところ、自分流庭木のせん定も。
 風呂場のカビには参った。酢酸、重曹、手作り洗剤をブラシで力いっぱいこすったら見違えるようにきれいになった。
 天井からぽたぽた洗剤液が落ちるので、顔から着衣も2人共真っ黒になって大笑い。夫婦協力で、力を出し合ったら難儀な婦除もなんの訳もなかったねと言ったことだった。
 平成21年、我が家はおかけさまで何ごとも無く、良い年だった。感謝。
 来る年も平穏無事を願って。
  伊佐市 宮園続(78) 2010/1/10 毎日新聞鹿児島版掲載