4/25は芥川の『侏儒の言葉』から。
『瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ』
鷲田先生は、「幸福になりたいなら、日常の瑣事のうちに
甘露味とともに苦しみを感じなければならない」と芥川は言う、と仰る。
続けて「大上段の原則論は日々の細かなことの機微を見逃す」
「瑣事を笑うものは瑣事につまずく。人生の痛烈なしっぺ返し」とも。
ちょっと待ってよ。
芥川は、瑣事を愛するものは瑣事に苦しむ、という意味を書いているのに
鷲田先生は、瑣事を愛さないから瑣事にしっぺ返しを食うと。
それ、ずれてません?
○
瑣事も愛せ、と芥川は言う、のかもしれません。
苦しみもあるがそれも愛する事だ・・
けれど、反対にも読めそうですね。
瑣事などを愛するから、つまらないことに苦しまねばならぬ。
つまらないことにこだわるのはお止しなさい、とも。
私はどちらかというと、こちらだと思っていました。
もちろん、瑣事を粗末にしてはいけないと思いますが
芥川が何を発信したかというと、瑣事を見分けてこだわるな、
ではなかったかと思うのです。
瑣事ってのはマイナスの語感をもった言葉ですからね。
『瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ』
鷲田先生は、「幸福になりたいなら、日常の瑣事のうちに
甘露味とともに苦しみを感じなければならない」と芥川は言う、と仰る。
続けて「大上段の原則論は日々の細かなことの機微を見逃す」
「瑣事を笑うものは瑣事につまずく。人生の痛烈なしっぺ返し」とも。
ちょっと待ってよ。
芥川は、瑣事を愛するものは瑣事に苦しむ、という意味を書いているのに
鷲田先生は、瑣事を愛さないから瑣事にしっぺ返しを食うと。
それ、ずれてません?
○
瑣事も愛せ、と芥川は言う、のかもしれません。
苦しみもあるがそれも愛する事だ・・
けれど、反対にも読めそうですね。
瑣事などを愛するから、つまらないことに苦しまねばならぬ。
つまらないことにこだわるのはお止しなさい、とも。
私はどちらかというと、こちらだと思っていました。
もちろん、瑣事を粗末にしてはいけないと思いますが
芥川が何を発信したかというと、瑣事を見分けてこだわるな、
ではなかったかと思うのです。
瑣事ってのはマイナスの語感をもった言葉ですからね。
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